名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞


 おのづから 我をたづぬる 人もあらば 野中の松よ
みきとかたるな
                   源実朝

(おのずから われをたずぬる ひともあらば のなかの
 まつよ みきとかたるな)

詞書・・屏風絵に、野の中に松の三本生えている所を、衣
    を被った女が一人通ったのを詠んだ歌。

意味・・もしも私のことを尋ねる人がいたら、野中の三木
    (みき)の松よ、私を見たと告げないでおくれよ。

    屏風絵の中の女の口上として詠んでいます。

 注・・おのずから=たまたま、まれに。
    みき=「見き」と松の三本「三木」を掛ける。
    衣(きぬ)を被った=昔、女性が外出する折、単(ひ
     とえ)の小袖を頭から被り、顔を隠すようにした
     姿。
    
作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~1219。28
    歳。12歳で征夷大将軍になる。甥の公卿に鶴岡八
    幡宮で暗殺された。

出典・・金槐和歌集・591。

ころころと 小石流るる 谷川の かじかなくなり 
落合の滝
                建礼門院

(ころころと こいしながるる たにがわの かじかなくなり
 おちあいのたき)

意味・・ころころと小石が転げるようなせせらぎが聞こえる
    谷川は落合の滝となって流れている。この滝では河
    鹿が美しい声で鳴いていて清々しさが誘われる。

 注・・かじか=河鹿。蛙の一種。谷川に棲み美しい声で鳴
     く。
    落合の滝=京都市左京区大原の草生川にあり、寂光
     院につながる道路にある小さな滝。

作者・・建礼門院=けんれいもんいん。1155~1213。高倉
    天皇の中宮。父は平清盛。1185年平家が壇ノ浦の
    合戦で敗れると、入水したが助けられ、その後大原
    の寂光院で尼となる。

 


 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに
月やどるらむ      
                  清原深養父

(なつのよは まだよいながら あけぬるを くもの
 いずこに つきやどるらん)

意味・・今夜はまだ宵の口だと思っていたら
    そのまま空が明るくなってしまったが
    これでは月が西に沈む暇があるまい。
    進退窮まった月は、どの雲に宿を借り
    ているのだろうか。

    暮れたと思うとすぐに明るくなる夏
    の夜の短い事を誇張したものです。

 注・・宵=夜に入って間もないころ。

作者・・清原深養父=きよはらのふかやぶ。
    九世紀末が十世紀前半の人。清少納言
    の曾祖父。

出典・・古今和歌集・166、百人一首・36。


 欲張りも 淋しがりも 泣き虫も あなたの隣で
出会った「私」
                小林かおり

(よくばりも さびしがりも なきむしも あなたの
 となりで であったわたし)

意味・・私だけに気を向けて欲しい。会わない日が
    続くと淋しい。病気になると泣きたくなる。
    あなたを知ってから、欲張りやになり、淋
    しがりやになり、泣き虫にもなった「私」。
    あなたというかけがえのない存在によって。
    
作者・・小林かおり=こばやしかおり。‘93年当時
    兵庫県松陰女子学院大学1年。

出典・・東洋大学「現代学生百人一首」。


 夏はよし 暑からぬほどの 夏はよし 呼吸管など
忘れて眠らむ
                  明石海人

(なつはよし あつからぬほどの なつはよし こきゅう
 かんなど わすれてねむらん)

意味・・私の癩病も末期に達して、今は気官切開して呼吸管を
    差し込んだ日常生活を送っている。その苦痛は一時
    すら忘れられるものではないが、暑からぬ夏の気候
    は呼吸管が痰の乾きによって塞がる不快さは少なく
    なる。せめてこんな時こそ不自由な己が身を忘れて
    ゆっくりと眠りたいものだ。

    呼吸管の詰まりの苦しみを詠んだ歌があります。
    「霜の夜は痰の乾からびに呼吸管の塞がること屡々
    なり」の詞書で「呼吸管の乾きを護る雪の夜は見え
    ぬ眼を闇に瞠(みは)りつつ」

    末期の癩患者は、自分の足で歩き、目が見え、鼻で
    呼吸し、耳で聞くこと、話すこと、筆記すること等
    全て失われ苦痛と絶望の中で、安らかな眠りは何よ
    りの安楽です。

