いづくにて いかなることを 思ひつつ こよひの月に
袖しほるらん
建礼門院右京大夫
(いずくにて いかなることを おもいつつ こよいの
つきに そでしおるらん)
詞書・・寿永二年(1183年)の秋、月明るい夜、風も雲の
様子もことに悲しく感ぜられるのを眺めて、都
の外にいる人(資盛・すけもり)の事に思いはせ
て詠みました歌。
意味・・あの人は、どこで、どんな事を思いながら、今夜
のこの月を眺めて、涙で袖を濡らしている事でし
よう。
平家の没落期で、源氏に追われて都落ちしている
恋人の平資盛(すけもり)を思い、悲しみにくれて
詠んだ歌です。
歌を詠んだ二年後の1185年に、壇の浦の戦いで、
資盛ら平家一族は滅亡します。
作者・・建礼門院右京大夫=けんれいもんいんのうきよう
のだいぶ。1157頃~1227頃。高倉天皇の中宮・
建礼門院に仕えた。平資盛との恋愛の悲しみの
日々を「建礼門院右京大夫集」に書き綴る。
出典・・玉葉和歌集。
袖しほるらん
建礼門院右京大夫
(いずくにて いかなることを おもいつつ こよいの
つきに そでしおるらん)
詞書・・寿永二年(1183年)の秋、月明るい夜、風も雲の
様子もことに悲しく感ぜられるのを眺めて、都
の外にいる人(資盛・すけもり)の事に思いはせ
て詠みました歌。
意味・・あの人は、どこで、どんな事を思いながら、今夜
のこの月を眺めて、涙で袖を濡らしている事でし
よう。
平家の没落期で、源氏に追われて都落ちしている
恋人の平資盛(すけもり)を思い、悲しみにくれて
詠んだ歌です。
歌を詠んだ二年後の1185年に、壇の浦の戦いで、
資盛ら平家一族は滅亡します。
作者・・建礼門院右京大夫=けんれいもんいんのうきよう
のだいぶ。1157頃~1227頃。高倉天皇の中宮・
建礼門院に仕えた。平資盛との恋愛の悲しみの
日々を「建礼門院右京大夫集」に書き綴る。
出典・・玉葉和歌集。
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