名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞


雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと
                    田捨女
                    
(ゆきのあさ にのじにのじの げたのあと)

意味・・一面に真っ白な雪の朝、きれいな雪の上に二の字
    二の字の下駄の足跡がついている。

    この句は6歳の時に作って人を驚かせたと言い伝え
    られています。

作者・・田捨女=でんすてじょ。1634~1698。

出典・・続近世奇人伝。

世の中に さらぬ別れの なくもがな 千代もと祈る 
人の子のため          
                  在原業平

(よのなかに さらぬわかれの なくもがな ちよもといのる
 ひとのこのため)

意味・・この世の中に、避けることのできない死別などなければ
    よいのに。親が千年も生きてくれるようにと願っている
    子のために。 

    母親から「私もこの年になったので、永久の別れがいつ
    来るか分からない。それで是非一度会いたい」という
    手紙を貰ったことへの返歌です。

注・・さらぬ別れ=逃れない別れ、死別。
   人の子=業平自身をさす。

作者・・在原業平=ありわらのなりひら。825~880。

出典・・古今和歌集・901、伊勢物語84段。

梅一輪 一輪ほどの 暖かさ   
                     服部嵐雪

(うめいちりん いちりんほどの あたたかさ)

意味・・梅が一輪だけ咲いた。まだ冬だけれども、どこか
    にほんの少し暖かさが感じられるようで、春の訪
    れがま近いと思われる。

    寒中にわずかながら春のいぶきを感じとって、梅
    の一輪に春への期待を詠んでいます。

    この句は「梅一輪。一輪ほどの・・」と切られて
    いるのだが、「一輪一輪ほどの・・」と続けて読
    んで「一輪つづ開くに連れて次第に暖かさを増し
    てくる」と解釈も出来ます。

作者・・服部嵐雪 =はっとりらんせつ。1654~ 1707。
    芭蕉に師事。

出典・・句集「庭の巻」(笠間書院「俳句の解釈鑑賞事典」)


いとほしや 見るに涙も とどまらず 親もなき子の
母をたづぬる
                  源実朝 

(いとほしや みるになみだも とどまらず おやも
 なきこの ははをたずぬる)

詞書・・道のほとりに幼き童(わらわ)の母をたづねて
    いたく泣くを、そのあたりの人にたづねしか
    ば、父母なむ身まかりにしと答え侍りしを聞
    きて詠める。

意味・・いじらしい事だなあ、見ていると涙がとまら
    ない、両親のいない子が母を探している。

    まだ子供なのに親を失って母親恋しさに泣き
    続けている。泣いてもどうにもならないが、
    親を慕(した)うのは子供が愛情を求めるいわ
    ば本能である。境遇や環境からいえばどうに
    もならないだけに、それによる悲しみは深い。
  
 注・・いとほし=気の毒だ、かわいそうだ。
    たづぬる=尋ぬる。探し求める。                              
    身まかり=死ぬこと。

作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~1219。
    頼朝の二男。第三代鎌倉将軍。甥に暗殺され
    た。

出典・・金槐和歌集・608。


わが宿は 越の白山 冬ごもり 行き来の人の
跡かたもなし
                良寛
              
(わがやどは こしのしらやま ふゆごもり ゆききの
 ひとの あとかたもなし)

意味・・私の家は、越後の白い雪に覆われた山の所にあって、
    冬の間は中に閉じこもってしまう。そのため、行き
    来の人はもちろん、足跡も見られないことだ。
 
    雪が降り積もった厳しさを詠んでいます。

 注・・越(こし)=越後。福井・石川・富山・新潟。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。新潟県出雲崎町
    で生まれた。
 
出典・・谷川敏朗「良寛全歌集」。


眼も鼻も 潰え失せるたる 身の果てに しみつきて鳴くは
なにの虫ぞも
                   明石海人

(めもはなも ついえうせたる みのはてに しみつきて
 なくは なにのむしぞも)

意味・・病状が進行して、鼻もつぶれ、また眼もいよいよ
    見えなくなってしまった。そんな病み衰えた身で
    あるが、その身に染み通るような清らかな声で鳴
    いている虫がいる。心地いいものだ。なんという
    虫なんだろう。

