名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2008年01月

1/16 多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の
   ここだに愛しき            読人知らず
1/17 紀の国や 由良の湊に拾ふてふ たまさかにだに
   あひ見てしがな            藤原長方
1/18 浪もなく 風ををさめし 白河の 君のをりもや
   花は散りけん             西行法師
1/19 梅一輪 一輪ほどの 暖かさ      服部嵐雪
1/20 埼玉の 池のみぎはや こほるらむ 鴨の羽音の
   遠ざかりゆく             橘千蔭
1/21 隅田川 蓑着て下す 筏士に 霞むあしたの
   雨をこそ 知れ            橘千蔭
1/22 見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑の 絶ゆることなく
   またかへり見む            柿本人麻呂
1/23 春遠く ああ長崎の 鐘の音      江国滋
1/24 芦の屋の 灘の塩焼き いとまなみ 黄楊の小櫛も
   ささずに来にけり           在平業平
1/25 わが庵は 三輪の山もと 恋しくは とぶらひ来ませ
   杉立てる角              読人知らず
1/26 黄葉の 散りゆくなへに 玉梓の 使いを見れば
   逢ひし日思ほゆ            柿本人麻呂
1/27 我が雪と 思へば 軽し 笠の上    宝井其角
1/28 ゆほびかに たけはた高し よきをうな なやめるところ
   なしといはまし            橘曙覧
1/29 我とわが こころのうちに 語らへば ひとりある日も
   友はあるもの             橘曙覧
   かきたてて 見ぬ世の人を ともしびの 影とならびの
   岡のつれづれ             元木網
1/30 世の中を なにに譬へん ぬばたまの 墨絵に描ける
   小野の白雪              良寛
1/31 やはらかに 人分け行くや 勝角力   高井几薫
    

1/1 八重葎 しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 
   秋は来にけり            恵慶法師
1/2 苦しくも 降り来る雨か 三輪の崎 狭野の渡りに
   家もあらなくに           長意吉麻呂 
1/3 たまきはる 宇智の大野に 馬並めて 朝踏ますらむ
   草深野               中皇命
1/4 夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに
   秋風ぞ吹く             源径信
1/5 むっとして もどれば庭の 柳かな   大島寥太
1/6 煙草 賎が伏せ屋に くゆらせて 君のめぐみに
   咽ぶあさゆう             橘曙覧
   高き屋に 登りて見れば 煙立つ 民のかまどは 
   にぎわいにけり           仁徳天皇
1/7 秋の野に 宿りはすべし をみなへし 名をむつましく
   旅ならなくに            藤原敏行
   女郎花おほかる野辺に 宿りせば 人の心の
   悪しき憂ければ           小野美材
1/8 初雁の なきこそ渡れ 世の中の 人の心の
   あきし憂ければ           紀貫之
1/9 未来まで その香おくるや 墓の梅   童門冬二
1/10 我が宿の 軒の菖蒲を 八重葺かば 浮世のさがを
   けだしよきむかも           由之
   八重葺かば またも閑をや 求めもせむ 御濯川へ
   持ちて捨てませ            良寛
1/11 風吹けば 峰にわかるる 白雲の 絶えてつれなき
   君の心か               壬生忠岑
1/12 春日野は な焼きそ 若草のつまもこもれり
   我もこもれり             読人知らず
1/13 かずならぬ 身にさへ年の つもるかな 老いは人をも
   きらはざりけり            成尋法師
1/14 たのしみは 常に見なれぬ 鳥の来て 軒遠からぬ
   樹に鳴きし時             橘曙覧
   たのしみは 遠来の客 もてなして 次ぎなる再会
   約束する時              破茶
1/15 降る雪や 明治は 遠くなりにけり   中村草田男  

やわらかに 人分け行くや 勝角力   
                    高井几薫

(やわらかに ひとわけゆくや かちずもう)

意味・・相撲に勝った力士が、歓声をあげる観衆をおだやかに
    かき分けながら場外に去って行く。

    勝ち力士の自信に満ちた余裕のある様子を詠んだもの
    です。
    この場面になる為には、涙ぐましい猛稽古があります。

 注・・やわらかに=やさしくおだやかな態度。
    勝角力=相撲に勝った力士。

作者・・高井几薫=たかいきとう。1741~1789。蕪村に師事。

 

世の中は 何に譬へん ぬばたまの 墨絵に描ける 小野の白雪
                     良寛(りょうかん)

(よのなかは なににたとえん ぬばたまの すみえにえがける
 おののしらゆき)

意味・・この世のあり方を何に譬えたら良いだろうか。それは、
    墨だけで野原の白い雪を表現する絵のようなものである。
    黒い色も白い色も、見方にによって変わるものだ。

    人間関係で言えば、相手の言うことを良い方向に受け取
    れば良好な関係が保てるということです。 

 注・・ぬばたま=「墨」の枕詞。
    小野=野原。

我とわが こころのうちに 語らへば ひとりある日も 
友はあるもの        
                  橘曙覧

かきたてて 見ぬ世の人を ともしびの 影とならびの
岡のつれづれ        元木網(もとのもくあみ)

(われとわが こころのうちに かたらえば ひとりあるひも
 ともはあるもの)
(かきたてて みぬよのひとを ともしびの かげとならびの
 おかのつれづれ)

意味(1)・・私は自分の心と語り合っているので、私が一人で
     いる日でも語り合う友はいるので寂しくはないもの
     です。

     いつも考え、考えぬく生活をしているということです。

意味(2)・・吉田兼好という人は、双(なら)びの岡の夜のつれづ
     れに、灯を掻(か)きたてて、書物に出てくる昔の人を
     友としつつ、灯にうつる影法師という友と並んで読書
     をする人です。
     
