名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞


 七夕は 今や別るる 天の川 川霧立ちて
千鳥鳴くなり        
              紀貫之

(たなばたは いまやわかるる あまのがわ かわぎり
 たちて ちどりなくなり)

意味・・七夕は、今、いよいよ別れるのであろうか。
    天の川には川霧が立って、千鳥の鳴いている
    のが聞こえる。

    川霧の中から聞こえる千鳥の声が、おのずか
    ら、織女星(しょくじょせい)の忍び泣きを思
    わせる・・。

 注・・今や別るる=今いよいよ別れるのであろうか。
    千鳥鳴くなり=千鳥が鳴いているのが聞こえ
     る。
作者・・紀貫之=866~945。古今集の中心的撰者で
    仮名序を執筆。「土佐日記」の作者。

出典・・新古今和歌集・327。


 遅き日の つもりて遠き むかしかな    
                      蕪村

(おそきひの つもりてとおき むかしかな)

詞書・・懐旧。

意味・・日の暮れの遅い春の一日、自然と思いは過去に
    向う。昨日もこんな日があり、一昨日もこんな
    日であった。こんな風にして、過去の一日一日
    も過ぎていった。やがて来る残り少ない未来の
    ある一日も、このようにして昔となってゆくだ
    ろう。

    心は遠い昔にはせ、老いの寂しさを詠んだ句です。
    白居易の漢詩、参考です。
    
     「懐旧」   
    往時渺茫として全て夢に似たり 
    旧遊零落して半ば泉に帰す

    おうじ ぼうぼうとして すべてゆめに にたり
    きゅうゆう れいらくして なかば せんにきす

    過ぎ去った昔のことはぼおっとかすんでしまって、
    全てが夢のようだ。かって良き遊び友達の半ばは、
    木の葉が落ちるように欠けていって、半分は泉下
    に帰してしまって嘆かれる。

 注・・つもり=積り、一日一日が積って過去になる。
    渺茫(ぼうぼう)=水の広大なさま。
    旧遊=旧友。
    零落=草木の葉が落ちること。

作者・与謝蕪村=よさぶそん。1716~1783。池大雅と共
   に南宗画の大家。

出典・・おうふう社「蕪村全句集」。


 からすめは此の里過ぎよほとどぎす 
                      西鶴

(からすめは このさとすぎよ ほとどぎす)

意味・・ほとどぎすの声をうるさいと歌った有名人が
    いるが、私はそうではない。カラスのやつの
    ほうがよほどうるさいのだ。カラスめが群れ
    て汚い声で鳴きたてるので、早々に此の里か
    らどこかへ行ってくれ。お前らがやかましく
    て、ほとどぎすが来ない。私はほとどぎすの
    声が聞きたいのだ。

    山崎宗鑑の歌「かしましやこの里過ぎよ郭公
    都のうつけさこそ待つらん」を逆に郭公の声
    を待ち焦がれるとした句で、そこにカラスの
    声を持って来た所に面白さがあります。
    (歌の意味は下記参照)

作者・・西鶴=さいかく。1642~1693。井原西鶴。
    西山宗因に師事。談林派の代表作者。

参照歌です
かしましや この里過ぎよ 郭公 都のうつけ 
さこそ待つらん      
                山崎宗鑑

(かしましや このさとすぎよ ほとどぎす みやこの
 うつけ さこそまつらん)

意味・・郭公があまり鳴くのでうるさい、私はもう沢山
    だから、さっさとこの里から飛び去ってくれ。
    京都では馬鹿な連中がお前の声が聞きたくて、
    さぞ待ち焦がれているだろうから、都へ行った
    方がいいぞ。

    都の風流人が郭公の声を珍重したのを、宗鑑は
    わざとこのように詠んだ歌です。 
  
 注・・うつけ=虚け、まぬけ、ばか。
    さこそ=然こそ、そのように、さだめし。

作者・・山崎宗鑑=やまさざきそうかん。1465~1554。戦国
    時代の連歌師・俳諧師。


 夏草は 心のままに 茂りけり 我庵せむ
これのいおりに
               良寛 

(なつくさは こころのままに しげりけり われ
 いおりせん これのいおりに)

意味・・夏の草は思いのままに茂っている。この気兼
    ねない場所で、私はしばらくここで住んでみ
    よう。この粗末な建物に。

    新潟県・国上山中腹の五合庵を出て麓の乙子
    神社社務所に移った時に詠んだ歌です。良寛
    も年老いて山の上り下りが苦労に思われて移
    住したもの。

    建物は粗末でも、人に気兼ねなく思いのまま
    に暮らせるのを喜びとしています。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。

出典・・良寛全歌集。

いつしかと 起きうからでも みゆるかな 咲くやあしたの
床夏の花               
                    慶運
                    
(いつしかと おきうからでも みゆるかな さくや
 あしたの とこなつのはな)

