名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2007年10月

10/1 殿原の 名古屋顔なる 鵜川かな       蕪村
10/2 花は根に 鳥は古巣に 帰るなり 春の泊まりを
   知る人ぞなき                宗徳院
10/3 あらたまの 年のをはりに なるごとに 雪もわが身も
   ふりまさりつつ               在原元方
10/4 陸奥に ありというなる 名取川 なき名とりては
   くるしかりける               壬生忠岑
10/5 日のあたる 夢をよく見る 氷室守      武玉川
10/6 刈れる田に おふるひつちの 穂にいでぬ 世をいまさらに
   あきはてぬとか               読み人知らず
10/7 灯の 影にて見ると 思ふ間に 文のうえ白く
   夜は明けにけり               香川景樹
10/8 春日野の 若紫の 摺り衣 しのぶの乱れ
   限り知られず                在原業平
10/9 雪車負うて 坂を上るや 小さい子      一茶
10/10 我こそは 新島守よ 隠岐の海の 荒き波風
   心して吹け                 後鳥羽院
10/11 幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ
   今日も旅ゆく                若山牧水
10/12 忘れじな 難波の秋の 夜半の空 こと浦に住む
   月は見るとも              宣秋門院丹後
10/13 月花や 四十九年の むだ歩き        一茶
10/14 遠くなり 近くなるみの 浜千鳥 鳴く音にしほの
   満ち干をぞ知る               藤原為守
10/15 秋風に 山の木の葉の 移ろへば 人の心も
   いかがぞと思ふ               素性法師 

10/15 秋風に 山の木の葉の 移ろへば 人の心も
   いかがぞと思ふ            素性法師
10/16 緑なる 一つ若葉と 春は見し 秋はいろいろに
   紅葉けるかも             良寛
10/17 鳥共も 寝入っているか 余呉の海   路通
10/18 家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば
   椎の葉に盛る             有馬皇子
10/19 みぞれ降り 夜のふけゆけば 有馬山 いで湯の室に
   人の音もせぬ             上田秋成
10/20 夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり
   深草の里               藤原俊成
10/21 清滝や池に散り込む青松葉       芭蕉
10/22 秋風に あへず散りぬる もみじ葉の ゆくへさだめぬ
   秋ぞ悲しき              読み人知らず 
10/23 春すぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり
   天の香具山              持統天皇
10/24 物言わぬ 四方のけだもの すらだにも 哀れなるかな
   親の子を思ふ             源実朝
10/25 柊木が 咲いても 兵は帰り来ず    福島小雷
10/26 月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは
   もとの身にして            在原業平
10/27 咲く花は ちぐさながらに あたなれど 誰かは春を
   うらみはてたる            藤原興風
10/28 筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな
   妹見ざるまに             読み人知らず
10/29 夜宵 秋風吹くや うらの山      曾良
10/30 大江山 いく野の道の 通ければ まだふみもせず
   天の橋立               小式部内侍
10/31 月よみの 光を待ちて 帰りませ 山路は栗の
   いがのしげきに            良寛

月よみの 光を待ちて 帰りませ 山路は栗の いがのしげきに
                        良寛(りようかん)

(つきよみの ひかりをまちて かえりませ やまじはくりの
 いがのしげきに)

意味・・月の光が明るく射すのを待ってお帰りなさい。
    山路は栗のいがが多くて危ないですから。

    訪れた親友に少しでも長く引きとめようとする
    気持を詠んだ歌です。やさしく暖かい心が込め
    られています。

 注・・月よみ=月の異名。
     

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 
天の橋立
            小式部内侍
            
(おおえやま いくののみちの とおければ まだふみもみず
 あまのはしだて)

意味・・大江山を越え、生野を通って行く丹後への道のりは
    遠いので、まだ天の橋立の地を踏んだこともなく、
    また、母からの手紙も見ていません。

    詞書きに詠作事情が書かれています。
    母の和泉式部が丹後国(京都府北部)へ赴いていた頃、
    作者が歌合に召されることになった。そこへ藤原定
    頼がやってきて、「歌はどうなさいます、丹後には
    人をおやりになったでしょうか。文を持った使者は
    帰ってきませんか」などとからかった。当時、世間
    には、小式部の歌の優れているのは、母の和泉式部
    が代作をしているという噂があった。ここで小式部
    は定頼を引き止めて、この歌をたちどころに詠んで、
    母に頼っていない自分の歌才を証(あか)してみせた。    

