物として はかりがたしな 弱き水に 重き舟しも
浮かぶと思へば
           京極兼為(きょうごくのかねため)
             (風雅和歌集・1727)

(ものとして はかりがたしな よわきみずに おもき
 ふねしも うかぶとおもえば)

意味・・物というものは量りがたいものである。力の無い
    水に重い舟が浮かぶことを思うと。

    「表面的な形だけでは物事の本性は量りがたい」
    ということで、「荀子」の次の言葉によってい
    ます。
    「君者舟也、庶人者水也、水則載舟、水則覆舟」
    により(意味は下記参照)、舟と水との相関関係を
    通して、外見の強弱・軽量でなく、物それぞれの
    本性とその相互の微妙な均衡によって宇宙の調和
    が保たれているという真理を歌っています。
    舟と水ー君と臣ー伏見院と兼為、と連想し、軽い
    臣(兼為)が重い君(伏見院)を支えてきた自負、舟
    も水を信じて歌壇、政界に正しい道を求めてきた
    相互の均衡への感動を詠んでいます。

 注・・伏見院=1265~1317。弟2代天皇。鎌倉期の歌人。

作者・・京極兼為=1254~1332。伏見院の近臣として活躍
     するが、排斥を受け土佐に流される。鎌倉期の
     歌人。「玉葉和歌集の選者」。

荀子の言葉です。

君なる者は舟なり、庶人(しょじん)なる者は水なり、水は
則(すなわち)舟を載せ、水は則(すなわち)舟を覆(くつがえ)
す。

たとえば君主は舟であり、民衆は舟である。水は舟を浮かべ
もするし、転覆させもするのである。民衆が政治を不満とし
て騒ぐ時には、君主は安穏とその地位にいることなど出来ない。