名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2008年05月

5/1 誰見よと 花咲けるらむ 白雲の たつ野とはやく
   なりにしものを             読人知らず
5/2 訪ひに行くに 好かぬとぬかす 憎い人   嶋村桂一
5/3 いにしえの 野中の清水 ぬるけれど もとの心ぞ
   知る人ぞ汲む              読人知らず
5/4 お山田の 早苗の色は 涼しくて 岡べ木暗き
   杉の一村                永福門院
5/5 ねぎごとを さのみ聞きけむ 社こそ はては嘆きの
   森となるらむ              讃岐
5/6 水なしと 聞くきてふりにし 勝間田の 池あらたむる
   五月雨の頃               西行
5/7 田を売りて いとど寝られぬ 蛙かな    立花北枝
5/8 かかる世に かげも変らず すむ月を 見る我が身さへ
   恨めしきかな              西行
5/9 むかしにも あらぬわが身に ほとどぎす 待つ心こそ
   変らざりけれ              周防内持
5/10 いたづらに 過ぐる月日は おもほえで 花見て暮らす
   春ぞ少なき               藤原興風
5/11 いたづらに 過ぐる 月日も おもしろし 花見てばかり
   くらされぬ世は             四方赤良
5/12 わが思ふ ことのしげさに くらぶれば 信太の森の
   千枝はかずかは             増基法師
5/13 道野辺に 阿波の遍路の 墓あはれ    高浜虚子
5/14 わが恋は あひそめてこそ まさりけれ 飾磨の渇の
   いろならねども             藤原道経
5/15 ふるさとの 花のものいふ 世なりせば いかに昔の
   こととはまし              出羽弁

5/16 汽車のたび とある野仲の 停車場の 夏草の香の
   なつかしかりき             石川啄木
5/17 年月も いまだ経なくに 明日香川 瀬々ゆ渡しし
   石橋もなし               読人知らず
5/18 素もぐりの 桶の一つに 春日さす   作者 不明
5/19 梓弓 磯辺の小松 たが世にか 万代かねて 
   種まきけむ               柿本人麻呂
5/20 思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば
   覚めざらましを             小野小町
5/21 今こそあれ 我も昔は 男山 さかゆく時も
   ありこしものを             読人知らず
5/22 わたの原 寄せくる波の しばしばも 見まくほしき 
   玉津島かも
5/23 道の後 越の浦波 たち返り たち返り見る
   己が行ひ                良寛
5/24 薮入りや 何も言わずに 泣き笑い    作者 不明
5/25 この三朝 あさなあさなを よそほひし 睡蓮の花
   今朝開かず               土屋文明
5/26 あたら夜の 月と花とを おなじくは あはれしれらむ 
   人に見せばや              源信明
5/27 照りもせで 曇りも果てぬ 春の夜の 朧月夜に
   しくものぞなき             大江千里       
5/28 春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰に別るる
   横雲の空                藤原定家
5/29 唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてぞ来ぬる
   母なしにして              防人の歌
5/30 世の中の 憂さを思へば 空蝉の わが身の上の
   憂さはものかは             良寛
5/31 若葉さす ころはいづこの 山見ても 何の木見ても
   麗しきかな               橘曙覧 

若葉さす ころはいづこの 山見ても 何の木見ても 麗しきかな  
                    橘曙覧(たちばなあけみ)

(わかばさす ころはいずこの やまみても なんのきみても
 うるわしきかな)

意味・・若葉が萌える頃はどこの山を見ても、また
    そこに生えているどんな木を見ても、心が
    すがずかしく成って来るものだ。

    初夏の躍動感、何事かを始めたくなる気持
    を詠んでいます。

 注・・麗しき=うつくしい、立派だ、端正だ。

世の中の 憂さを思へば 空蝉の 我が身の上の 
憂さはものかは             
                良寛

(よのなかの うさをおもえば うつせみの わがみのうえの
 うさはものかは)

意味・・世間の人が、生活してゆくつらさを思えば、
    私の身にかかるつらさなどは、取り立てて
    言うほどのものではない。

 注・・憂さ=つらさ。
    空蝉=現世。身にかかる枕詞。
    ものかは=問題ではない。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。

出典・・谷川敏朗「良寛歌集」。

唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてぞ来ぬや 母なしにして 
                        (防人の歌)

(からころも すそにとりつき なくこらを おきてぞきぬや
 ははなしにして)

意味・・外国風の衣の裾に取りすがって泣く子供たちを
    置いて来てしまったなあ。母もいないままで・・。
  
    死別か何かの事情で母をなくした子供を無理や
    りに残してきた悲痛な心情を詠んだ歌です。
    防人という公務が個人的事情を全く考慮されな
    い強制力の強いものであったことがうかがえる。
 
 注・・防人=東国から送られて北九州の要地を守った
       兵士。
    唐衣=外国風にしたてた服。防人としての官給
       の服。
    置きて=後に残して。
    母なしにして=母親もいなくて。
    
 

 

春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰に別るる 
横雲の空
            藤原定家(ふじわらさだいえ)
            (新古今和歌集・38)
(はるのよの ゆめのうきはし とだえして みねに
 わかるる よこぐものそら)

