名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2007年08月

落花枝に かへるとみれば 胡蝶かな   荒木田守武

(らっかえだに かえるとみれば こちょうかな)

意味・・桜の花びらがはらりはらりと散り、それがまた不思議な
    事にまた枝に帰ると見えたが、よく見ると花びらでなく
て、枝に止まる蝶であった。

    謡曲の「落花枝にかへらず、破鏡再び照らさず」を念頭
に置いた句です。
    この意味は「ひとたび散った花は元の枝に戻れない、
一旦壊れた男女の仲は元通りにならない」また、「失敗
は取り返しがつかない」ということです。   

 注・・胡蝶=ちょうちょ。

かにかくに 疎くぞ人の 成りにける 貧しきばかり
悲しきはなし      
                  木下幸文 

(かにかくに うとくぞひとの なりにける まずしき
ばかり かなしきはなし)

意味・・何のかんのといっても、友は貧しい私と疎遠に
    なってしまった。なぜか、それは自分が貧窮の
    境涯にあるからである。貧しいほど人間は悲し
    いことはない。友人達さえも遠ざかってしまう
    のだから。
    
 注・・かにかくに=とにかく。

作者・・木下幸文=きのしたたかふみ。1779~1821。

出典・・家集「亮亮遺稿・さやさやいこう」

小倉山 峰たちならし 鳴く鹿の 経にけむ秋を 知る人ぞなき
                          紀貫之

(をぐらやま みねたちならし なくしかの へにけんあきを
 しるひとぞなき)

(を・・・・み・・・・・・な・・・・へ・・・・・・し・・・・)

意味・・小倉の山の峰に立ち、山と馴染みになった鹿の鳴くのが
    聞こえるが、あれで幾年(いくとせ)鳴きとおしたことか。
    誰も知らないが。

    鳴く鹿の声は寂しそうに聞こえます。
    秋を寂しく過ごしてきた鹿の気持ちを知る人はいな
    いと。
    この鹿の気持ちと、
    帰って来る子を待つ岸壁の母の姿とを重ね合わせて
    います。

    「をみなへし」の字を各句の最初に置いて詠んだ歌です。

 注・・たちならし=立ち慣れし、立って慣れ親しむ。
    経にけむ秋=何年の秋を経たであろうか。

出典・・古今和歌集・439。

人住まぬ 不破の関屋の 板廂 荒れにし後は
ただ秋の風
               藤原良経
             
(ひとすまぬ ふわのせきやの いたびさし あれにし
 のちは ただあきのかぜ)

意味・・もう関守が住まなくなった不破の関の番小屋の板廂。
    荒れ果ててしまったあとは秋風が吹き抜けるばかりだ。

    かっては威勢がよかったが、荒廃してしまった不破の
    関のありさまに、人の世の無常と歴史の変転をみつめ
    ています。
    
 注・・不破の関屋=岐阜県関ヶ原にあった。675年に開設、
      789年に廃止された。「関屋」は関の番小屋。

作者・・藤原良経=ふじわらのよしつね。1206年没、38歳。従
    一位摂政太政大臣。「新古今集仮名序」を執筆。

出典・・新古今和歌集・1601。

行く春や 鳥啼き魚の 目は泪    芭蕉

(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)

意味・・春が過ぎ去ろうとしているが、それを惜しんで
    鳥は鳴き、魚は目に涙をたたえているかのようだ。
    旅に出る自分も見送る人々も、共に別れを惜しんで
    涙を流している。

    「奥の細道」への旅立ちの始めに詠んだ句です。

住江の 松を秋風 吹くからに 声うちそふる 
沖つ白波
               凡河内躬恒

(すみのえの まつをあきかぜ ふくからに こえうちそうる
 おきつしらなみ)

意味・・住江の浜に秋風が吹き、松が快い響きを立てると、
    沖では白波がそれに応じて声を添えている。

    右大将藤原定国の四十賀の宴の屏風絵に添えた歌
    です。

 注・・住江=大阪住吉区住吉の入り江。
    松=住江の松原は美しさで有名であった。
    からに=・・とともに。

作者・・凡河内躬恒=おおしこうちのみつね。平安時代の
    歌人。古今和歌集の撰者の一人。

出典・・古今和歌首・360。

わがやどの 梢の夏に なるときは 生駒の山ぞ みえずなりぬる
                          能因法師

(わがやどの こずえのなつに なるときは いこまのやまぞ
 みえずなりぬる)

意味・・私の家の庭の木の梢が夏を迎えた時は、その茂った
    葉にさえぎられて、生駒山は見えなくなってしまう
    ものだ。

出典・・後拾遺和歌集・167。

秋の菊 にほふかぎりは かざしてむ 花よりさきと 
知らぬわが身を              
                  紀貫之

(あきのきく におうかぎりは かざしてん はなよりさきと
 しらぬわがみを)

意味・・この菊の花が美しく咲いている間は、挿頭(かざし)に
    さして、気持ちを引き立てることとしょう。花の散る
    のよりひと足先に死ぬかもしれないわが身と思いつつ。

    近親者の急死に遭(あ)って、人の運命のはかない事を
    感じていた時、菊の花を見て詠んだ歌です。

 注・・にほふかぎり=美しい色に咲いている間は。
    かざしてむ=かざしてやろう。「てむ」は決意を表す。
    花より先と知らぬ=花より後まで生きられるかどうか
     分からない。

づぶ濡れの 大名を見る 炬燵かな    一茶

(づぶぬれの だいみょうをみる こたつかな)

意味・・冬の冷たい雨の中をずぶ濡れの大名行列が通る。
    私は、ぬくぬくと炬燵に当たりながらその行列
    が通り過ぎるのを眺めている。

    大名の寒さに耐え忍んで行く行列に、哀れんで
    見つめているのだろうか、それとも権力者に対
    するお灸として見つめているのだろうか。

作者・・一茶=小林一茶。17631827。信濃(長野)の柏原
   の農民の子。3歳で生母に死別。継母と不和の
    ため、15歳で江戸に出る。亡父の遺産をめぐる
    継母と義弟の抗争が長く続き51歳の時に解決
    し。52歳たで結婚した。

北へ行く 雁ぞ鳴くなる つれてこし 数はたらでぞ 
帰るべらなる
                  詠み人しらず
                      

(きたへゆく かりぞなくなる つれてこし かずはたらでぞ 
 かえるべらなる)

意味・・春が来て北国に飛び帰る雁の鳴き声が聞こえてくる。
    あのかなしそうな鳴き声は、日本に来る時には一緒に
    来たものが、数が足りなくなって帰るからなのだろうか。

    この歌の左注に、「この歌の由来は、ある人が夫婦とも
    どもよその土地に行った時、男のほうが到着してすぐに
    死んでしまったので、女の人が一人で帰ることになり、
    その帰路で雁の鳴き声を聞いて詠んだものだ」と書かれて
    います。

出典・・古今和歌集・412。

 注・・べらなり=・・のようである。

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