名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2007年12月

12/1  唇の さむきのみかは 秋のかぜ 聞けば骨にも
    徹るひとこと              橘曙覧
12/1  物いへば 唇さむし 秋の風      芭蕉
12/2  内日さす 都のてぶり 東山 寝たる容儀 
    いひつくしけり            橘曙覧
12/2  蒲団着て 寝たる姿や 東山      嵐雪
12/3  荒磯海の 浜の真砂を頼めしは 忘るることの
    数にぞありける            読人知らず
12/4  堀江漕ぐ 棚なし小舟 漕ぎかへり おなじ人にや
    恋ひわたりなん             読人知らず 
12/5  ゆく水の ゆきてかへらぬ しわざをば いひてはくゆる
    鴨の川岸               橘曙覧
12/6  里人の 裾野の雪を 踏み分けて ただ我がためと
    若菜つむらむ             後鳥羽院
12/7  泣く涙 雨と降らなむ 渡り川 水まさりなば
    帰り来るがに             小野たかむら
12/8  たわむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて
    三歩あゆまず             石川啄木
12/9  つれづれと あれたる宿を ながむれば 月ばかりこそ
    むかしなりけれ            藤原伊周
12/10  鵜飼舟 高瀬さし越す ほどなれや むすぼほれゆく
    篝火の影               寂蓮法師
12/11  朝露に 競ひて咲ける 蓮葉の 塵に染まざる
    人の尊さ               良寛
12/12  ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる 清き川原に
    千鳥しば鳴く             山部赤人
12/13  朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれたる 
    瀬々の網代木             藤原定頼
12/14  道のべの 清水流るる 柳陰 しばしとてこそ
    立ち止まりつれ            西行
12/14  田一枚 植えて立ち去る 柳かな    芭蕉 
12/15  秋さらば 見つつ偲べと 妹植えし やどのなでしこ
    咲きにけるかも            大伴家持 

12/16  ほととぎす 一声なきて 片岡の 杜の梢を
     今ぞ過ぐるなる          藤原為世
12/16  時鳥 声待つほどは 片岡の 森の雫に
     立ちや濡れまし          紫式部
12/17  草の戸も 住み替わる代ぞ ひなの家  芭蕉 
    「ゆく河の 流れは絶えずして しかももとの水に
     あらず、淀みに浮かぶ・・・」   方丈記・序
1/18  憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしけれとは
    祈らぬものを           源俊頼
12/19  霧たちて 雁ぞ鳴くなる 片岡の 朝の原は
     もみじしむらむ          読人しらず 
12/20  閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声    芭蕉 
     木枯らしや 岩に裂け入る 水の声   蕪村 
12/21  手を折りて うち数ふれば この秋も すでに半ばを
     過ぎにけらしも            良寛 
12/22  はつせ山 入相の鐘をきくたびに 昔の遠く
     なるぞ悲しき           藤原有家
12/23  初瀬山 夕越え暮れて 宿問へば 三輪の檜原に
     秋風ぞ吹く            禅性法師
12/24  これはこれは とばかりに 花の吉野山  貞室
     股のぞき 女もしてる 秋の海   内田康夫
12/25  君まさで 煙絶えにし 塩竃の うらさびしくも
     見えわたるかな          紀貫之
12/26  吹くからに 秋の草木の しおるれば むべ山風を
     嵐といふらむ           文屋康秀
12/27  七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに
     なきぞあやしき          兼明親王
12/28  三椀の 雑煮かゆるや 長者ぶり  蕪村 
12/29  楽しみは 書よみ倦める をりしもあれ 声知る人の
     門たたく時            橘曙覧
12/30  夕月夜 をぐらの山に鳴く鹿の 声のうちにや
     秋は暮るるらむ          紀貫之
12/31  恋せじと 御手洗川に せし禊 神は受けずぞ
     なりにけらしも          読人知らず
     

恋せじと 御手洗川に せし禊 神は受けずぞ 
なりにけらしも  
               詠み人知らず 

(こいせじと みたらしがわに せしみそぎ かみはうけずぞ
 なりにけらしも)

意味・・もう決して恋はすまいと、御手洗川でした禊であっ
    たがその願いを神様は受けて下さらなかったに違い
    ない。

    恋のつらい思いを、二度と味わいたくないのでもう
    決して恋などしないようにと、神に願いをかけたに
    もかかわらず、ますます恋しさはつのるばかりだ、
    という気持を詠んでいます。

 注・・御手洗川=神社の傍らを流れ、参詣(さんけい)者が
     身を清める川。
    禊(みそぎ)=神に祈る前に水につかって身を清める
        こと。

出典・・古今和歌集・501。

夕月夜 をぐらの山に 鳴く鹿の 声のうちにや 秋は暮るらむ  
                     紀貫之(きのつらゆき) 
(ゆうづきよ おぐらのやまに なくしかの こえのうちにや 
 秋はくるらん)

意味・・夕月夜を思わせるなんとなく暗い小倉山で鹿が
    寂しそうに鳴いている。あの声とともに秋は暮
    れて行くのだろうか。

    秋の終わりの寂しさを鹿の声で表わしています。

 注・・夕月夜=小倉山の枕詞。
    小倉山=京都大堰川の北にあり嵐山と対をなす。
    声のうちにや=声のしているうちに。

楽しみは 書よみ倦める をりしもあれ 声知る人の 
門たたく時 
                   橘曙覧(たちばなあけみ)