 注・・大江山=京都市西北部にある山。
    いく野=「生野」京都府福知山市にある地名。
     「行く」を掛ける。
    ふみ=「踏み」と「文(手紙)」を掛ける。
    天橋立=丹後国与謝郡(京都市宮津市)にある名勝で
     日本三景の一つ。
    藤原定頼=995~1045。藤原公任(きんとう)の子。

作者・・小式部内侍=こしきぶのないし。1000?~1025。
    若くして死去。母は和泉式部。

出典・・金葉和歌集・550、百人一首・60。

終宵 秋風聞くや うらの山     曾良(そら)

(よもすがら あきかぜきくや うらのやま)

意味・・旅で病み師と別れ、一人でこの寺に泊まったが
    一晩中ちっとも眠られず、裏山に吹く秋風の音
    を聞いたことだ。
    
    師である芭蕉と奥の細道を四ヶ月共に旅をして
    来たが、病状の身になり師と別れ全昌寺に泊ま
    った時に詠んだ句です。
    一人旅の不安と、師である芭蕉の身を案じる情
    がにじみ出ています。
    芭蕉も一日遅れてここに泊まった時、一夜を隔
    てているだけであるが、まるで千里も隔たって
    いるように思われると言っています。
    
    

筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 
妹見ざるまに               
                  詠み人知らず

(つついつの いづつにかけし まろがたけ すぎにけらしな
 いもみざるまに)

意味・・筒状に掘った井戸の井戸枠の高さと測り比べた私の
    背丈(せたけ)はもう枠の高さを越してしまったよう
    だなあ。あなたに逢わないうちに。

    井戸のそばで遊んだ幼なじみの男女が成人して愛し
    合うようになり男から贈った求婚の歌です。

 注・・筒井=筒状に掘った井戸。
    井筒=地上部文の筒状の井戸枠。
    まろがたけ=「まろ」は男子の自称。「たけ」は背丈。
    妹=男が女を親しんで言う語。主に妻や恋人に言う。

出典・・伊勢物語23段。

咲く花は ちぐさながらに あたなれど 誰かは春を 
うらみはてたる      藤原興風(ふじわらおきかぜ)

(さくはなは ちぐさながらに あたなれど だれかははるを
 うらみはてたる)

意味・・花の種類は色々あるが、それがすべて散り足の早い
    ことは人の移り気と同様である。そういう花を咲か
    せる春に恨みを述べた人があるだろうか。

    花の散りやすいのを人の心の変わりやすいのにたとえ、
    それに未練を捨てきらないのを恋の心にたとえて詠んだ
    ものです。

注・・ちぐさ=千種、種類の多いこと。
    あたなれど=移り気であるが。「あた」は花の散り
        やすいことを人の移り気にたとえた。

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは 
もとの身にして      
                在原業平
           
(つきやあらぬ はるやむかしの はるならぬ わがみ
 ひとつは もとのみにして)

意味・・この月は以前と同じ月ではないのか。春は去年の春と
    同じではないのか。私一人だけが昔のままであって、
    月や春やすべてのことが以前と違うように感じられる
    ことだ。

    しばらく振りに恋人の家に行ってみたところ、すっかり
    変わった周囲の光景(すでに結婚している様子)に接して
    落胆して詠んだ歌です。

作者・・在原業平=ありわのらなりひら。825~880。従四位・
    美濃権守。

出典・・古今和歌集・747。伊勢物語四段。
   

柊木が 咲いても兵は 帰り来ず  福島小雷(ふくしまこらい)

(ひいらぎが さいてもへいは かえりこず)

意味・・無事を祈って植えた柊なのだが、今年は花が咲くように
    なった。でも、兵隊に行ってまだ戻って来ない。

 注・・柊木=木犀(もくせい)科の常緑低木、とげがあるので
       魔よけに植えられる。

物言はぬ 四方のけだもの すらだにも 哀れなるかな 
親の子思ふ           
                   源実朝

(ものいわぬ よものけだもの すらだにも あわれなるかな
 おやのこをおもう)

意味・・物を言わない、いたるところにいる獣でさえ、感動
    させるではないか。親が子を愛するという事は。

    慈悲の心を詠んだ歌です。
    獣が持っているのなら、当然人間も持っているはずの
    親子の愛が、しばしば失われていることの悲しみを詠
    んだものです。    

 注・・哀れなる=しみじみと心が打たれる、感慨深い。

作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~1219。鎌倉幕府
    の三代将軍。甥に鶴岡八幡宮で暗殺された。

出典・・金槐和歌集。

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