名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞


 春をだに 知らで過ぎぬる 我が宿に 匂ひまされる
花を見るかな            
                  詠み人知らず

(はるをだに しらですぎぬる わがやどに におい
 まされる はなをみるかな)

意味・・春の訪れさえ知らないで過ぎて来た私の家に
    まことに美しく咲く花を見ることです。

    息子が有名大学に合格した時の嬉しさのよう
    な気持ちを詠んでいます。

 注・・風葉和歌集・・1271年に、源氏物語・うつほ
     物語・狭衣物語・・など200余りの物語に出
     てくる和歌を集めた歌集。

出典・・風葉和歌集。 

 


 夕立ちの 雲も残らず 空晴れて すだれをのぼる
宵の月影
                永福門院

(ゆうだちの くもものこらず そらはれて すだれを
 のぼる よいのつきかげ)

意味・・今しがたまで夕立ちを降らせていた雲も見え
    なくなり、空は晴れて、簾の向こうは明るい
    月が輝いている。

 注・・すだれ=簾。

作者・・永福門院=えいふくもんいん。1271~1342。
    伏見天皇の中宮。

出典・・永福門院百番御自歌合(岩波書店「中世和歌集・
    鎌倉篇」)


 鳴く蝉を 手握りもちて その頭 をりをり見つつ
童走せ来る
                窪田空穂 

(なくせみを たにぎりもちて そのあたま おりおり
 みつつ わらわはせくる)

意味・・手の中で高く鳴いている蝉を、しっかり握り
    持って、その蝉の頭を、時々大切そうに見や
    りながら嬉しくて早く私に見せようと、子供
    が夢中で走り寄って来る。

作者・・窪田空穂=くぼたうつぼ。1877~1967。早
    稲田大学卒。早大文学部教授。 

出典・・歌集「鏡葉」(桜楓社「現代名歌鑑賞辞典」)


河上の ゆつ岩群に 草生さず 常にもがもな
常処女にて
               吹苳刀自

(かわのえの ゆついわむらに くさむさず つねにも
 がもな とこおとめにて)

意味・・川の流れの、清らかな岩々に草が生えずみず
    みずしいように、いつまでも若く清純な少女
    のままでいたい。

 注・・ゆつ岩群=「ゆつ」は神聖・清浄の意。神聖
     な岩石の集まり。
    草生(む)さず=川の流れの中にあるので雑草
     が生えない状態を言う。
    もがもな=「もがも」は他への希望を表す。
     ・・があればいいなあ。「な」は詠嘆を
     表す。・・だといいなあ。
    常処女(とこおとめ)=永遠に若く清純な少
     女。

作者・・吹苳刀自=ふふきのとじ。伝未詳。刀自は女
     性を尊敬して呼ぶ語。

出典・・万葉集・22。


 天つ風 吹飯の浦に いる鶴の などか雲居に
帰らざるべき
               藤原清正
           
(あまつかぜ ふけいのうらに いるたずの などか
 くもいに かえらざるべき)

詞書・・殿上を離れまして詠みました歌。

意味・・天の風の吹く吹飯の浦に下りている鶴が、
    空に舞い戻るように、どうしてもう一度
    昇殿せずにすまそうか。きっと宮中の殿
    上に帰る事が許されるであろう。

 注・・天つ風=空を吹く風。
    吹飯の浦=紀伊の国(和歌山)にある名所
     の海岸。
    雲居=高い空。「宮中」の意の「雲居」を
     掛ける。
    殿上=清涼殿の殿上の間に上る事を許さ
     れる事。四位・五位になると許される。

作者・・藤原清正=ふじわらのきよただ。~958。
   「きよまさ」とも読む。紀伊守・従五位上。
    三十六歌仙の一人。

出典・・新古今和歌集・1723。


 まこもぐさ 淀のわたりに 刈りにきて 野飼ひの駒を
なつけてしかな
                   相模 

(まこもぐさ よどのわたりに かりにきて のがいの
 こまを なつけてしかな)

意味・・真菰草を淀川のあたりまで刈りに行って、野
    に放し飼いにしている馬を手なずけたいもの
    だなあ。

    芽が出た真菰草を食べに、淀川の水辺に来る
    放牧された馬を手なずけて見たい、という気
    持ちです。    

 注・・まこもぐさ=真菰草。水辺に群生するイネ科
     の多年草。編んで筵(むしろ)などに利用。
    淀=淀川。京都市伏見区を流れる川。大井川
     が場所により桂川、淀と呼ばれる。
    なつけて=手なずける。

作者・・相模=さがみ。994~1061。相模の名は夫が
     相模守であったことに由来する。

出典・・さがみ集。



 夕立ちや 法華飛び込む 阿弥陀堂
                     大仏次郎

(ゆうだちや ほっけとびこむ あみだどう)

意味・・急に降って来た大降りの雨。阿弥陀堂には侍や、
    旅役者、町人の先客が雨宿りをしながら、誰かま
    わずにわいわい言っている。そこに坊主が飛び込
    んで来て一枚加わった。

