*************** 名歌鑑賞 ****************


朝露の 消やすき我が身 他国に 過ぎかてぬかも
親の目を欲り      
                大伴熊擬

(あさつゆの けやすきわがみ ひとくにに すぎかてぬ
 かも おやのめをほり)

意味・・朝露のように消えやすい我が命ではあるが、他国
    では死ぬに死にきれない。ひと目親に会いたくて。

    熊擬は18歳の時、国司官の従者として肥後(熊本)
    から奈良の都に向かった時、病にかかり安芸(広島)
    で亡くなった。
    臨終の時に嘆きの言葉として長歌が詠まれています。
    (長歌は下記参照)

 注・・朝露=「消えやすき」の枕詞。はかなさを示す。
    他国(ひとくに)=異郷。古代人は異郷での死を
     特に辛(つら)いものとした。
    過ぎ=「死ぬ」という事を忌み嫌った語。
    かてぬ=絶えられない。
    欲(ほ)り=願う。

作者・・大伴熊擬=おおとものくまごり。731年没。18歳。
    肥後の国の国司官。

出典・・万葉集・885。
    
長歌の要約です。
「地水火風の四大(しだい)が仮に集まって成った人の身は、
滅びやすく、水の泡のようなはかない人の命はいつまでも
留めることはむずかしい」ということだ。それ故、千年に
一度の聖人も世を去り、百年に一度の賢人も世に留まらない。
まして凡愚下賎(ぼんぐげせん)の者はどうしてこの無常から
逃れる事が出来ようか。ただし、私には老いた両親があり、
ともにあばらやに住んでいる。この私を待ち焦がれて日を過
ごされたならば、きっと心も破れるほどの悲しみを抱かれよ
うし、この私を待ち望んで約束の時に違ったならば、きっと
目もつぶれるほどに涙をながされよう。悲しいことよ我が父
上、痛ましいことよ我が母上。この我が身が死に出の道に旅
立つことは気にしない。ただただ、両親が生きてこの世に苦
しまれることだけが悲しくてならない。今日、長のお別れを
告げてしまったならば、いつの世にお遭いすることが出来よ
うか。