名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2008年06月

みじか夜や 伏見の戸ぼそ 淀の窓    蕪村(ぶそん)

(みじかよや ふしみのとぼそ よどのまど)

意味・・夏の夜も明けきらぬうちに、伏見から淀川
    下りの一番船に乗る。伏見の町はまだ固く
    戸を閉ざして静まりかえっていたが、淀堤
    にさしかかる頃には夜も明け、両岸の商家
    は窓を開け放ち、忙しそうに往来する人の
    姿も見られる。

    京都伏見の京橋は大阪の八軒屋との間を往
    複する三十石船の発着点であった。伏見か
    ら淀の小橋まで5.5キロの下りで、淀の
    両岸には商家が軒を連ねていた。
    
 注・・戸ぼそ=家の戸。

親しからぬ 父と子にして 過ぎて来ぬ 白き胸毛を
今日は手ふれぬ      土屋文明(つちやぶんめい)

(したしからぬ ちちとこにして すぎてきぬ しろき
 むなげを きょうはたふれぬ)

意味・・あまり親しくない父と子として、我々親子は
    今日まで過ごして来た。その父も今は重い病
    で臥床(がしょう)している。そのような父の
    白くなった胸毛に今日は手を触れた。思えば
    こんなこともしたことのない私だった。親子
    の縁(えにし)などというものは不思議なもの
    だ。

    「父なむ病む」の題で詠んだ歌です。
    父は農民であったが多くの事業に手を出して
    失敗ばかりした。あげくの果て家を売り村を
    捨てた。そのような父であったのでやさしくも
    してもらえず親しみを持てなかった。

たのしみは 妻子むつまじく うちつどい 頭ならべて
物をくふ時         橘曙覧(たちばなあけみ)

(たのしみは めこむつまじく うちつどい かしらならべて
 ものをくうとき)

意味・・私が楽しみとするのは、妻と子供たちと
    仲良く集まり、頭を並べて一緒にものを
    食べる時。おいしいね、おいしいねとう
    なずき合いながら口に運ぶ時は本当に楽
    しい。

    うなずき合うということは、次の歌のよう
    に親しみあう為の基本ですね。

   たのしみは 君の口癖 「そうか」が 耳に優しく
   聞こえてくる時           破茶(はちゃ)

   (うん、そうかそうか、そうだそうだ、と
    うずき合って聞いてくれる人。こういう
    人と一緒にいると、心を開いて何でもお
    しゃべりしたくなるものだ。私はこんな
    時に優しい気持になり親しみも深まって
    本当に楽しいものです。)

   

浮世には かかれとてこそ うまれたれ ことわりしらぬ
我が心かな       北条重時(ほうじょうしげとき)

(うきよには かかれとてこそ うまれたれ ことわりしらぬ
 わがこころかな)

意味・・憂さ辛さのあるのも浮世なら、楽しみがあるのも
    浮世である。我々、人間はその浮世に寄り掛かっ
    て住んで行けと神仏の思召しに従って生まれたの
    である。それゆえ、悲しみもあれば苦しみもある
    ものだ。この道理を知らなかった自分は、あさは
    はかだった。浮世の常を知れば、何も自分ばかり
    が苦しいのでも、辛いのでもないのだ。

    北条重時が家訓で次のような事を言った時に詠ん
    歌です。
    思わぬ失敗をしたり、不慮の災難に遭ったりなど
    して嘆かわしい事が起こったとしても、むやみと
    嘆き悲しんではなりませぬ。これも前世の報いだ
    と思って、早くあきらめなさるがよい。それでも
    悲嘆の心がやまぬならば、上記の歌を口づさみ、
    唱えていると、自然に嘆きの心も忘れて行くだろ
    う。

 注・・浮世=思いのまま楽しんで過ごす世の中。憂き世
       を掛ける。
    憂き世=辛い世の中、苦しみの満ちた世の中。
    かかれ=寄りかかる、つながりが出来る。

雲はみな はらひ果てたる 秋風を 松に残して 
月を見るかな 
          藤原良経(ふじわらよしつね)
(新古今和歌集・418) 

