*************** 名歌鑑賞 ****************


贅沢に なりたる子よと 寂しみて 皿に残しし
もの夫と食ふ
                                        松井阿似子
 
(ぜいたくに なりたるこよと さみしみて さらに
 のこしし ものつまとくらう)

意味・・贅沢になった我が子。好きな物だけは食べて
    嫌いな物は食べ残している。食べ残したおか
    ずは捨てるに捨てられないので、夫と一緒に
    食べている。なんだか寂しくなってくる。

    アメリカの社会学者がかって、日本人を評し
    て「胃袋いっぱい」「魂からっぽ」と言った
    そうです。表記の歌を評した感じです。「米」
    という言葉は、人手を実に八十八回も経て、
    初めて食膳にのるということからその文字が
    作られたと、昔の子供は教えられた。そして、
    一粒の米をこぼしても叱られ、副食が気に入
    らないという顔をしただけで、「いやなら食
    うな」と絶食を強いられて不思議でない時代
    の中を成長していった。しかし、現代っ子は
    あれこれ好きな物だけ食べ散らかし、少しで
    も空腹になれば、冷蔵庫の扉を開け、何かを
    引っ張りだせばすむのである。そうした我が
    子を、自らの手で育ててしまった親は、今更
    のように、「寂しみて」と言うしか仕方がな
    い思いをせずにいられないのだ。それは、自
    分自身の手で育てながら、自分達と余りにも
    価値観の違った者として育ってしまった我が
    子への失望であり、どうにも埋めることの出
    来ない人間的違和感への「寂しみ」を詠んで
    います。

作者・・松井阿似子=伝未詳。

出典・・昭和万葉集(小野沢実著「昭和は愛し・昭和
    万葉集秀歌鑑賞」)