名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

み山辺に 時雨れてわたる 数ごとに かごとがましき
玉柏かな        源国信(みなもとのくにのぶ)

(みやまべに しぐれてわたる かずごとに かごと
 がましき たまかしわかな)

意味・・山辺に時雨が降って通り過ぎるその度ごとに、
    愚痴を言っているかのような音をたてる柏の
    広葉であることだ。

 注・・かごと=言い訳、愚痴。
    玉柏=柏木の美称。柏の広葉はすぐには落葉
     しない。

作者・・源国信=1111年没。43歳。正二位権中納言。

行く水は 堰けばとまるを 紅葉ばの 過ぎし月日の
また返へるとは         良寛(りょうかん)

(ゆくみずは せけばとまるを もみじばの すぎし
 つきひの またかえるとは)

意味・・流れる水は堰き止めれば止まるのに、過ぎて
    しまった月日が再び戻ってくるとは聞いた事
    がないなあ。

    堰で秋を留めると詠んだ歌として、
    「落ちつもる紅葉を見れば大井川いせきに秋も
    とまるなりけり」があります。
    (意味は下記参照)

 注・・紅葉ばの=「過ぎ」の枕詞。

作者・・良寛=1758~1831。

参考歌です。

落ちつもる 紅葉を見れば 大井川 ゐせきに秋も
とまるなりけり    藤原公任(ふじわらのきんとう)

意味・・大井川の堰(いせき)に散り落ちて積もっている
    紅葉をみると、堰は水をせき止めるだけでなく
    紅葉を止め、秋という季節もここに止まるので
    あったよ。

    冬になったが、まだいせきに秋は残っている
    という事を詠んでいます。

 注・・ゐせき=堰。水をせき止める施設。

去るとても香は留めたり園の梅   
             吉田松陰(よしだしょういん)

(さるとても かはとどめたり そののうめ)

意味・・梅園を去った今も、梅の香が服に残っている。
    いい匂いだ。

    松蔭はペルーがやって来た時、米国の見聞を
    広めようとして密航を企てたが、実現せず、
    逆に密出国の罪で同僚の金子重輔とともに罰
    せられ牢に入れられた。同罪であるが金子は
    劣悪な牢に入れられ獄死した。その時の哀悼
    の句です。同罪でなぜ違う罰を受けるのか。
    人間はなぜ人間を差別するのかと苦悩する。
    「香」は功績であり、人間らしさを求めた
    闘魂です。

    「梅の香」でこの句のように「徳」の意味で
    詠んだ句に、「未来までその香おくるや墓の
    梅」があります。(意味は下記参照)

作者・・吉田松陰=1830~1859。享年30歳。1854年ぺりーが
     来航した時、密航を企て入牢。その後出獄して松下
     村塾を開講。高杉晋作、伊藤博文、山形有朋等を
     育てる。1859年の安政の大獄で捕らえられ獄死する。

参考句です。

未来まで その香おくるや 墓の梅  童門冬二(どうもんふゆじ) 

(みらいまで そのかおくるや はかのうめ)

意味・・墓参りに来たら、心地よい梅の香りがする。
    この香りは、墓の中に眠る人の徳であろう。
    しかもその徳は、未来にまで残したい家訓の
    ような徳である。生前の意志を継いで、その
    徳を守っていこう。

    家訓のような徳、例えば徳川家康の家訓。

   「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し
    急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なし」

   (人間の一生は重い荷物を背負って遠い道を歩い
    ているのと似ている。従って、人生は忍耐し努
    力して一歩一歩着実に歩いていかなければなら
    ない。・・・・)


木の葉ちる 宿は聞きわく ことぞなき 時雨する夜も
時雨せぬ夜も      源頼実(みなもとのよりざね)

(このはちる やどはききわく ことぞなき しぐれ
 するよも しぐれせぬよも)

意味・・木の葉が散っている私の住まいでは、時雨の
    音か木の葉の散る音なのか、聞いていて判別
    することが出来ないことだ。時雨する夜でも
    時雨しない夜でも。

    落ち葉雨の如し、を詠んだ歌です。

 注・・時雨=秋から冬にかけて、降ったり止んだり
     する小雨。

作者・・源頼実=生没年未詳。後朱雀院に仕え、蔵人
     左衛門小尉となる。

三日月の また有明に なりぬるや うきよにめぐる
ためしなるらん    藤原教長(ふじわらののりなが)

(みかづきの またありあけに なりぬるや うきよに
 めぐる ためしなるらん)

