道の辺の 草にも花は 咲くものを 人のみあだに
生まれやはする
大西祝
(みちのべの くさにもはなは さくものを ひとの
みあだに うまれやはする)
意味・・道野辺の名も知らない草さえ花をつけている。
これを思えば人は無駄に生まれて来たのでは
ない。何かを成すために生まれたのだ。
草の実は風に飛ばされた所に根ずく。良い環
境もあれば悪い環境もある。土壌の肥えた地
に咲く花。石ころの中でも花を咲かせる草。
育つ環境の良し悪しはあるが、どちらが幸か
不幸かは一概には言えない。与えられた環境
の中で、力一杯たくましく生きられたら、こ
れは幸せだ。今、人に踏まれそうな道野辺に
花が力一杯咲いている。これを思えば、人も
自分の環境に応じて、自分の持てる力を出し
切れるものだ。
注・・みあだ=み徒。無駄。「み」は接頭語。
作者・・大西祝=おおにしはじめ。1864~1900。36才。
東大文学部卒。哲学者。
出典・・未詳(木村山治郎著「道歌教訓和歌辞典」)
生まれやはする
大西祝
(みちのべの くさにもはなは さくものを ひとの
みあだに うまれやはする)
意味・・道野辺の名も知らない草さえ花をつけている。
これを思えば人は無駄に生まれて来たのでは
ない。何かを成すために生まれたのだ。
草の実は風に飛ばされた所に根ずく。良い環
境もあれば悪い環境もある。土壌の肥えた地
に咲く花。石ころの中でも花を咲かせる草。
育つ環境の良し悪しはあるが、どちらが幸か
不幸かは一概には言えない。与えられた環境
の中で、力一杯たくましく生きられたら、こ
れは幸せだ。今、人に踏まれそうな道野辺に
花が力一杯咲いている。これを思えば、人も
自分の環境に応じて、自分の持てる力を出し
切れるものだ。
注・・みあだ=み徒。無駄。「み」は接頭語。
作者・・大西祝=おおにしはじめ。1864~1900。36才。
東大文学部卒。哲学者。
出典・・未詳(木村山治郎著「道歌教訓和歌辞典」)
コメント