    「ひどい雨ですなあ、どこまで行かれます?・・
    どこどこは物騒、お役人が誰々をお縄にした・・」
    知らぬもの同士でも話がはずむ。

 注・・法華=法華宗。ここでは僧、坊主。
    阿弥陀堂=阿弥陀仏を本尊とする仏堂。

作者・・大佛次郎=おさらぎじろう。1897~1973。東大卒。
    小説家、鞍馬天狗や赤穂浪士が有名。

出典・・大仏次郎著「小説・鞍馬天狗」。


 医師の眼の 穏しきを趁ふ 窓の空 消え光つつ 
花の散り交ふ
                 明石海人

(いしのめの おだしきをおう まどのそら きえ
 ひかりつつ はなのちりかう)

詞書・・病名を癩と聞きつつ暫しは己が上とも覚えず。

意味・・診察した医師は「癩」と診断して、顔をそっ
    と窓の空に向けている。そこには花びらが、
    日に当たり、またかげりながら散っている。

    昭和10年頃の当時は、癩病は不治の病であっ
    た。その病名を聞かされてショックを受けた
    状態を詠んでいます。

    咲き終えて落下する花びらのように、自分の
    運命もこれまでかと落胆した歌です。
    しかし、この後に気を取り戻します。父や母、
    妻や幼子の事を思うと、必ず病気を治さねば
    ならない、治したいと。
    蕾が花と開いて、燃えて燃え尽きて落下する。
    私も必ずこの病気に打ち勝って花を開かせて
    燃え尽きて散りたいと。   

 注・・穏(おだ)しき=おだやか。
    趁(お)ふ=追う、追いかける。
    癩=ハンセン氏病。昭和24年頃から特効薬が
     普及して完治するようになった。特効薬の
     無い昔は、人々に忌み嫌われ差別され、又
     療養所に隔離されて出所出来なかった。

作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。
    沼津商業卒。会社勤め後、らい病を患い、長
    島愛生園で生涯を過ごす。鼻が変形し失明す
    る中で歌集「白描」を出版。

出典・・歌集「白描」、新万葉集。


 分け入っても分け入っても青い山

                   山頭火 

(わけいっても わけいっても あおいやま)

意味・・いくら進んでも青い山ばかりで街は見えない。
    それでも歩き続けている。

    道なき道を分け入って、どんどん進んでも青い
    山は果てしなく続いている。

    自分の人生の道、俳句の道もいくら模索しても
    これが満足というのに程遠い。    

    「この道やゆく人なしに秋の暮れ」と詠んだ芭蕉
    の孤独と求道に通じています。(意味は下記参照)

       
 注・・分け入っても=「も」は・・だけれどの意。「も」
     を繰り返して、求めているものが中々見つから
     ないもどかさを表している。
    青い山=明るいイメージの言葉は「楽しげで活気に
     富んだものであるが、山頭火の求めた物ではない」
     を強調している。青い山は、人生の生業(なりわい)
     に打ち込む楽しみや家庭の幸せ、そして浮き世の
     華やかな快楽であり、普通の人々が生きている世
     界を意味している。

作者・・山頭火=さんとうか。種田山頭火。1882~1940。
     父の放蕩、母と弟の自殺、家業の酒業の失敗で
     不幸が重なる。大正14年出家し禅僧として行乞
     流転しながら句作。荻原井泉水に師事。

出典・・金子兜太著「放浪行乞・山頭火120句」。

参考歌です。

此の道や行く人なしに秋の暮れ       芭蕉


意味・・晩秋の夕暮れ時、一本の道がかなたに続いて
    いる。その道は行く者もなく寂しげだが、自
      分は一人でその道を通っていこう。

      秋の暮れの寂しさと芭蕉の孤独感を詠んで
    います。「此の道」は眼前にある道と同時に
    生涯をかけて追求している、俳諧の道でも
    あります。

 注・・此の道=道路、まっすぐに通っている一本の
     みち。剣道とか柔道とかいう「道・術」の
     意を掛けている。
    秋の暮れ=秋の日暮れ時。また秋季の終わり。
     寂しさを伴う情景として詩歌に歌われる。

出典・・小学館「松尾芭蕉集」。


ジャージーの 汗滲む ボール横抱きに 吾駆けぬけよ
吾の男よ
                   佐々木幸綱

(ジャージーの あせにじむ ボールよこだきに われ
 かけぬけよ われのおとこよ)

意味・・ジャージーを汗でぐしょ濡れにして燃え上って
    いる男なんだ。それで何としてでも、ラグビー
    のボールを横抱きにしながら、この場を駆け抜
    けるのだ。男らしい男の見せ場として。
    
    ラグビーの試合でボールをしっかり持ちながら、
    相手のタックルを外しながら懸命に疾走してい
    る状態です。

作者・・佐々木幸綱=ささきゆきつな。1938~ 。早稲
    田大学卒。早稲田大学教授。

出典・・群黎(ぐんれい)(岩田正著「短歌のたのしさ」) 

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