筑紫にも 紫生ふる 野辺はあれど なき名悲しぶ
人ぞ聞えぬ      
                 菅原道真
(つくしにも むらさきおうる のべはあれど なきな
 かなしぶ ひとぞきこえぬ)

意味・・筑紫にも紫草の生えている野辺はあるけれど、
    その紫草の縁から、私の無実の罪をきせられて
    いる名を悲しんでくれる人が耳に入らないこと
    だ。
    
    一本の紫草から、武蔵野の草の全てに心が引か
    れると詠んだ本歌を背景にしています。

    本歌は、
    「紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながら
    あはれとぞ見る」      (意味は下記参照)

     都から遠く離れた大宰府に左遷され、誰にも相
    手にされない菅原道真の心中は どんなにか辛く
    寂しく、悔しかったことでしょう!

    人から足をすくわれる。
    自分が可愛がっていた部下にそむかれ、上司に
    裏切られる。あんな人とは思わなかったのに・・
    と、こういうことは人生には付物です。悔しい
    思いになります。そんな時にどう対処しらよい
    のだろうか、と問題提起の歌と捉える事が出来
    ます。

 注・・筑紫=筑前・筑後(いづれも福岡県)の総称。
    紫=紫草。根から紫の染料を採った。本歌では
     「紫」が注目されたが、紫に縁がある作者の
     いる「筑紫」は注目されない、の意。
    なき名=身に覚えの無い評判、無実の罪をきせ
     られている名。無実の汚名。

作者・・菅原道真=すがわらのみちざね。903没。59歳。
    正一位太政大臣。謀略により太宰権師に左遷さ
    れた。漢学者。

出典・・新古今和歌集・1697。

本歌です。
紫の ひともとゆえに 武蔵野の 草はみながら 
あはれとぞ見る         
                詠人知らず
(むらさきの ひともとゆえに むさしのの くさは
  みながら あわれとぞみる)

意味・・ただ一本の紫草があるために、広い武蔵野
    じゅうに生えているすべての草が懐かしい
    ものに見えてくる。

    愛する一人の人がいるのでその関係者すべ
    てに親しみを感じると解釈されています。

 注・・紫=紫草。むらさき科の多年草で高さ30
     センチほど。根が紫色で染料や皮膚薬に
     していた。
    みながら=全部。
    あはれ=懐かしい、いとしい。

出典・・古今和歌集・867。