意味・・春の夜のはかなく短い夢がふと途切れると、峰
    から別れた横雲が離れ去って行くのが見える。
    曙の空に。まるで男と女の別れの物語のように。

    壬生忠岑の次の本歌により「峰に別るる横雲」は
    つれない夢の内容を暗示しています。

    「風吹けば 峰に別るる 白雲の たえてつれなき
    君が心か」  (意味は下記参照)            

 注・・浮橋=筏や舟を浮かべてその上に板を渡して
       作った橋。たよりない感じがするので
       夢のたとえにされる。
    とだえして=途切れて。

作者・・藤原定家=1162~1241。「新古今和歌集」の
     撰者。

本歌です。

風吹けば 峰にわかるる 白雲の 絶えてつれなき 
君が心か   
            壬生忠岑(みぶのたたみね)
            (古今和歌集・601)
(かぜふけば みねにかかるしらくもの たえて
 つれなき きみがこころか)

意味・・風が吹くと峰から離れて行く白雲が吹きちぎられ
    て絶えてしまう、その「絶えて」のように、あな
    たとの関係がすっかり途絶えてしまった。なんと
    つれないあなたの心であることだ。

    切ない恋を詠んだもので、通じない我が思いを嘆き
    自分に無関心な相手の女性をくやしく思う気持を詠
     んだ歌です。

 注・・たえて=「絶える」と「たえて(すっかりの意)」
         を掛ける。
    つれなき=無情だ。

照りもせず 曇りも果てぬ 春の夜の 朧月夜に しくものぞなき
                   大江千里(おおえちさと)

(てりもせず くもりもはてぬ はるのよの おぼろつきよに
 しくものぞなき)

意味・・さやかに照るのでもなく、といって全く曇って
    しまうのでもない、春の夜のおぼろにかすんだ
    月の美しさに及ぶものはない。

 注・・朧月夜=おぼろにかすんだ月の美しさ。
    し(及)くものぞなき=及ぶものはない。

あたら夜の 月と花とを おなじくは あはれしれらむ 
人に見せばや         
                                        源信明(みなもとさねあきらむ)

(あたらよの つきとはなとを おなじくは あわれしれらん
 ひとにみせばや)

意味・・惜しいばかりのこの良夜の月と花を、同じ見る
    なら、情趣を分かってくれる人、あなたにも見
    せて一緒に味わいたいものだ。

    春の趣き深い月の夜に花を見て、この良夜の情景
    を一人じめするには惜しまれて、本当に情趣を理
    解する人と共に味わいたいという恋心を詠んだ歌
    です。

    能因法師の次の歌の気持と同じです。

   「心あらむ 人にみせばや 津の国の 難波あたりの 
    春の景色を」(07・5月3日 名歌観賞・5 )

 注・・あたら(惜ら)=惜しいことに、残念にも。   
    あはれしれらむ=情趣を理解する。

この三朝 あさなあさなを よそほひし 睡蓮の花 
今朝はひらかず          土屋文明(つちやぶんめい)

(このみあさ あさなあさなを よそおいし すいれんのはな
 けさはひらかず)

意味・・この三日ほどの朝ごとに、美しい花を装(よそ)う
    ように咲かせていた睡蓮が、今朝はもう開こうと
    しない。つかの間の花の命の短いことだ。
   
    下記の親鸞の歌と同じ思いです。

 「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

    今日は美しく咲き誇っている桜だが、明日もまだ
    見られるだろうと思っていても、その夜のうちに
    強い風を受けて散ってしまうかもしれない、の意。

    未来の不確実さ、人生の無常を説いたものです。 

 注・・三朝=三日ほどの朝。
    あさなあさな=朝ごと、毎朝。
    よそほひ=飾り整える、化粧する。睡蓮の花を
       擬人化している。
    睡蓮=蓮の花。
    無常=いつも変化している事。全ての物が生滅
       変転してとどまらない事。

薮入りや 何も言わずに 泣き笑い   (作者 不明)

(やぶいりや なにもいわずに なきわらい)

意味・・奉公人が主人から休みをもらって、喜び勇んで
    帰って来た。親と対面したものの、楽しい思い
    出より辛く苦しいことばかり。話せば親を悲し
    ませると思うと何も言えない。只泣き笑いする
    ばかりだ。

    一方、息子の帰りを首を長くして待っている両
    親、特に親父は朝からソワソワ、いえ、前の晩
    から、いやいやそのず~っと前からソワソワ。
    有り金を叩いて、ああしてあげたい、こうして
    あげたい、暖かい飯に、納豆を買ってやって、
    海苔を焼いて、卵を茹でて、汁粉を食わせてや
    りたい。刺身にシャモに、鰻の中串をご飯に混
    ぜて、天麩羅もいいがその場で食べないと旨く
    ないし、寿司にも連れて行きたい。ほうらい豆
    にカステラも買ってやりたい・・。
    そして三年ぶりに息子とのご対面は、「薮入り
    や何も言わずに泣き笑い」・・落語「薮入り」
    の一節です。

 注・・薮入り=商家で住み込んで働いている奉公人が
      年に二度、一月と七月の16日、一日だけ
      家に帰るのが許された。奉公始めは三年間
      は休みを貰えなかった。
     

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