名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2008年05月

春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰に別るる 
横雲の空
            藤原定家(ふじわらさだいえ)
            (新古今和歌集・38)
(はるのよの ゆめのうきはし とだえして みねに
 わかるる よこぐものそら)

意味・・春の夜のはかなく短い夢がふと途切れると、峰
    から別れた横雲が離れ去って行くのが見える。
    曙の空に。まるで男と女の別れの物語のように。

    壬生忠岑の次の本歌により「峰に別るる横雲」は
    つれない夢の内容を暗示しています。

    「風吹けば 峰に別るる 白雲の たえてつれなき
    君が心か」  (意味は下記参照)            

 注・・浮橋=筏や舟を浮かべてその上に板を渡して
       作った橋。たよりない感じがするので
       夢のたとえにされる。
    とだえして=途切れて。

作者・・藤原定家=1162~1241。「新古今和歌集」の
     撰者。

本歌です。

風吹けば 峰にわかるる 白雲の 絶えてつれなき 
君が心か   
            壬生忠岑(みぶのたたみね)
            (古今和歌集・601)
(かぜふけば みねにかかるしらくもの たえて
 つれなき きみがこころか)

意味・・風が吹くと峰から離れて行く白雲が吹きちぎられ
    て絶えてしまう、その「絶えて」のように、あな
    たとの関係がすっかり途絶えてしまった。なんと
    つれないあなたの心であることだ。

    切ない恋を詠んだもので、通じない我が思いを嘆き
    自分に無関心な相手の女性をくやしく思う気持を詠
     んだ歌です。

 注・・たえて=「絶える」と「たえて(すっかりの意)」
         を掛ける。
    つれなき=無情だ。

照りもせず 曇りも果てぬ 春の夜の 朧月夜に しくものぞなき
                   大江千里(おおえちさと)

(てりもせず くもりもはてぬ はるのよの おぼろつきよに
 しくものぞなき)

意味・・さやかに照るのでもなく、といって全く曇って
    しまうのでもない、春の夜のおぼろにかすんだ
    月の美しさに及ぶものはない。

 注・・朧月夜=おぼろにかすんだ月の美しさ。
    し(及)くものぞなき=及ぶものはない。

あたら夜の 月と花とを おなじくは あはれしれらむ 
人に見せばや         源信明(みなもとさねあきらむ)

(あたらよの つきとはなとを おなじくは あわれしれらん
 ひとにみせばや)

意味・・惜しいばかりのこの良夜の月と花を、同じ見る
    なら、情趣を分かってくれる人、あなたにも見
    せて一緒に味わいたいものだ。

    春の趣き深い月の夜に花を見て、この良夜の情景
    を一人じめするには惜しまれて、本当に情趣を理
    解する人と共に味わいたいという恋心を詠んだ歌
    です。

    能因法師の次の歌の気持と同じです。

   「心あらむ 人にみせばや 津の国の 難波あたりの 
    春の景色を」(07・5月3日 名歌観賞・5 )

 注・・あたら(惜ら)=惜しいことに、残念にも。   
    あはれしれらむ=情趣を理解する。

この三朝 あさなあさなを よそほひし 睡蓮の花 
今朝はひらかず          土屋文明(つちやぶんめい)

(このみあさ あさなあさなを よそおいし すいれんのはな
 けさはひらかず)

意味・・この三日ほどの朝ごとに、美しい花を装(よそ)う
    ように咲かせていた睡蓮が、今朝はもう開こうと
    しない。つかの間の花の命の短いことだ。
   
    下記の親鸞の歌と同じ思いです。

 「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

    今日は美しく咲き誇っている桜だが、明日もまだ
    見られるだろうと思っていても、その夜のうちに
    強い風を受けて散ってしまうかもしれない、の意。

    未来の不確実さ、人生の無常を説いたものです。 

 注・・三朝=三日ほどの朝。
    あさなあさな=朝ごと、毎朝。
    よそほひ=飾り整える、化粧する。睡蓮の花を
       擬人化している。
    睡蓮=蓮の花。
    無常=いつも変化している事。全ての物が生滅
       変転してとどまらない事。

薮入りや 何も言わずに 泣き笑い   (作者 不明)

(やぶいりや なにもいわずに なきわらい)

意味・・奉公人が主人から休みをもらって、喜び勇んで
    帰って来た。親と対面したものの、楽しい思い
    出より辛く苦しいことばかり。話せば親を悲し
    ませると思うと何も言えない。只泣き笑いする
    ばかりだ。

    一方、息子の帰りを首を長くして待っている両
    親、特に親父は朝からソワソワ、いえ、前の晩
    から、いやいやそのず~っと前からソワソワ。
    有り金を叩いて、ああしてあげたい、こうして
    あげたい、暖かい飯に、納豆を買ってやって、
    海苔を焼いて、卵を茹でて、汁粉を食わせてや
    りたい。刺身にシャモに、鰻の中串をご飯に混
    ぜて、天麩羅もいいがその場で食べないと旨く
    ないし、寿司にも連れて行きたい。ほうらい豆
    にカステラも買ってやりたい・・。
    そして三年ぶりに息子とのご対面は、「薮入り
    や何も言わずに泣き笑い」・・落語「薮入り」
    の一節です。

 注・・薮入り=商家で住み込んで働いている奉公人が
      年に二度、一月と七月の16日、一日だけ
      家に帰るのが許された。奉公始めは三年間
      は休みを貰えなかった。
     

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