*************** 名歌鑑賞 ***************


世をいとふ 名をだにもさは とどめおきて 数ならぬ身の
思ひ出にせむ               
                                                              西行

(よをいとう なをだにもさは とどめおきて かず
 ならぬみの おもいでにせん)

意味・・あの人は世を厭(いと)い浮き世(憂き世)を捨てた
    人だったよと、名前だけでもこの世にとどめおい
    て、ものの数にも入らないこの我が身(名)を人々
    に思い出してもらいたいものだ。

    自分は名を知られたい、後世に語り継がれたいと
    詠んだ歌です。そのために出家を決意して、全く
    自由の身になりたい。1ヶ月でも2ヶ月でも旅を
    したいと思えば出来る自由な身分になりたい、と
    いう気持ちです。武士の身分を捨て、自由に振り
    舞う身になり、和歌の道に邁進して行くことにな
    ります。

    「名を残す」歌、参考です。

    滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてな
    ほ聞こえけれ      (意味は下記参照)

 注・・いとふ=厭ふ。いやだと思う、世を避ける、出家
     する。
    さは=そのように。出離の志を持った人であった
     と。
    思い出=人に思い出してもらおう。自分の思い出
     にしよう。ここでは人の思い出と解釈。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。俗名佐藤義清
    (のりきよ)。鳥羽院北面武士。23歳で出家。

出典・・山家集・724。

参考歌です。

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて
なほ聞こえけれ    
                  藤原公任

(たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそ
 ながれて なおきこえけれ)

意味・・滝の水の音は聞こえなくなってから長い年月
    がたってしまったけれども、素晴らしい滝で
     あったという名声だけは流れ伝わって、今で
     もやはり聞こえてくることだ。

    詞書によれば京都嵯峨に大勢の人と遊覧した折、
    大覚寺で古い滝を見て詠んだ歌です。
    後世この滝を「名古曾(なこそ)の滝」と
     呼ぶようになった。

 注・・名こそ流れて=「名」は名声、評判のこと。
    「こそ」は強調する言葉。名声は今日まで流れ
     伝わって、の意。
       
作者・・藤原公任=ふじわらのきんとう。966~1041。
    権大納言・正二位。漢詩、和歌、管弦の才を兼
    ねる。和漢朗詠集の編者。

出典・・千載和歌集・1035、百人一首・55。