作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。
    昭和3年ハンセン病と診断され岡山県の長島
    愛生園で療養生活を送る。盲目になり喉に吸
     気官を付けながらの闘病の中、歌集「白描」
      を出版。

出典・・白描以後(桜楓社「現代名歌鑑賞事典」)


 もも鳥の 鳴く山里は いつしかも 蛙のこへと
なりにけるかな
                 良寛
              
(ももとりの なくやまさとは いつしかも かわずの
 こえと なりにけるかな)

意味・・いろいろ多くの鳥が春になってさえずっていた
    この山里は、いつの間にか夏になって、蛙の声
    が耳に聞えるようになったものだなあ。

 注・・もも鳥=百鳥。数多くの鳥。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。

出典・・良寛全歌集・83。


 庵結ぶ 山の裾野の 夕ひばり 上がるも落つる 
声かとぞ聞く 
                慶運

(いおむすぶ やまのすそのの ゆうひばり あがるも
 おつる  こえかとぞきく)

意味・・私が草庵に住んでいるこの山の、裾野で鳴く
    夕日ひばりは、空高く飛び上がる時の声も降
    りていく声かと聞こえるものだ。それほど我
    が庵(いおり)は高い所にあるのだ。

    大げさな表現だが、ひばりの鳴く春ののどか
    なゆったりした気分を詠んでいます。    

 注・・結ぶ=構える、構成する。

作者・・慶運=けいうん。1296頃の生まれ。和歌四
    天王と称された。

出典・・新後拾遺和歌集。


 夏山の 夕下風の 涼しさに 楢の木陰の 
たたま憂きかな  
              西行

(なつやまの ゆうしたかぜの すずしさに ならの
 こかげに たたまうきかな)

意味・・夏山の夕暮れ時には、木の下を吹いてくる風
    の涼しさに、楢の木陰からなかなか去り難い
    ことだ。

 注・・夕下風=夕方に木陰を吹いてくる風。
    たたま憂き=立ち去る(たたまく)のがつらい。

作者・・西行=さいぎよう。1118~1190。俗名佐藤
    義清(のりきよ)。鳥羽上皇の北面武士であっ
    たが23歳で出家。「新古今集」では最も入
    選歌が多い。

出典・・山家集・233。

時により 過ぐれば民の 嘆きなり 八大竜王 
雨やめたまえ 
                 源実朝

(ときにより すぐればたみの なげきなり はちだい
 りゅうおう あめやめたまえ)

意味・・恵の雨も、時によっては降りすぎると民の
    嘆きを引きおこします。八大竜王よ雨を止
    めてください。

    1211年の洪水に際して、祈念を込めて
    詠んだ歌であり、為政者としての責任から
    出た歌でもあります。
    
 注・・八大竜王=八体の竜神で雨を司ると信
     じられていた。

作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~121
    9。28歳。12歳で三代将軍となった。鶴岡
    八幡宮で甥の公卿に暗殺された。

出典・・金槐和歌集。

 


 狩り暮らし たなばたつめに 宿からん 天の川原に
われは来にけり    
                   在原業平
             
(かりくらし たなばたつめに やどからん あまの
 かわらに われはきにけり)

意味・・一日中狩りをして日暮れになりましたので、
    今夜は織女さまに宿を借りることにしまし
    よう。私達は天の川原に来てしまったので
    すから。

    惟喬親王(これたかのみこ)の仲間になって
    狩りに出かけた時の事、天の川という所で
    馬を下りて川岸にすわり、酒などを飲んだ
    ついでに親王が「狩りして天の川原に至る」
    という趣旨の歌を詠みあげた所で杯を差し
    出す」と仰せられたので詠んだ歌です。

 注・・狩り暮らし=終日狩りをして日暮れになっ
     たので。
    たなばたつめ=棚機つ女。機を織る女。織
     女星の異名。
    天の川=大阪府枚方市禁野の地名。同名の
     川が流れている。
    惟喬親王=文徳天皇の第一皇子。

作者・・在原業平=ありわらのなりひら。825~881。
    美濃権守・従四位。

出典・・伊勢物語・82、古今和歌集・418。

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