むばたまの わが黒髪は 白川の みつはくむまで
なりにけるかな
檜垣の嫗
(むばたまの わがくろかみは しらかわの みつは
くむまで なりにけるかな)
意味・・私の黒髪も白くなり、歯もぬけた老人になっ
てしまいました。使用人もいなくなり白川で
自ら水を汲むような落ちぶれた身分になった
ものです。
女性がこんな老いた姿では、昔の私を(間接
にも)知る人には会いたくないのです。
昔の檜垣御前の名声に好奇心をもった小野好
古(よしふる)が大宰府にやって来た時、消息
を訪ねていたのに応えて詠んだ歌です。
「大和物語」に檜垣御前の話がのっています。
華やかな過去を有する女性が、年老いて後の
自分の落ちぶれた姿を人目にさらすのを恥じ
貴人の招きに応じなかったという逸話です。
(あらすじは下記参照)
注・・むばたまの=ぬばたまの、と同じ。黒・髪な
どにかかる枕詞。
白川=熊本県の有明海に注ぐ川。「髪が白い」
を掛ける。
みつはくむ=三つ歯組む。歯が多く欠落した
老人の顔相。「水は汲む」を掛ける。
作者・・檜垣の嫗=ひがきのおうな。生没年未詳。筑紫
(福岡県・九州の総称)に住んでいながら色好
みの美人として都の人にも知られていた女性。
出典・・後撰和歌集・1219。
大和物語・126段のあらすじです。
純友(すみとも)の乱の時、伊予で朝廷に反乱
を起し、また博多を襲った藤原純友の一党を
征伐をする為に小野好古が追捕使として筑紫
に赴きます。
一方、檜垣御前は純友の博多襲撃の余波を受
けて家を焼かれ、家財道具も失い、零落した
姿であばら家に住んでいます。
才気に富んだ風流な遊君であったとの檜垣御
前の名声に好奇心を動かしていた小野好古が
大宰府の巷間を探し求めたが消息が知れない。
ある時、白川の畔(ほとり)で水を汲んでいる
老女を、土地の人からあれが檜垣御前だと教
えられ、好古の館へ招いてみたのだが、女は
自分の老残の姿を恥じて参上せず。ただ、歌
を詠んで届けてよこした。
「むばたまのわが黒髪は白川のみつはくむまで
なりにけるかな」
注・・純友の乱=藤原純友は、西国で海賊討伐を命ぜ
られていたが、936(承平6)年、自ら海賊を率
いて朝廷に反抗、瀬戸内海横行の海賊の棟梁
となり略奪・放火を行い、淡路・讃岐の国府、
大宰府を襲う。941(天慶4)年 小野好古らに
よって反乱は鎮圧され、純友は敗死した。
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