名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2008年05月

道の後 越の浦波 たち返り たち返りみる 己が行ひ
                    良寛(りょうかん)

(みちのしり こしのうらなみ たちかえり たちかえりみる
 おのがおこない)

意味・・北陸道の後ろにある越後の、その海岸に波が
    打ち寄せては引き返すように、繰り返し繰り
    返し、振り返って自分の行いを見る事が大切
    だ。

 注・・道の後(しり)=北陸道の後方。
    浦波=海岸の波。
    たち返り=「波が寄せ返す」と「くり返す」の
       意の掛詞。

わたの原 寄せくる波の しばしばも 見まくのほしき 
玉津島かも             
              読人知らず
              (古今和歌集・912)

(わたのはら よせくるなみの しばしばも みまくの
 ほしき たまつしまかも)

意味・・大海原を次から次へと寄せて来る波の如く、
    私はこの地を再び訪れて、玉津島の美しい
    景色を何度でも見たいと思う。
    
 注・・わたの原=大海原。
    しばしば=「しばしば寄せる」と「しばしば
     見る」を掛ける。
    見まくのほしき=見たいと思う。
    玉津島=和歌山市和歌の浦の玉津島神社の
     ある山。古くは海中の島であった。景色が
     美しい。

今こそあれ 我も昔は 男山 さかゆく時も 
ありこしものを
             読人知らず
             (古今和歌集・889)

(いまこそあれ われもむかしは おとこやま さか
 ゆくときも ありこしものを)

意味・・今でこそこんなに衰えているが、私も昔は
    一人前の男で、栄えてゆく時があったのに。

 注・・あれ=である。「衰える」を補って解釈する。
    男山=京都市綴喜(つづき)郡にある山。
       「さかゆく」の枕詞。
    さかゆく=「坂行く」と「栄える」の掛詞。
    こし=「来し」と「越し」の掛詞。

思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 
覚めざらましを           
                  小野小町

意味・・あの人を心の中で思いながら寝たので、
    夢に見たのだろう。それが夢と知った
    ならば、私は目を覚ますのではなかった
    のに。

    目が覚めたので、夢の中の恋人の姿が消
    えてしまい、惜しい気持を詠んでいます。

作者・・小野小町=おののこまち。生没年未詳。
    絶世の美人といわれている。

出典・・古今和歌集・552。

梓弓 磯辺の小松 たが世にか 万代かねて 種をまきけむ
                柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)

(あずさやみ いそべのこまつ たがよにか よろずよかねて
 たねをまきけん)

意味・・あの岩の上にある松は誰がいつ、その木の
    万年の寿命を願って種を蒔いたのだろうか。

    海辺の岩の上にそびえた一本か二、三本の
    大きな松に感嘆して詠んだ歌です。

 注・・梓弓=「射る」、「い」、「張る」の枕詞。
    磯辺=岩や石の多い海岸。
    小松=「小」は松に対して愛称の語。
    かねて=兼ねて、兼ねる。予想して。

素もぐりの 桶の一つに 春日さす  

(すもぐりの おけのひとつに はるひさす)

意味・・海人(あま)が海に潜り貝類を採っている。採ったものは
    浮き上がって桶に入れる。何組かの桶が浮かんでいるが、
    雲の合間から春光が射してきた。見る目には気持の良い
    春日だが、海人にはまだまだ物足りないだろうなあ。

年月も いまだ経なくに 明日香川 瀬々ゆ渡しし 石橋もなし
                        読人知らず

(としつきも いまだへなくに あすかがわ せせゆわたしし
 いしばしもなし)

意味・・まだそれほど歳月が経っていないのに、
    飛鳥川に以前、川瀬に渡して置いたあの
    飛び石もなくなっている。

    古京に帰り懐旧の念を詠んだ歌です。
    飛鳥川は次ぎの歌にあるように変化の
    激しい川であった。

 世の中は なにか常なる あすか川 昨日の渕ぞ
 今日は瀬になる    読人知らず
           (8月5日名歌観賞・100)

 注・・明日香川=奈良県明日香を流れる、途中
         藤原宮址を横切る。
    瀬々=あちこちの川の浅い所。
    石橋=川を渡る為に配置した飛び石。

汽車の旅 とある野中の 停車場の 夏草の香の 
なつかしかりき          
          石川啄木(いしかわたくぼく)

(きしゃのたび とあるのなかの ていしゃばの なつくさのかの
 なつかしかりき)

意味・・知人か身内の所、または仕事を見つけに行く汽車の旅。
    乗り継いでゆく汽車の旅。途中下車して夏草を見ている
    と故郷を思い出す。あの頃も苦しかったが今よりも良か
    ったなあ。なつかしい友の顔、顔が浮かんでくる。とに
    かくこの場この難局を乗り切らなくちぁ。

ふるさとの 花のものいふ 世なりせば いかに昔の 
ことをとはまし            出羽弁(いでばのべん)

(ふるさとの はなのものいう よなりせば いかにむかしの
 ことをとわまし)

意味・・昔なじみの世尊寺の桃の花がもしも物を言う時世
    であったら、いろんな昔の事を尋ねもするだろう
    に。

    詞書は「世尊寺の桃の花を詠める」です。
    桃の花を見て「桃李不言」を思い出して
    詠んだ歌です。

 注・・世尊寺=京都一条にある寺。桃園があった。
    桃李不言(とうりふげん)=「桃李物言わざれども
      下(した)自ら渓(みち)を成す」という諺。
      桃や李(すもも)は美しい花を咲かせ、うまい
      実を結ぶので、何も言わなくても人が集まっ
      て自然に小道が出来る。同様に徳のある立派
      な人のもとに招かなくても人が慕い寄って来
      るということ。

わが恋は あひそめてこそ まさりけれ 飾磨の渇の
いろならねども          藤原道経(ふじわらみちつね)

(わがこいは あいそめてこそ まさりけれ しかまのかちの
 いろならねども)

意味・・私の恋は逢い初めてからいっそう深くなったことだ。
    飾磨の藍染めの褐色ではないけれど。

    思いが深く濃くなったので、まるで藍染めをして色が
    深くなる渇の色のようだ、との綾を詠んだものです。

 注・・あひそめて=「逢い初めて」と「藍染めて」を掛ける。
    飾磨(しかま)=兵庫県姫路市。渇染めで有名。
    渇(かち)=渇染め。藍染めの一種で藍より濃紺。

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