名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

もみぢ葉の 流れてとまる 水門には 紅深き 波や立つらむ
                        素性法師

(もみじばの ながれてとまる みなとには くれないふかき
 なみやたつらん)

意味・・(龍田川にはもみじ葉が流れているが)もみじ葉の
    流れて行き着く河口では、(もみじ葉がたまって)
    紅色の濃い波が立っているであろうか。

    屏風に、龍田川に紅葉が流れているさまを描いて
    あったのを題として詠んだものです。       

 注・・とまる=泊まる。行き着く所。
    水門(みなと)=川の口・入り江の口などで、
       両岸が狭くなっている所。

田子の浦ゆ うち出でて 見れば真白にそ 富士の高嶺に
雪は降りける                
             山部赤人(やまべのあかひと)
             (万葉集・321)
(たごのうらゆ うちいでて みればましろにそ ふじの
 たかねに ゆきはふりける)

意味・・田子の浦を通って眺望のきく所へ出て見ると、
    真っ白に富士の高い峰に雪が降り積っている
    ことだ。

    作者の位置を明らかにしつつ、富士の景観を
    嘆美したものです。簡潔でよく形も整い、声調
    も張り満ちた歌になっています。

    「新古今集・675、百人一首・4」では、

    「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の
    高嶺に 雪は降りつつ」(山部赤人)

    と収められています。

 注・・田子の浦=駿河国(するが・静岡県)の海岸。
    白妙(しろたえ)=こうぞの木の繊維で織った布
     のように真っ白い状態をいう。富士の枕詞。

ときはなる 松の緑も 春くれば いまひとしほの
色まさりけり     源宗干(みなもとむねゆき)

(ときわなる まつのみどりも はるくれば いま
 ひとしおの いろまさりけり)
 
意味・・松の緑は一年中、色が変わらないが、その松
    までも春が来たので今日は一段と色がまさって
    いることだ。

    「松の緑も」というこで、他の木々には当然
    春色が訪れている事を語っています。

 注・・ときは=常盤、永久に状態の変わらないこと。
    いまひとしほ=さらに一段と。

手をついて 歌申しあぐる 蛙かな   山崎宗鑑

(てをついて うたもうしあぐる かわずかな)

意味・・雨模様の空の下で、けろりとした顔で
    鳴いている蛙の様子は、まるで偉い人
    の前でかしこまって、手をついて歌を
    申し上げているような姿である。

    「古今集」仮名序の「花に鳴く鶯、水に
    住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの
    いづれか歌をよまざりける」という有名な
    一節を念頭に置いています。

かたちこそ 深山がくれの 朽木なれ 心は花に
なさばなりなむ           兼芸法師

(かたちこそ みやまがくれの くちきなれ こころは
 はなに なさばなりなん)

意味・・私はみかけこそ奥山に隠れた朽ち木ですがね。
    けれども、心にはきれいな花を咲かそうと
    思えば咲かせられますよ。

    作者の姿を軽蔑されたので詠んだ歌です。

 注・・かたち=顔かたち、容貌。
    深山がくれ=奥山に隠れている。

花見んと 植えけん人も なき宿の 桜は去年の 春ぞ咲かまし
                大江嘉言(おおえのよしとき)

(はなみんと うえけんひとも なきやどの さくらはこぞの
 はるぞさかまし)

意味・・花を見ようと思って、植えた人が亡くなった
    この家の桜は、去年の春に咲いたらよかったで
    あろうに。

    ある人が桜を植えたその後に亡くなってしまった。
    その翌年、初めて花が咲いたのを見た友人である
    嘉言(よしとき)が詠んだ歌です。

    親しかった人の生前の願いが、その人の死後に
    実現した時の悔しさ、嘆きを詠んでいます。

相思はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼の後に 額づくがごと
                        笠女郎

(あいおもわぬ ひとをおもうは おおでらの がきの
 しりえに ぬかずくがごと)

意味・・互いに思わない人を一方的に思うのは、大寺
    の餓鬼を後から額をこすりつけて拝んでいる
    ようなものだ。

    片思いは仏ならぬ餓鬼に、しかも後から拝む
    ように、何のかいもないことだと、我が恋を
    自嘲するものです。

 注・・相思はぬ=片思いのこと。
    後(しりえ)に=後から。

入門は 凍てわらじ履き 永平寺   倉橋羊村

(にゅうもんは いてわらじはき えいへいじ)

意味・・永平寺は修業の厳しさで知られています。
    入門するには、凍てわらじを履き厳しさを
    味わってその覚悟をするということです。

    修業の目標は「私は坊主です、俗世の事は
    何も気にしません、耳障りな言葉も気に
    なりません」、「吾・唯・知・足」など。
    

香具山の 尾上にたちて みわたせば 大和国原
早苗とるなり            上田秋成

(かぐやまの おのえにたちて みわたせば やまと
 くにはら さなえとるなり)

意味・・香具山の山頂に立って見渡すと、大和の
    平原では田植え仕度に苗代田から早苗を
    取っている。

    初夏の風物を大きく伸びやかに描いています。

    万葉集の「大和には群れ山あれどとりよろふ
    天の香具山、登り立ち国見をすれば国原は煙
    立ち立つ」を念頭に置いています。

    (大和の国には多くの山々があるけれど、
     中でも立派に整っているのは天の香具山だ。
     その山に登り国見をしてみると、国の広い
     所には炊飯の煙があちらこちらに立って、
     民が安泰な生活をしている)      

 注・・香具山=奈良県桜井市にある山。
    尾上(おのえ)=山の上。

梓弓 春立ちしより 年月の 射るがごとく 思ほゆるかな
                     凡河内みつね

(あずさゆみ はるたちしより としつきの いるが
 ごとく おもおゆるかな)

意味・・梓弓につがえて射る矢は見る間に飛び去るが、
    その弓に張るという言葉に違わず、春になつた
    と思うやいなや、それから始まった新しい年月
    が矢を射たようにすばやく飛んでいく。

    「光陰矢の如し」です。

    梓弓(あずさゆみ)=春に掛る枕詞。

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