     歌の題は「兼好法師像」です。
     兼好が書いた徒然草13段に「ひとり灯のもとに文
     を広げて見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさ
     むるわざなる」より詠んだ歌です。
    (ただひとり灯の下で書物を広げて、見も知らぬ昔の
     人を友とするのは、この上もなく心慰むことである)

     橘曙覧の「心を友とし」、吉田兼好の「本の中の友」
     元木網の「影法師という友」。これらの友は心を慰め、
     励ましてくれる友達です。

 注・・かきたてて=灯を掻きたて、明るくして。
    見ぬ世の人=昔の人。
    ともしび=「灯」と「友」を掛ける。
    ならびの岡=兼好の住んでいた双(ならび)の岡(京都市
     右京区)と「並び」を掛ける。
    づれづれ=退屈。所在なさ。「徒然草」の冒頭の「つれ
     づれなるままに」を利かしている。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。
    元木網=もとのもくあみ。1724~1811。狂歌師。
    


 

ゆほびかに たけはた高し よきをうなの なやめるところ
なしとぞいはまし        橘曙覧(たちばなあけみ) 

(ゆほびかに たけはたたかし よきおうなの なやめるところ
 なしとぞいわまし)

意味・・小野小町という人の人柄は奥ゆかしく、品位や風格
    が高く高貴な立派な方です。そのような素晴しい方
    が悩めるところがある、と「古今集の序」で言って
    いるが悩むところがないと言ったらよかっただろう
    に。

    歌の題は「小野小町」となっています。
    小野小町は古今集の仮名序に「いはば、よき女の悩
    めるところあるに似たり」と評されています。

    人間の欲望にはきりがないが、欲望があれば不満が
    ついてまわり、それが悩みに通じます。
    小野小町のような高貴な方は、なにもかにも満足し
    欲望も不満も悩みもないで欲しい、という事を詠
    んだ歌です。

    森鴎外の「高瀬舟」の一節です。

   「人は身に病があると、この病がなかったらと思ふ。
    其日其日の食がないと、食っていかれたらと思ふ。
    万一の時に備へる蓄えがないと、少しでも蓄えが
    あったらと思ふ。蓄えがあっても、又其の蓄えが
    もっと多かったらと思ふ。かくの如くに先から先
    に考えて見れば、人はどこまで往って踏み止まる
    ことが出来るやら分からない。それを今目の前で
    踏み止って見せてくれるのがこの(罪人の)喜助だ
    と、(同心の)庄兵衛は気がついた」    

 注・・小野小町=平安前期(西暦850年)の女流歌人、
      六歌仙の一人。絶世の美人といわれた。
    ゆほびか=ゆったりして奥ゆかしいこと。
    たけ=格調。風格。
    はた=同趣の意を表わす。やはり。それもまた。
    をうな=女。
    なやむ=精神的に苦しむ。病気で苦しむ。

我が雪と 思へば軽し 笠の上   宝井基角(たからいきかく) 

(わがゆきと おもえばかるし かさのうえ)

意味・・頭にかぶった笠に積る雪も、自分の物だと思えば
    軽く感じる。

   「我が物と思えば軽し笠の雪」と一般になじまれて
    います。
   (苦しいことも自分の利益になると思えばそれほど
    気にならない、という意味)

    その苦しみが自分の利益になる、ということを意
    識する事が大切です。

黄葉の 散りゆくなへに 玉梓の 使を見れば 逢ひし日思ほゆ  
              柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)

(もみじばの ちりゆくなえに たまづさの つかいをみれば
 あいしひおもおゆ)

意味・・紅葉がはかなく散ってゆく折りしも、文使いが
    通うのを見ると、愛(いと)しい妻に逢った日の
    ことがあれこれ思い出される。

    人麻呂は亡き妻と離れて住んでいたので、使者
    に託して手紙のやり取りをしていた。

 注・・なへに=とともに。その時に。
    玉梓(たまづさ)=使者。手紙。

わが庵は 三輪の山もと 恋しくは とぶらひ来ませ 杉立る門
                        読人知らず

(わがいおは みわのやまもと こいしくは とぶらいきませ
 すぎたてるかど)

意味・・私の粗末な家は三輪山の麓にあります。私が恋しく
    なったら、どうぞ訪ねて来て下さい。門の脇にある
    杉を目印として。

    さびれる都をいち早く出て、世のわずらわしさから
    開放され、物心過不足なく過ごしている人が、旧知
    に案内がてら詠んだ歌です。

 注・・庵(いお)=粗末な家。自分の家を謙遜していう。
    三輪=奈良県桜井市三輪。

芦の屋の 灘の塩焼き いとまなみ 黄楊の小櫛も 
ささず来にけり          在原業平(ありはらなりひら)

(あしのやの なだのしおやき いとまなみ つげのおぐしも
 ささずきにけり)

意味・・芦屋の灘での塩焼きで暇がないので、黄楊(つげ)の櫛も
    ささないで来てしまったことです。

    身なりを整える暇もない海女(あま)が、そのことを恋人
    に嘆くのを詠むとともに、芦屋の里の人々の素朴さを紹
    介した歌です。

 注・・芦の屋の灘=芦屋の里の海岸。芦屋市から神戸市灘区に
       いたる海岸。
    塩焼き=海水を煮て塩を製造すること。
    いとまなみ=暇がないので。

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