名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

花の木も いまは掘り植えじ 春たてば 移ろう色に
人ならひけり              素性法師

(はなのきも いまはほりうえじ はるたてば うつろう
 いろにひとならいけり)

意味・・たとえ花の咲く木だからといって、もう今後は
    掘って来て植えない事にしょう。
    なぜかというと、春になれば花は咲いたあとで
    必ず色あせるのだから、人がそれをまねて人心
    軽薄になるに決まっているのだから。

    冬から春になると、張切っていた気持が一瞬
    弛み、その反動で気がふさがるような状態を
    警戒した歌です。
    春とは大学合格など。

作者・・素性法師=生没年未詳。760年頃左近将監。

出典・・古今和歌集・92
    

後供は 霞引きけり 加賀の守   小林一茶

(あとどもは かすみひきけり かがのもり)

 注・・後供=従者、したっぱの者。
    加賀の守=加賀候の参勤交代での大名行列。

意味・・加賀守の百万石の威容を整えた大名行列が
    通っている。それは先払いの制止に続いて、
    先箱・先槍・弓・鉄砲・お籠に徒歩(かち)の
    供ぞろいを従えて、人数は数百人、長さは
    堂々数丁(数百メートル)に及び行列の後尾は
    はるかかなたにあって、霞にまぎれている。
    

    参勤交代の威容を賛美するというより、「後供」
    で、皮肉ぽい目線でこれを眺めているように思い
    ます。

嵐吹く 三室の山の もみじ葉は 竜田の川の 
錦なりけり
                 能因法師

(あらしふく みむろのやまの もみじばは たつたの
 かわの にしきなりけり)

 注・・嵐=山から吹きおろす風のこと。
    三室の山=奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)に
      ある神南備(かんなび)山のこと。
    竜田の川=生駒郡を流れる川。
    錦なりけり=「錦」は数種の色糸で模様を
      織り出した厚地の織物。三室山の色
      とりどりの紅葉が、竜田川に浮かんで
      流れている景を「錦」に見立てたもの。

意味・・嵐が吹いている三室の山の紅葉の葉は、
    竜田川に散って流れ、川面は織り出された
    錦であることだ。

    古今集の「滝田川もみじ葉流れる神なびの
    三室の山にしぐれ降るらし」を念頭に置いた
    歌です。
    歌意は、竜田川に紅葉の葉が流れている、
    神奈備の三室の山に時雨が降って紅葉の葉を
    散らしているらしい。

作者・・能因法師=のういんほうし。988~?。

出典・・後拾遺和歌集・366、百人一首・69。
   

   

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて
なほ聞こえけれ    
           藤原公任(ふじわらのきんとう)
          (千載和歌集・1035・百人一首・55)
(たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそ
 ながれて なおきこえけれ)    

意味・・滝の水の音は聞こえなくなってから長い年月
    がたってしまったけれども、素晴らしい滝で
    あったという名声だけは流れ伝わって、今で
    もやはり聞こえてくることだ。

    詞書によれば京都嵯峨に大勢の人と遊覧した折、
    大覚寺で古い滝を見て詠んだ歌です。

    後世この滝を「名古曾(なこそ)の滝」と
    呼ぶようになった。

 注・・名こそ流れて=「名」は名声、評判のこと。
       「こそ」は強調する言葉。
       名声は今日まで流れ伝わって、の意。
       
作者・・藤原公任=966~1041。権大納言・正二位。漢詩、
     和歌、管弦の才を兼ねる。和漢朗詠集の編者。

       

冬の夜や 針うしなうて おそろしき  
                  
            梅室
            (梅室家集)
(ふゆのよや はりうしのおて おそろしき)

意味・・身も心も凍る冬の夜の寒さの中、
    黙々と針仕事を続けてきて、ふと
    気づくと針が一本なくなっている。
    思わず、恐ろしさに身がふるえる。

    この頃の日常生活にひそむ恐怖感を
    巧に表現しています。

 注・・冬の夜=刻々と冷え込みが厳しくなる
     ひっそりした夜。

作者・・梅室=1769~1852。桜井梅室。家業の
     刀研師の職を36歳で弟に譲り、隠棲。


    

人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の
香ににほひける           
                 紀貫之

(ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなぞ
 むかしの かににおいける)


意味・・そうおっしゃるあなたの心は、さあどうでしょ
    うか。心中のほどは分りません。でも昔馴染み
    のお家では、確かに梅の花のほうは昔のままの
    香りを薫らせて咲いていますね。

    久しぶりに訪れた貫之に向かって家の主人が
    「お宿はこのようにちゃんとありますのに(
    なぜいらっしやらないのですか)」と、疎遠な
            心を恨んで皮肉ったのに対し、「ふるさと」
    の自然は確かに昔のままだが、そこに住む人
    の心までは定かでないと、相手の言葉尻を捉
    え、同じ皮肉を込めて逆襲したものです。
    お互いに皮肉が言える親しい間柄だから言え
    ことです。