    明石海人が患っているのはハンセン病です。日本
    ではすでに克服された病となりましたが、かって
    は不治の病として大変恐れられていました。感染
    力はとても弱いのですが、伝染病であるため、患
    者は社会から隔離されて一生を医療施設の中で過
    ごさねばなりませんでした。明石海人も、そんな
    孤独な病者の一人でした。

    ハンセン病が進むと抹消神経に麻痺が起こります。
    視力も臭覚も奪われ残ったのは聴覚だけです。

    病状が進み、行動範囲も狭ばめられて行く中、絶
    望感で生きる望みを失うのではなく、ささやかな
    事にでも喜びを見出して詠んでいます。

 注・・なにの虫ぞも=何の虫だろう、と問いかけの言葉。

作者・・明石海人=あかしかいと。1901~1939。静岡師
    範学校卒。小学校教師。ハンセン病と診断され長
    島愛生園で療養生活を送る。闘病の歌が「新万葉
    集」に収録される。歌集「白描」を出す。

出典・・栗本京子著「短歌を楽しむ」。
 


このごろは 花も紅葉も 枝になし しばしな消えそ
松の白雪
                      後鳥羽院
               
(このごろは はなももみじも えだになし しばし
 なきえそ まつのしらゆき)

意味・・このごろは花も紅葉も枝にない。だからしばらく
    消えてくれるな。松に積もった白雪よ。

 注・・な消えそ=「な・・そ」は禁止の意味を表す。
     消えないでくれ。

作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1239年没、60歳。新古今
    和歌集の撰集を命じる。鎌倉幕府の打倒を企て、
    隠岐に流された。

出典・・新古今和歌集・683。


新しき 年の始めは いや年に 雪踏み平し
常かくにもが
               大伴家持
            
(あたらしき としのはじめは いやとしに ゆきふみ
 ならし つねかくにもが)

意味・・新しい年の初めには、来る年も来る年も、雪を
    踏みならして、いつもこのように賑(にぎ)わし
    く集まりたいものだ。

    この歌の左注には、「右の一首の歌は正月二日、
    守(かみ)の舘に集まって宴を催した。その時、
    降る雪が多く積もっていたので、大伴家持がこ
    の歌を作った」とあります。

    正月の賀宴や新年会がも催されるのは喜ばしい
    ことだ、という気持ちを詠んでいます。

 注・・いや年=弥年。毎年。年毎に。
    雪踏み平(なら)し=雪を踏みつけて平らにして。
     多くの人が訪れることをいう。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。
    大伴旅人の長男。中納言・従三位。万葉集後期
    の代表的歌人。

出典・・万葉集・4229。


ながきよの とをのねぶりの みなめざめ なみのり
ふねの おとのよきかな         
               
(長き夜の 遠の眠りの みな目覚め 波乗り舟の 
 音の良きかな)

意味・・長い夜の眠りはすでに目覚めている。
    私は宝船に乗って心地よい波の音が聞こえて
    来る夢を見た。
    このような吉夢が見られた事は、今年は良い
    年になりそうだ。

    回文(上から読んでも下から読んでも同じ
    文字の配列)です。 

    この歌は16世紀中国の「日本風土記」の本
    に紹介されたものです。
    近世、初夢の晩(正月二日)に吉夢を見る為に
    宝船の絵を枕の下に敷く風習があった。
    その絵に添えて書かれた歌です。


嘆かじな 思へば人に つらかりし この世ながらの
報いなりけり
                 皇嘉門院尾張 

(なげかじな おもえばひとに つらかりし このよ
 ながらの むくいなりけり)

意味・・嘆くまい。考えて見ると、今、人が私に薄情で
    あるのは、かって私が人に薄情だった事の現在
    への報いなのだから。

    恋人に嫌われた悲しみを詠んでいます。

作者・・皇嘉門院尾張=こうかもんいんのおわり。生没
    年未詳。皇嘉門院に仕えた女房(女官のこと)。

出典・・新古今和歌集・1400。

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