名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

裾に置て 心に遠き 火桶かな
                     蕪村(ぶそん)

(すそにおいて こころにとおき ひおけかな)

意味・・寒い外から帰ってきて、火桶を裾に置いて
    手をあぶっていても、心までは中々暖まら
    ない。

    嫌な事があり、外から帰ってきて火鉢に当
    たるのだが、むしゃくしゃした心は暖まらず、
    ほぐされない。

 注・・火桶=木をくぐり抜いて造った火鉢。

作者・・蕪村=与謝蕪村。1716~1783。南宗画家。

うづみ火の あたりは春の ここちして ちりくる雪を
花とこそ見れ         素意法師(そいほうし)

(うずみびの あたりははるの ここちして ちりくる
 ゆきを はなとこそみれ)

意味・・灰の中にいけてある炭火のあたりは春の
    ような気持ちがして、散ってくる雪を花
    のようにながめていることだ。

 うづみ火=埋火。灰の中にいけてある炭火。

作者・・素意法師=生没年未詳。紀伊守従五位と
     なったが出家した。

年を経て 変らぬ梅の 匂ひにも なほいにしえの
春ぞ恋しき           散逸物語

(としをへて かわらぬうめの においにも なお
 いにしえの はるぞこいしき)

意味・・何年も過ぎても変らぬ梅のよい香りが
    ただよっているが、やはり好きな人と、
    かって一緒に見た昔の春の梅が恋しく
    思われる。

 注・・散逸物語=散らばって今では無い昔の
     物語。

都だに 消えあへず 降る白雪に 高野の奥を
思ひこそやれ          読人知らず

(みやこだに きえあえず ふるゆきに たかのの
おくを おもいこそやれ)

意味・・都でさえ、十分消えないうちに白雪が
    降っているので、あなたの住む高野の
    奥はどんなにきびしい毎日かと思いや
    っています。

    都から高野山に移り住んだ人に贈った
    歌です。

 注・・高野=和歌山県高野山。

おほわだ波 うちあがり 岩をのりこゆる そのくりかへし
心に沁む        鹿児島寿蔵(かごしまじゅぞう)

(おおわだなみ うちあがり いわをのりこゆる その
 くりかえし こころにしむ)
  
意味・・湾の中で波が岩に打ち上がり、乗り越えて白波を
    立てている。その永遠の繰り返しを思い、顧みる
    と、人の存在する短い時間をしみじみと思うのだ。
    
    老妻を失った晩年の作です。

 注・・おほわだ=大曲。海の湾入した所。

作者・・鹿児島寿蔵=詳細不詳。

思わじと 思うも物を 思うなり 思わじとだに
思わじやきみ         沢庵(たくあん)

(おもわじと おもうもものを おもうなり おもわじ
 とだに おもわじやきみ)

意味・・思うまいと思い込むことも、そのことに
    とらわれて思っているということなので
    す。思うまいとさえ思わないことです。

    「思」の語を重ねて詠んだ歌として、
    「思ふまじ 思ふまじとは 思へども思
    ひ出して袖しぼるなり」があります。
     (意味は下記参照)

作者・・沢庵=1573~1645。大徳寺153世の往持。

参考歌です。

思ふまじ 思ふまじとは 思へども 思ひ出だして
袖しぼるなり          良寛(りょうかん)

(おもうまじ おもうまじとは おもえども おもい
 いだして そでしぼるなり)

意味・・亡くなった子を思い出すまい、思い出すまい
    とは思うけれども、思い出しては悲しみの涙
    で濡れた着物の袖を、しぼるのである。

    文政2年(1819年)に天然痘が流行して子供が
    死亡した時の歌です。

埋火もきゆやなみだの烹る音  芭蕉(ばしょう)

(うずみびも きゆやなみだの にゆるおと)

詞書・・少年を失へる人の心を思ひやりて。

意味・・終日火桶に寄りながら、亡き人を思っている
    お宅では、葬(ほうむ)り落ちるあなたの涙の
    ために、埋火もさぞかし消えがちなことであ
    りましょう。いま私に、その涙がこぼれて、
    埋火に煮える切ない音まで、聞えてくるよう
    に思われます。

    埋火という言葉に、終日なすこともなく火鉢
    をかかえ、悲しみに沈んでいる人の面影が見
    えてきます。

 注・・埋火(うずみび)=炉や火鉢の灰に埋めた炭火。

作者・・芭蕉=1644~1694。奥の細道、笈の小文など。

あらざらむ この世のほかの 思い出に 今ひとたびの 
逢うこともがな      和泉式部(いずみのしきぶ)

(あらざらん このよのほかの おもいでに いま
 ひとたびの あうこともがな)

詞書・・病に臥(ふ)せていました頃に、人のもと
    に贈った歌。

意味・・病気も重くなり、私はまもなくこの世を
    去ると思いますが、せめてあの世への思
    い出として、もう一度だけ逢って欲しい
    なあ。
    
    逢いたい相手は誰か不明です。
    和泉式部は4回結婚をしている。
    初めの夫、橘道貞(みちさだ)と別れると
    為尊(ためたか)親王、その死後、敦道(
    あつみち)親王と結婚。再び親王が死亡
    すると藤原保昌(やすまさ)の嫁になる。
    この歌は比較的若い頃に詠まれたと言わ
    れています。

 注・・あらざらむ=生きていないであろう。
    この世のほか=「この世」は現世。来世・
     死後の世界。
    もがな=願望を表す助詞。・・であって
     ほしいなあ。

作者・・和泉式部=980頃の生まれ。70歳くらい。
     「和泉式部日記」他。



    

忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の
惜しくもあるかな       右近(うこん)

(わすらるる みうをば おもわず ちかいてし ひとの
 いのちの おしくもあるかな)

意味・・あなたに忘れられる私の身を、少しも私は
    辛(つら)いとは思いません。ただ、私への
    愛を神に誓ったあなたの命が、神罰を受け
    て縮まるのではないかと、惜しまれるので
    す。

    当時は神仏に対する信仰が強く、神に誓っ
    た愛を破ると神罰が下って命を失うに違い
    ないと信じられていた。
    相手の男に捨てられながらも、なおその男
    の身を案じるという、愛を捨てることの出
    来ない悲しみが詠まれた歌です。

 注・・忘らるる=恋をしている相手の男性に忘れ
     られる。
    誓ひてし=いつまでも心変わりせずに愛す
     ると、神かけて約束した。
    惜しく=失うのにしのびない。男が神罰を
     こうむって命を落とすことを心配する。

作者・・右近=生没未詳。十世紀前半の女性歌人。

はかなくて またや過ぎなん 来し方に かへるならひの
世なりとも         兼好法師(けんこうほうし)

(はかなくて またやすぎなん こしかたに かえる
 ならいの よなりとも)

意味・・過ぎてきた今までに再びかえる習わしが
    たとえこの世にあったとしても、やっぱ
    りまた、なんとなしにはかなく日々を過
    ごすであろうか。

 注・・はかなく=たいしたこともない、むなしい。

作者・・兼好法師=吉田兼好。1283~1352。鎌倉
    時代から南北時代の歌人。著書「徒然草」。

このページのトップヘ