筑紫にも 紫生ふる 野辺はあれど なき名悲しぶ
人ぞ聞えぬ      菅原道真(すがわらのみちざね)

(つくしにも むらさきおうる のべはあれど なきな
 かなしぶ ひとぞきこえぬ)

意味・・筑紫にも紫草の生えている野辺はあるけれど、
    その紫草の縁から、私の無実の罪をきせられて
    いる名を悲しんでくれる人が耳に入らないこと
    だ。
    
    一本の紫草から、武蔵野の草の全てに心が引か
    れると詠んだ本歌を背景にしています。

    本歌は、
    「紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながら
    あはれとぞ見る」(意味は下記参照)

 注・・筑紫=筑前・筑後(いづれも福岡県)の総称。
    紫=紫草。根から紫の染料を採った。本歌では
     「紫」が注目されたが、紫に縁がある作者の
     いる「筑紫」は注目されない、の意。
    なき名=身に覚えの無い評判、無実の罪をきせ
     られている名。

作者・・菅原道真=903没。59歳。正一位太政大臣。謀略
     により太宰権師に左遷される。漢学者。

本歌です。

紫の ひともとゆえに 武蔵野の 草はみながら 
あはれとぞ見る         読人知らず

(むらさきの ひともとゆえに むさしのの くさは
みながら あわれとぞみる)

意味・・ただ一本の紫草があるために、広い武蔵野じゅうに
    生えているすべての草が懐かしいものに見えてくる。

    愛する一人の人がいるのでその関係者すべてに親しみ
    を感じると解釈されています。

 注・・紫=紫草。むらさき科の多年草で高さ30センチほど。
      根が紫色で染料や皮膚薬にしていた。
    みながら=全部。
    あはれ=懐かしい、いとしい。