名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に 藻塩たれつつ わぶと
答へよ                      在平行平

(わくらばに とうひとあらば すまのうらに もしお
 たれつつ わぶとこたえよ)

 注・・わくらば=たまさかに、まれに。
    須磨の浦=神戸市須磨区の海岸。
    藻塩たれ=当時は塩を採るため海藻に海水をかけて焼い
       ていた。涙を流す意の「しほたる」と海藻に海水
       をかけるの意の「藻塩たる」を掛けている。
    わぶ=心細く暮らす。

意味・・たまたま、私のことを尋ねてくれる人があったならば、
    須磨の浦で藻塩草に塩水をかけて、涙ながらに嘆き
    暮らしていると答えてください。

    文徳天皇との事件にかかわり須磨に流罪になった時に
    親しくしていた人に贈った歌です。 

    超一流企業の重役が、社長と意見が対立したために、
    系列会社の片田舎の支店長に左遷させられたような
    心境です。   

五月まつ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする
                     読人知らず 

(さつきまつ はなたちばなの かをかけば むかしの
 ひとの そでのかぞする)

 注・・五月まつ=五月になって咲く。
    花橘=橘の花。
    袖の香=今様で言えば香水の香り。

意味・・五月を待って咲く橘が早くも咲いて、その香りが
    匂ってくる。それは昔親しかったあの人の袖の
    香りを思いださせ、私を思い出の国にいざなって
    くれる。

    香りを通じて思い出されてくる懐かしさを詠じた
    ものです。

東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ
                        柿本人麻呂

(ひんがしの のにかぎろいの たつみえて かえりみ
 すれば つきかたぶきぬ)

 注・・かぎろひ=炎、曙の光、朝餉の煙。
    かへり見すれば=「後を振返る」と「昔を振返る」を掛ける

    この歌は、軽皇子(かるのみこ)が安騎(あき)の野(奈良
    県宇陀郡)の旅に人麻呂がお伴した時、親の草壁皇子と
    この地に同伴した時を懐旧して詠んだものです。

意味・・東側の野には曙の光が美しく射し染めているのが見える、
    後を振返って見ると、西の空には月が傾いて没しよう
    としている。
   (東の方を眺めると炊飯の煙があちこちと立っている。
    これは民の生活が安泰していることだなぁ。
    振返って昔を思うと、親の草壁皇子が民に軸足を置いた
    政治が行われた賜物だ。憂愁を感じさせられるものだ)

    人麻呂は「今に見てみろ僕だって」と軽皇子が民に軸足
    を置いた施政の継続を願っています。

    

なのはなや 昼一しきり 海の音    与謝蕪村

(なのはなや ひるひとしきり うみのおと)

 注・・一しきり=ある期間盛んなこと。

意味・・菜の花だけの単調な光景に、昼間は潮騒(しおさい)
    の音がただ単調に聞こえていたのだが、いつの間
    にか海が凪(な)いで静寂(せいじゃく)の夕暮れに
    なった。
    
---------------------------------------------------
菜の花や 鯨もよらず 海くれぬ    与謝蕪村

(なのはなや くじらもよらず うみくれぬ)

 注・・くれぬ=暮れぬ

意味・・菜の花畑の広がる漁村では、鯨が近づくという
    大ニュースもなく、一日何事もなく暮れていった。
  
--------------------------------------------------
菜の花や 月は東に 日は西に    与謝蕪村

(なのはなや つきはひがしに ひはにしに)

意味・・見渡す限り菜の花が広がる夕方、東の空には
    上がったばかりの月が、そして西には沈み
    かけた夕日がある春らしい光景だ。

    平穏な一日が今日も無事に終わろうとして
    いるという安心感があります。

東風ふかば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
                         菅原道真

(こちふかば においおこせよ うめのはな あるじなしとて
 はるをわするな)

 注・・東風(こち)=東から吹いて来る風。
    おこせよ=遣せよ、送っておくれ。

意味・・春になって東風が吹いたならば、その風に託して
    花の香を西の大宰府まで送っておくれ、梅の花よ。
    主人がいなくなったからといって花咲く春を忘れ
    ないで欲しい。

    詞書に「大宰府に流される時、家の庭の梅を見て」
    とあります。
    心境として、イエスマンにならなかったばかりに、
    大宰府に左遷となった。残った同僚よ、私みたいな
    人がいたと、時折思い出して欲しい。