(くもはみな はらいはてたる あきかぜを まつにのこして
 つきをみるかな)

意味・・雲をすっかり払ってしまった秋風を、松
    に残るさわやかな音として聞きつつ、澄
    んだ月を見ることだ。

    雲を吹き払い、松に音だけ残している秋
    風の中で、澄んだ月を見るさわやかさを
    詠んでいます。

注・・雲は=「雲をば」の意で主語ではない。

    なお、裏の意味として、
    徳川家康は武士が読書する目的は身を正
    しくせんがためであると言って、源義経
    が滅んだのは歌道に暗く「雲はみなはら 
    ひ果てたる秋風を・・」の古歌の意味も
    知らずに、身上(しんしょう)をつぶして
    平家退治に没頭したためと言っています。

    雲はみな=敵、辛いこと。
    はらひはてたる=取り除く。
    秋風を=味方。軍資金とか有能な部下、
        作戦、知識・・などなど。
    松に残して=味方が育つまで忍耐強く
        待つ。
    月を見る=勝って心地よい気分になる。

意味・・戦いに勝つにはそれなりの作戦が必要
    である。敵の内情をさぐり内部の分裂
    を策し、敵の勢力を分散させる一方、
    我が陣営は一人一人の志気を高め一つ
    にまとめて戦いに望むことが大切だ。
    勝てる体勢になるまで待って戦いを仕
    掛ける。そうしたならば勝利して心地
    良い気分を味わえるものだ。

水の面に あや織りみだる 春の雨   良寛(りょうかん)

(みずのもに あやおりみだる はるのあめ)

意味・・やわらかな春の雨が池の面に降りかかって
    いる。そのたびに、いろいろな波の模様が
    出来上がり、また雨の雫がその模様をかき
    乱していくさまは、見ていて飽きることな
    く面白いものだ。

    良寛は、変化して止まない水の面に、禍福
    のように変化し続ける人の世を重ねている。

 注・・あや=いろいろな模様。

花散りし 庭の木の葉も 茂りあひて 天照る月の 
影ぞまれなる         曾禰好忠(そねのよしただ)

(はなちりし にわのこのはも しげりあいて あまてる
 つきの かげぞまれなる)

意味・・花の散った庭の桜の木の葉も、今はもう
    茂りあって、空に照る月の光がわずかに
    しかささないことだ。

 注・・花=桜の花。
    まれ=稀、たまにしかないさま。

われを思ふ 人を思はぬ むくいにや わが思ふ人の 
我を思はぬ              
                  詠み人知らず 

(われをおもう ひとをおもわぬ むくいにや わが
おもうひとの われをおもわぬ)

意味・・私を愛してくれる人を愛さなかった報いが
    来たのかな。今、私が愛している人が私を
    愛してくれないのは。

    人からつれなくされて、過去の自分の行為
    を反省した歌です。

出典・・古今和歌集・1041。

神垣の 御室の山の 榊葉は 神のみ前に 茂り合いにけり
                      読人知らず

(かみがきの みむろのやまの さかきばは かみのみまえに
 しげりあいにけり)

意味・・神垣に取り囲まれた神殿のある山の榊葉は
    神聖な神様をたたえるように、一面に青々
    と茂っていることだ。

 注・・神垣(かみがき)=神社の周囲にめぐらした垣。
    御室=貴人の住居の敬称、神社。
    み前=御前、神や貴人の前の敬称。

郭公 花橘は にほふとも 身をうの花の 
垣根忘れな
             西行

(ほとどぎす はなたちばなは におうとも  みを
うのはなの かきねわすれな)

意味・・ほとどぎすよ、花橘は香り高く匂うとも、
    お前がもう宿らなくなるので、身をさび
    しく思っている卯の花の垣根のことも忘
    れないで欲しい。

    ほとどぎすは陰暦四月は卯の花に、五月
    花橘に宿るとされた。

 注・・う=「卯」と「憂」の掛詞。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。

出典・・山家集・196。

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