*************** 名歌鑑賞 ***************
帰るべき みちしなければ これやこの 行くをかぎりの
あふさかの関
源具行
あふさかの関
源具行
(かえるべき みちしなければ これやこの ゆくを
かぎりの おうさかのせき)
かぎりの おうさかのせき)
意味・・帰るという事の出来る道がないので、この旅
は、今行くのを最後とした逢坂の関になるの
だ、哀れだなあ。
は、今行くのを最後とした逢坂の関になるの
だ、哀れだなあ。
1331年の元弘の乱で捕えられて護送されなが
ら逢坂の関を越える時、死を覚悟して詠んだ
歌です。
蝉丸が「これやこの行くも帰るも別れては
知るも知らぬも逢坂の関」と詠んでいるが、
私が一度この関所を通り過ぎたならば、他
の旅人と違って、再び帰って来れないと悲
しさを詠んでいます。
ら逢坂の関を越える時、死を覚悟して詠んだ
歌です。
蝉丸が「これやこの行くも帰るも別れては
知るも知らぬも逢坂の関」と詠んでいるが、
私が一度この関所を通り過ぎたならば、他
の旅人と違って、再び帰って来れないと悲
しさを詠んでいます。
注・・みちし=道し。「し」は上接する語を強調
する語。
元弘の乱=1331年、後醍醐天皇を中心とし
た倒幕計画が発覚し鎌倉幕府により厳し
い追求が行われた。後醍醐天皇は壱岐へ
流罪となり、腹心の具行も捕えられ護送
の途中で斬られて死んだ。
する語。
元弘の乱=1331年、後醍醐天皇を中心とし
た倒幕計画が発覚し鎌倉幕府により厳し
い追求が行われた。後醍醐天皇は壱岐へ
流罪となり、腹心の具行も捕えられ護送
の途中で斬られて死んだ。
作者・・源具行=みなもとのともゆき。1290~1332。
従二位権中納言。元弘の乱の時、鎌倉幕府に
従二位権中納言。元弘の乱の時、鎌倉幕府に
よって斬首。
出典・・新葉和歌集・538
参考歌です。
盤代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば
また還り見む
有間皇子
また還り見む
有間皇子
(いわしろの はままつがえを ひきむすび まさきく
あらば またかえりみむ)
あらば またかえりみむ)
意味・・盤代の浜松の枝を結んで「幸い」を祈って行く
が、もし無事であった時には、再びこれを見よ
う。
が、もし無事であった時には、再びこれを見よ
う。
有間の皇子は反逆を企て捕えられ、紀伊の地に
連行され尋問のうえ処刑されたが、この道中で
詠んだ歌です。
松の枝を引き結ぶのは、旅路などの無事を
祈るまじないです。
連行され尋問のうえ処刑されたが、この道中で
詠んだ歌です。
松の枝を引き結ぶのは、旅路などの無事を
祈るまじないです。
注・・盤代=和歌山県日高郡岩代の海岸の地名
真幸(まさき)く=無事で(命が)あったなら
真幸(まさき)く=無事で(命が)あったなら
出典・・万葉集・141。
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