意味・・早く起きるのは辛(つら)いといった様子もなく、
    初々しく咲いている朝方の床夏の花よ。

    早起きして、早朝に見る新鮮な撫子を描写した
    歌です。

 注・・いつしか=何時しか。早く。これから起きるは
     ずの事態を待ち望む意を表す。
    起きう=起き憂。起きるのが辛い。
    みゆる=そのように見える。
    咲くや=「や」は反語の意を表す。咲くのだろ
     うか、いや咲くのではない。
    床夏の花=撫子の古名。

作者・・慶運=けいうん。生没年未詳。1295年ごろの生
    まれ。70歳ぐらい。当時、兼好、頓阿、浄弁ら
    とともに和歌の四天王といわれた。

出典・・慶運百首(岩波書店「中世和歌集・室町篇」)

 


 日は日なり わがさびしさは わがのなり 白昼なぎさの
砂山に立つ
                    若山牧水

(ひはひなり わがさびしさは わがのなり まひる
 なぎさの すなやまにたつ)

意味・・太陽は太陽,自分は自分、何のかかわりもなく、
    自分の味わっているこの寂寥(せきりょう)は
    どこまでも自分だけのものだ。そして人影の
    ない真昼の海岸の砂山に立って失意の果ての
    孤独を噛みしめている。

    若さに満ち溌剌として、希望に燃えていた少
    し前までの自分を思い浮かべ、恋愛にも仕事
    にも失敗し、希望も意欲もすっかり失ってし
    まった現在の自分のみじめな姿を詠んいます。
    
    牧水はこの苦悩を,旅をし酒を飲み歌を詠ん
    で克服しています。

 注・・日は日=「日」は太陽。「自分は自分」を補
     って解釈。
    さびしさ=わびしさ。二人の女の子のいる女性
     との恋愛の失敗、文芸雑誌の創刊が資金難で
     失敗、思わしい就職口がない、などの苦悩。
    わがのなり=わがものなり。
    なぎさ=波打ち際。ここでは海岸ぐらいの意。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
       早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。旅と酒を愛
    す。

出典・・大悟法利夫著「鑑賞 若山牧水の秀歌」。


 この憂さを 昔語りに なしはてて 花たちばなに
思ひ出でめや
                 西行
               
(このうさを むかしがたりに なしはてて はな
 たちばなに おもいいでめや)

意味・・この世の憂さはすべて昔語りにしてしまって、
    花橘の香に誘われて懐旧の念にひたろうよ。

    昔はこんな辛いこともあったことだ、と懐旧し
    昔物語にする。

 注・・昔語り=昔あったことの話。憂きことも時間
     の経過と共に美化される。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1191。俗名佐藤義
      清。下北面の武士として鳥羽院に仕える。
      1140年23歳で財力がありながら出家。出家
      後京の東山・嵯峨のあたりを転々とする。
      陸奥の旅行も行い30歳頃高野山に庵を結び
     仏者として修行する。

出典・・山家集・722。

ほととぎす 鳴くや五月の 短夜も ひとりし寝れば
明かしかねつも  
                 柿本人麻呂

(ほとどぎす なくやさつきの みじかよも ひとりし
 ぬれば あかしかねつも)

意味・・ほとどぎすが鳴きたてる五月の短夜でさえ、
    人を恋しく思えば、その短夜も一人で寝る
    と、夜を明かすことが出来ない。
  
    短夜でさえ長く思われる独り寝のつらさを
    詠んでいます。

 注・・短夜=遅く暮れ、早く明ける夏の夜。

作者・・柿本人麻呂=かきのもとひとまろ。生没未詳。
    奈良遷都(710)頃の人。舎人(とねり・官の名
    称)として草壁皇子、高市皇子に仕えた。

出典・・万葉集・1981。

 


 若くさや 人の来ぬ野の 深みどり
                      三宅嘯山

(わかくさや ひとのこぬのの ふかみどり)

意味・・若草の萌え立つ頃、野に入ると、このあたり
    には来る人もなく、草も人里近いあたりとは
    違って、とくに濃い新緑の色に萌え立ってい
    る。

    ここでは公園化されていない、人のあまり来
    ない野の色濃い若草であり、自然の生命力の
    たくましさを感じています。
    
 注・・若くさ=芽生えたばかりの若々しい草。
    人の来ぬ野=公園課されていない野、人里離
     れて人が野遊びや摘み草に来ない野。
    深みどり=深い緑色。まばらではなく密集し
     た草の色。

作者・・三宅嘯山=みやけしょうざん。1718~1801。
    大祇・蕪村らと交流。


 目に嬉し恋君の扇真白なる
                   蕪村

(めにうれし こいぎみのおうぎ ましろなる)

意味・・大勢が一座する場所に、ひそかに思いをよせる男性
    がいる。その人は真っ白な扇を手にしてゆったりと
    風をいれている。いかにも品格のある、清潔な人柄
    がしのばれる。

    やや離れた場所から、相手の姿をほれぼれと頼もし
    く眺めている女性の心情を詠んでいます。

 注・・恋君(こいぎみ)=女性から見て男性の恋人をさす。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。

出典・・蕪村全句集・1298。

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