何か思ふ 何をか嘆く 世の中は ただ朝顔の
花の上の露
           詠み人知らず (新古今・1917)

(なにかおもう なにをかなげく よのなかは ただ
 あさがおの はなのうえのつゆ)

意味・・何を思い煩うのか。何を嘆くのか。この世の中は
    ただ朝顔の上に置いた露のようにはかないのだ。

    参考歌です。

消えぬまの 身をも知る知る あさがほの 露とあらそふ
世を嘆くかな           
             紫式部(紫式部集)

(きえぬまの みをもしるしる あさがおの つゆとあらそう
 よをなげくかな)

意味・・朝顔はまたたくまにしぼんでしまう。それは知って
    います。それを知りながら、露と長生きを争ってい
    るようなもので、世の中のはかなさを思わずにいら
    れない私なのです。

    顔の美しさを誇りにしていた友人が、疱瘡にかかり
    顔にみにくい痘痕(あばた)が残り、生きる気力を無
    くしたので励ますために贈った歌です。

    人間は、しょせん短い命なので、争わず(恥を気に
    せずに)自分なりに力一杯生き抜いて欲しいという
    気持の歌です。

    以下は参考です。
    「不幸」についての考え方の一つ、二つです。
    
    童門冬二の小説「山本常朝」より。

    「人間の生き方には二通りあると思う。
     つまり、自分が経験した不幸を、その後の生き
     方にどう活用するかということだ。
     ひとつは、自分の不幸を世の中への対抗要件に
     して、仕返しをしてやろうとか、報復してやろ
     うと思う生き方だ。しかしこれは自分の不幸の
     活用ではない、悪用だ。つまりその動機はすべ
     て私心だからだ。私欲だ。自分がこれだけ不幸
     な体験をしたのだから、世の中のあらゆる人間
     にも不幸をばらまき、汚染させてやろうという
     考えだ。これは間違っている。
     反対にもうひとつの生き方は、自分の不幸をバ
     ネにして、正しく生きようと努力することだ。
     そして、自分が体験した不幸は絶対に他人に味
     わせてはならない。そのために自分は自分の不
     幸を押し隠して、あくまでもそれを忍び、耐え、
     世の中の人を喜ばせようとだけ 考えることだ。
     これは自分の不幸を活用している事になる。」