名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2007年12月

三椀の 雑煮かゆるや 長者ぶり    蕪村

(さんわんの ぞうにかゆるや ちょうじゃぶり)

意味・・貧しい暮らしでも、一家揃って雑煮を食べて
    新年を祝うのはおめでたい。
    雑煮を三椀もおかわりするとは、長者らしい
    大らかな気持になるものだ。

 注・・長者=金持ち。福徳者。

七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに 
なきぞあやしき       
            兼明親王(かねあきらしんのう)
            (後拾遺和歌集・1154)
(ななえやえ はなはさけども やまぶきの みのひとつだに
 なきぞあやしき)

意味・・山吹は七重八重と花は咲くけれど、実が一つも無い
    のが不思議だが、その山吹と同じように我が家にも
    蓑一つさえないのです。

    雨の降る日、蓑を借りる人がいたので山吹の枝を
    与えたところ、その意味が分からないと言ったので
    この歌を詠んで贈ったものです。
    贈られた人は太田道灌で、蓑を借りようとして山吹
    の枝を差し出されたが、意味がわからなかったのを
    恥じ、発奮して和歌を学んだという逸話があります。

 注・・みの=「実の」と「蓑」を掛ける。
    あやしき=不思議だ。神秘的だ。

作者・・兼明親王=914~987。醍醐天皇第16皇子。左大臣。

吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 
嵐といふらむ         文屋康秀(ぶんやのやすひで)

(ふくからに あきのくさきの しおるれば むべやまかぜを
 あらしというらん)

意味・・吹くとすぐに、秋の草も木もたわみ傷つくので、
    なるほど、それで山から吹き降ろす風を「荒し」
    と言い、「嵐」とかくのだろう。

    実景としては、野山を吹きまくって草木を枯らし
    つくす晩秋の風景を詠んだものです。
    山と風の二字を合わせて「嵐」になるという文字
    遊びにもなっています。      

 注・・しをるれば=しぼみ、たわみ傷つくので。
    むべ=なるほど。 
    嵐=荒々しいの「荒し」を掛けている。
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    なお、文字合わせで「梅」になる歌もあります。

雪降れば 木毎に花ぞ 咲きにける いづれを梅と 
わきて折らまし          紀友則(きのとものり)

(ゆきふれば きごとにはなぞ さきにける いずれをうめと
 わきておらまし)

意味・・雪が降ったので、木毎(きごと)に花が真っ白に咲いた。
    「木毎」と言えば「梅」のことになるが、さて庭に下り
    て花を折るとすれば、この積雪の中から、どれを花だと
    区別して折ればいいのだろう。

君まさで 煙絶えにし 塩竃の うらさびしくも 
見えわたるかな  
              紀貫之(きのつらゆき)
              (古今和歌集・852)
(きみまさで けむりたえにし しおがまの うらさびしくも
 みえわたるかな)

意味・・ご主人が亡くなられてから塩を焼く煙も消えてしまった
    塩釜の浦ではあるが、まさに文字どおり、あたり一面が
    うら寂しく見渡されることである。

    実力者の源融(みなもととおる)左大臣が亡くなってから
    詠んだ歌です。

 注・・まさで=「ます」は「あり」「おり」の尊敬語。その
       未然形に打ち消しを表わす「で」がついたもの。
    煙絶え= 塩焼く煙が絶え。当時は塩をとるために海
       草に海水を掛けて焼いたので、その煙が「塩焼
       く煙」です。
    塩竃=宮城県塩竃市。「煙の絶えた塩の釜」と地名の
       「塩釜」を掛けている。
うら=塩釜の「浦」と「うら悲しい」を掛ける。

作者・・紀貫之=866~945。「古今和歌集」の中心的な撰者。
     「仮名序」も執筆。「土佐日記」の作者。


                  

これはこれは とばかりに 花の吉野山    貞室(ていしつ)

股のぞき 女もしてる 秋の海    内田康夫(うちだやすお)

(これはこれは とばかりに はなのよしのやま)
(またのぞき おんなもしてる あきのうみ)

意味(貞室)・・春の吉野山は今が盛りの桜で覆われている。
      そのみごとな景色を前にすると、ただこれはこれ
      はと感嘆するばかりで、あとに言葉も続かない
      ほどだ。

意味(康夫)・・秋の青空の下、遠くまで見渡され、天の橋立の
      景色が美しい。股覗きした人が「これはこれは」と
      感嘆しているのを聞いて、恥も外聞も気にせず、女
      性も股覗きを楽しんでいる。

      天の橋立で詠んだ句です。

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