 注・・ふるさと=以前住んでいた里。
    花=一般に「花」というと桜をさすがねここ
    では梅。
    香ににほひける=「にほふ」は色彩の華やか
     さを表す語だが、平安時代になると臭覚的
     な意味を合わせ持つようになった。

主人の返歌

花だにも 同じ心に 咲くものを 植えたる人の
心知らなん

前後を会話風に訳すと

主人「ずいぶんお見限りでしたね。お宿は昔の
    ままなんですよ」
貫之「たしかにお宿も梅の花も昔のままだけど
   住む人のお気持はどうでしょうか」
主人「花だって変わらないのですから、それを
   植えた人の心もわかって下さいよ」

   一首の構成は、人の心は変わりやすく、
   自然は変わらない、という古来の観念を
   基本としています。

作者・・紀貫之=866~945。「古今集」の中心
    的選者。仮名序も執筆。

出典・・古今和歌集・42、百人一首・35。 

ささなみの 志賀の大わだ 淀むとも 昔のひとに またも
逢はめやも                 柿本人麻呂

(ささなみの しがのおおわだ よどむとも むかしの
 ひとに またもあわめやも)

 注・・大わだ=湾曲して水の淀む所で、舟遊びの適所。

意味・・志賀の大わだが変わらずに淀んでいても、昔の
    あの人にもう一度会うことができようか。
    いや出来ない。

    変わらない自然に人生のはかなさを対比させて
    います。

作者・・柿本人麻呂=かきのもとひとまろ。生没年未詳。
     710年頃死亡。

出典・・万葉集・32。

    

畑打や 子が這い歩く つくし原   小林一茶

(はたうちや こがはいあるく つくしはら)

意味・・土筆の生えている原に、子供を勝手に
    這(は)いまわらせて、親は畑打ちに
    専念している。

    空には雲雀(ひばり)がさえずっていそうな
    一見のどかな田園です。
    一茶はきびしい農耕の実態を見ています。
    畑打ち・畝(うね)立て・種まきなど忙しい
    農作業に追われて子供を顧みる暇がない姿
    を詠んでいます。
    農村に行けば今でも見られそうな風景です。
    

山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も 
かれぬと思へば
            源宗干(みなもとむねゆき)
            (古今集・315、百人一首・28)

(やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめも
 くさも かれぬとおもえば)

 

意味・・山里はいつでも寂しいものだが、とりわけ冬になり
    寂しさが増して来たことだ。春の花、秋の紅葉を訪れ
    た人目も、見るもののない冬には離(か)れ、わずかに
    目を慰めてくれた草も枯れてしまった、と思うと。

    山里に住む人の心で、初冬の感じを詠んでいます。
    寂しい山里に住んできて、春や秋には人目もあった
    が、その人目も冬には絶える人事の上での寂しさ、
    草も枯れてしまう自然の上での寂しさ、それに
    これからの長いひと冬を寂しさの中に住むことを
    思う、心情での寂しさ、これらを重ねたものです。

 注・・人目=人の訪れ、出入り。
    かれぬ=人目も離(か)れと草木が枯れを掛けている。

作者・・源宗宇=~939年没。正四位下・右京大夫。三十六
     歌仙のひとり。
   
    

    
    

山里は 秋こそことに わびしけれ 鹿の鳴く音に 目を
さましつつ                 壬生忠岑

(やまさとは あきこそことに わびしけれ しかのなく
 ねに めをさましつつ)

 注・・わびし=気落ちして心が晴れないさま。せつない。
        心細い、もの寂しい。
    鹿の鳴く音=牡鹿(おじか)の妻恋の声で、哀れさを
        誘われる。

意味・・山里では、秋がほかの季節と比べてひときわ寂し
    くてならぬものだ。どこかで鳴く鹿の声にしばしば
    眠りを覚まされると、次から次へと物思いに追われ
    てなかなか寝つけない。

    山里はわびしい所、そこに住む己のわびしい思いを
    基調として、これに、わびしい時としての秋、また
    その夜、さらに、わびしさを誘う鹿の声・・と、
    わびしさの限りを尽くした趣です。

    山里のわびしさ・・人がいないので暖かく接して
        くれる人がいない---寂しさ。
    己のわびしさ・・明るい見通しや希望がなかったり、
        悩み事があったり---憂鬱感。
    秋のわびしさ・・木の葉が落ち、草木が枯れていく
        のと、自分の体力の衰えを重ねる---悲哀感。
    夜のわびしさ・・静かで心細い。
    鹿の鳴き声・・聞くと一緒に泣きたくなる---哀れさ。

作者・・壬生忠岑=生没年未詳。907年頃活躍した人。古今集
     の撰者の一人。

出典・・古今和歌集・214。
        

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