(たのしみは しょよみうめる おりしもあれ こえしるひとの
 かどたたくとき) 

意味・・私の楽しみは、読書にそろそろ飽きてきたちょうど
    その時、声を聞いただけで、ああ、あの人だと分か
    る知り合いが、我が家の戸をたたいて訪ねた時です。

    似た心境として、
    長く仕事を続けていると疲れてくる。ここで一息入れ
    たいところだ。でも、あともう少しあともう少しと思
    いながら仕事を進めるが余りはかどらない。
    この時コーヒータイムしませんかと誘われて踏ん切り
    がつく。誘ったり誘われたり、こういう人間関係を持つ
    ことは楽しいものだ。

 注・・倦める=飽きる。 

三椀の 雑煮かゆるや 長者ぶり    蕪村

(さんわんの ぞうにかゆるや ちょうじゃぶり)

意味・・貧しい暮らしでも、一家揃って雑煮を食べて
    新年を祝うのはおめでたい。
    雑煮を三椀もおかわりするとは、長者らしい
    大らかな気持になるものだ。

 注・・長者=金持ち。福徳者。

七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに 
なきぞあやしき       
                兼明親王
            
(ななえやえ はなはさけども やまぶきの みのひとつだに
 なきぞあやしき)

意味・・山吹は七重八重と花は咲くけれど、実が一つも無い
    のが不思議だが、その山吹と同じように我が家にも
    蓑一つさえないのです。

    雨の降る日、蓑を借りる人がいたので山吹の枝を
    与えたところ、その意味が分からないと言ったので
    この歌を詠んで贈ったものです。
    贈られた人は太田道灌で、蓑を借りようとして山吹
    の枝を差し出されたが、意味がわからなかったのを
    恥じ、発奮して和歌を学んだという逸話があります。

 注・・みの=「実の」と「蓑」を掛ける。
    あやしき=不思議だ。神秘的だ。

作者・・兼明親王=かねあきらしんのう。914~987。醍醐天
    皇第16皇子。左大臣。

出典・・後拾遺和歌集・1154。

吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 
嵐といふらむ         文屋康秀(ぶんやのやすひで)

(ふくからに あきのくさきの しおるれば むべやまかぜを
 あらしというらん)

意味・・吹くとすぐに、秋の草も木もたわみ傷つくので、
    なるほど、それで山から吹き降ろす風を「荒し」
    と言い、「嵐」とかくのだろう。

    実景としては、野山を吹きまくって草木を枯らし
    つくす晩秋の風景を詠んだものです。
    山と風の二字を合わせて「嵐」になるという文字
    遊びにもなっています。      

 注・・しをるれば=しぼみ、たわみ傷つくので。
    むべ=なるほど。 
    嵐=荒々しいの「荒し」を掛けている。
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    なお、文字合わせで「梅」になる歌もあります。

雪降れば 木毎に花ぞ 咲きにける いづれを梅と 
わきて折らまし          紀友則(きのとものり)

(ゆきふれば きごとにはなぞ さきにける いずれをうめと
 わきておらまし)

意味・・雪が降ったので、木毎(きごと)に花が真っ白に咲いた。
    「木毎」と言えば「梅」のことになるが、さて庭に下り
    て花を折るとすれば、この積雪の中から、どれを花だと
    区別して折ればいいのだろう。

君まさで 煙絶えにし 塩竃の うらさびしくも 
見えわたるかな  
               紀貫之
              
(きみまさで けむりたえにし しおがまの うらさびしくも
 みえわたるかな)

意味・・ご主人が亡くなられてから塩を焼く煙も消えてしまった
    塩釜の浦ではあるが、まさに文字どおり、あたり一面が
    うら寂しく見渡されることである。

    実力者の源融(みなもととおる)左大臣が亡くなってから
    詠んだ歌です。

 注・・まさで=「ます」は「あり」「おり」の尊敬語。その
       未然形に打ち消しを表わす「で」がついたもの。
    煙絶え= 塩焼く煙が絶え。当時は塩をとるために海
       草に海水を掛けて焼いたので、その煙が「塩焼
       く煙」です。
    塩竃=宮城県塩竃市。「煙の絶えた塩の釜」と地名の
       「塩釜」を掛けている。
    うら=塩釜の「浦」と「うら悲しい」を掛ける。

作者・・紀貫之=866~945。「古今和歌集」の中心的な撰者。
     「仮名序」も執筆。「土佐日記」の作者。

出典・・古今和歌集・852。


                  

これはこれは とばかりに 花の吉野山    貞室(ていしつ)

股のぞき 女もしてる 秋の海    内田康夫(うちだやすお)

(これはこれは とばかりに はなのよしのやま)
(またのぞき おんなもしてる あきのうみ)

意味(貞室)・・春の吉野山は今が盛りの桜で覆われている。
      そのみごとな景色を前にすると、ただこれはこれ
      はと感嘆するばかりで、あとに言葉も続かない
      ほどだ。

意味(康夫)・・秋の青空の下、遠くまで見渡され、天の橋立の
      景色が美しい。股覗きした人が「これはこれは」と
      感嘆しているのを聞いて、恥も外聞も気にせず、女
      性も股覗きを楽しんでいる。

      天の橋立で詠んだ句です。

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