*************** 名歌鑑賞 ****************


ちろちろと 岩つたふ水に 這ひ遊ぶ 赤き蟹いて
杉の山静か
                  若山牧水

(ちろちろと いわつたうみずに はいあそぶ あかき
 かにいて すぎのやましずか)

意味・・木漏れ日の光さえ通らないじめじめとした杉山
    の中の小径。吹く風もなく鳴く鳥もいない。土
    と落葉を踏む自分の草履の音に聞き入りながら
    一人静かに旅を続けている。
    今この杉山の中を通りかかり、ちょろちょろと
    岩をつたって落ちる水を見い出して足を止めて
    いる。そしてふと気がつくとその水には赤い美
    しい甲羅をした小さな蟹が遊んでいる。可憐な
    その赤い鋏や脚の動き、その小さな二つの眼は
    この旅人の姿を見つけはしたらしいが、別に怪
    しみ驚くふうもない。じっとたたずんでその這
    い遊ぶのを見ていると、ふとあたりの静けさが
    身に沁みてくるのである。

    初めの句集には「這ひあがる」となっていたの
    を後に「這ひあそぶ」と改められています。
    「這ひあがる」は蟹の一つの動作ははっきり出
    ているのだが。「這ひあそぶ」は「這あがる」
    よりも時間の経過が表れて、立ち止まってじっ
    と見ている作者の姿がよく出ている。

 注・・ちろちろ=ちょろちょろ。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
      早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。旅と酒を愛す。

出典・・自選歌集「野原の郭公」(大悟法利雄著「若山牧
    水の秀歌」)