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち
国見をすれば 国原は 煙立ち立つ       舒明天皇

(やまとには むらやまあれど とりよろう あまのかぐやま
 のぼりたち くにみをすれば くにはらは けむりたちたつ)

 注・・群山=たくさん群がっている山々。
    とりよろふ=山としてりっぱにそなわり整っている。
    香具山=奈良県桜井市にある山。
    国見=高い所に登って国の形勢や民の生活を望み見る事
    国原=国土の広く平らな所。大和平野のこと。
    煙立ち立つ=煙があちらからもこちらからもしきりに
       立ちのぼる。「煙」は炊事をする煙。炊煙が多い
       のは、施政が行き届いて、民が富み栄えている事
       を示す。

意味・・大和の国には多くの山々があるけれど、中でも立派に
    そなわり整った天の香具山よ。その山に登り立って国見
    をして見ると国の広い所には煙があちらに立ちこちらに
    立ちしている。

    高い所から見下ろした壮大な景観が描かれ、炊飯の煙に
    庶民の繁栄が賛美されています。
    

鶯の 身をさかさまに 初音かな   其角

(うぐいすの みをさかさまに はつねかな)

意味・・新春、鶯が梅の木にくるりと逆様になって
    初音を聞かしている。

    鶯の身軽い動きや初音の心地よさを詠んで
    いるこの句を許六は「近年の秀逸(他より
    ずばぬけて優れた作品)」とほめています。
    一方、去来は「初鶯は身を逆様にしない」と
    その虚構性(つくりごと)を非難しています。

    いずれにせよ、其角の本領は斬新(ざんしん)
    な着想・表現にあります。

------------------------------------------------
鐘一つ うれぬ日はなし江戸の春    其角

(かねひとつ うれぬひはなし えどのはる)

意味・・あまり需要のない寺の鐘さえ、繁華の地
    江戸では売れない日は一日としてない。
    まことにめでたい江戸の春である。

    江戸の繁栄の表現に鐘を持ち出したところが
    其角らしい句です。
    其角らしさは「人が考えない事を考え、人が
    出来ない事をする」ことにあります。


ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれないに 水くくるとは
                           在原業平

(ちはやぶる かみよもきず たったがわ からくれないに
 みずくくるとは)

 注・・ちはやぶる=凶暴な、猛々しい、転じて「神」の枕詞。
    神代=不思議なことが起こった神々の時代。
    滝田川=奈良県生駒郡に流れる川。
    からくれない=鮮やかな紅色。韓紅。
    水くくる=水を反物にみたてて、水に浮かんだ紅葉の葉
         をくくり染め(絞り染め)に見立てたもの。

意味・・こんなことは神代の話にだって聞いたことがない。滝田
    川の水を韓紅(からくれない)に絞り染めにするとは。

    真っ赤な紅葉が点々として浮かぶ、滝田川を真紅の絞り
    模様のついた絹地を晒(さら)したところに見立てたもの。
    華麗な歌です。
    

梅が枝に 来ゐる鶯 春かけて 鳴けどもいまだ 
雪は降りつつ
               読人知らず 
               (古今和歌集・5)
(うめがえに きいるうぐいす はるかけて なけども
 いまだ 雪はふりつつ)

 注・・ゐる=木の枝にとまっていること。
    春かけて=春を期して。

意味・・梅の咲いた枝に来てとまっている鶯が、春が来る
    のを待ち望んで鳴いているけれども、まだ春らし
    い様子もなく、雪がちらちら降っている。

    春一番の鳥である鶯と、冬の名残雪(なごりゆき)を
    取り合わせ、春らしい様子になるのを待ち望む気持
    を鶯に託して詠んでいます。

明けばまた 越ゆべき山の 峰なれや 空ゆく月の
末の白雲
          藤原家隆(ふじわらのいえたか)
          (新古今和歌集・939)
(あけばまた こゆべきやまの みねなれや そらゆく
 つきの すえのしらくも) 

意味・・夜が明けたら、また越えていかなければいけない
    山の峰であろうか。空を渡る月が傾いていくあの
    白雲がたなびいているあたりは。

    明日の行程として山のことを思う旅人の心境です。
    よしやっ、明日は頑張るぞ!

 注・・末=月の光の及ぶ末の意。

作者・・藤原家隆=1158~1237。非参議従二位。新古今の
     撰者の一人。

このページのトップヘ