網代には しづむ水屑も なかりけり 宇治のわたりに
我やすままし
                  大江以言

(あじろには しずむみくずも なかりけり うじの
 わたりに われやすままし)

意味・・網代には沈む水屑さえもないのだなあ。宇治
    の辺りに私は住もうかなあ。

    「しづむ水屑」は身が沈む事を意味されており、
    うだつがあがらない、落ちぶれる事を意味して
    いる。
    宇治は次の歌により、憂し・辛いとされる地で
    あった。

    「我が庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と
    人は言うなり」     (意味は下記参照)

    宇治に住めば落ちぶれずに今まで通りの事が出
    来るので、いっそ宇治に住もうかと思うが、し
    かしそこは「憂し」の地。さて、住んだものか、
    どうしたものかと迷ってしまう。

 注・・網代=川に竹や木を組み立てて網の代わりにし、
     魚を捕らえる仕掛け。
    しづむ=身が沈むの意が含まれている。うだつ
     があがらない事。
    水屑=川に流れる屑、ゴミの類。
    宇治=憂し・辛い地の意を含む。

作者・・大江以言=おおえのもちこと。生没年未詳。従
     文四位下・文章博士。   

出典・・詞花歌集・366。

参考歌です。

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 
人はいふなり           
                 喜撰法師

(わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よをうじやまと
 ひとはいうなり)

意味・・私の庵(いおり)は都の東南にあって、このように心
    のどかに暮らしている。だのに、私がこの世をつら
    いと思って逃れ住んでいる宇治山だと、世間の人は
    言っているようだ。    

 注・・庵=草木で作った粗末な小屋。自分の家をへりくだ
      っていう語。
    たつみ=東南。
    しかぞすむ=「しか」はこのように。後の「憂し」に
      対して、のどかな気持というていどの意。
    うぢやま=「う」は「宇(治)」と「憂(し)」を掛ける。

作者・・喜撰法師=きせんほうし。経歴未詳。

出典・・古今集・983、百人一首・8。