意味・・三日月が再び有明月となったが、こうして
    夜々に廻り廻る月が、人が憂き世に輪廻す
    る証しなのだろうか。

    人の世の栄落を月の満ち欠けに譬えている。

 注・・有明=夜明け近くまで出ている月。
    うきよ=憂き世。つらい世の中。
    めぐる=廻る。月が空を廻るの意と、人の
     行き続ける意を掛ける。輪廻する。
    ためし=試し。証拠、手本。

作者・・藤原教長=1109~。参議正四位下。保元の
     乱で常陸(むつ)に配流される。

白玉は 人に知らえず 知らずともよし 知らずとも
我し知れらば 知らずともよし 
         元興寺の僧(がんごうじのほうし)

(しらたまは ひとにしらえず しらずともよし
 しらずとも われししれらば しらずともよし)

意味・・白玉の真価は人に知られていない。しかし、
    人は知らなくてもよい。人は知らなくても、
    私さえ知っていたら、人は知らなくてもよい。

    旋頭歌(五七七五七七)です。
    「シラ」「シレ」を意識的に使用した歌。
    738年に詠まれた歌です。

 注・・白玉=真珠。鰒貝(あわびがい)の中に隠され
     ている。自分の優れた才能を譬えている。
    元興寺=奈良遷都ごろ建てられた。

作者・・元興寺の僧=詳細不明。

来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは
待たじ 来じと言うふものを 
            坂上郎女(さかのうえいらつめ)

(こんというも こぬときあるを こじというを こん
 とはまたじ こじというものを)

意味・・あなたが来ようと言っても来ないですっぽかす
    人なのに、来まいとおっしゃるのにひよっとし
    たら来るかしらと待ったりはしますまい。来な
    いとおっしやるんだもの。

    「来」を繰り返す戯(ざ)れ歌です。
    心の底ではもしや「来む」かという待つ気持ち
    があります。

作者・・坂上郎女=生没年未詳。大伴旅人は兄、大伴
     家持は甥にあたる。

山高み 白木綿花に 落ちたぎつ 滝の河内は
見れど飽かぬかも    笠金村(かさのかなむら)

(やまたかみ しらゆうばなに おちたぎつ たきの
 こうちは みれどあかぬかも)

意味・・山が高いので、白い木綿(ゆう)で作った花
    のように、巌を噛んで真っ白い飛沫をあげ
    ながら、激した水がドーッと落ちているこの
    吉野川の絶景は、いくら見ても見飽きない。
    なんとまあ美しいことだろう。

    養老七年(723)に吉野離宮で詠んだ歌です。

 注・・白木綿(しらゆう)=斎串(いくし)としての
     榊(さかき)の枝などにつけた白い木綿。
     木綿は楮(こうぞ)の皮で作った。
    たぎつ=激つ。水が激しく流れる。
    河内=川を中心とした小生活圏。
    離宮=奈良県吉野の宮滝付近にあった離宮。

作者・・笠金村=生没年未詳。宮廷歌人。

慰もる 心はなしに かくのみし 恋ひやわたらむ
月に日に異に          読人知らず

(なぐさもる こころはなしに かくのみし こいや
 わたらん つきにひにけに)

意味・・心の紛れる事はいっこうになくて、こんなに
    恋い続けてばかりいなければならないのか。
    月に日に苦しみは増すばかりで。

 注・・慰もる=心が晴れる、気が紛れる。
    月に日に異(け)に=毎月毎日に、月ごと日ご
     とに。

入日さす 麓の尾花 うちなびき たが秋風に
鶉鳴くらん     源通光(みなもとのみちてる)

(いりひさす ふもとのおばな うちなびき たが
 あきかぜに うずらなくらん)

意味・・夕日のさす麓の尾花がなびき、その中に
    伏して、だれの飽き心のためにか、秋風に
    辛(つら)くなって、鶉は鳴いているので
    あろうか。

    夕日のさす山麓の秋風になびく尾花の中
    でわびしく鳴く鶉に、男の飽き心に泣き
    わびている女性の面影を見ています。

 注・・入日=夕日。
    尾花=薄の穂。
    なびき=横に倒れ伏す。尾花がなびく意
     と鶉が伏すの意を掛ける。
    秋風=「秋」に「飽き」を掛ける。
    鶉=「鶉」の「う」に「憂し」を掛ける。

作者・・源通光=1248年没。62歳。従一位太政大臣。

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