名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2008年06月

烏には 似ぬうの花ぞ 鷺の色   
               松永貞徳(まつながていとく) 

(からすには にぬうのはなぞ さぎのいろ)

意味・・「鵜の真似する烏」という諺があるが、
    音の響きは同じでも、卯の花は黒い烏と
    似ても似つかず、「烏鷺(うろ)」という
    言葉の「鷺」の色と同じ白である。

    「う」を中心にした言葉遊びの句です。

 注・・う=「鵜」と「烏」と「卯」を掛ける。
    烏鷺(うろ)=黒い烏と白い鷺。囲碁の
      異名(白と黒の石を使うのでいう)
    鵜の真似する烏=水に潜って魚を捕る
      のが鵜だが、烏が真似をしたらお
      ぼれてしまう。自分の能力を考慮
      しないで人の真似をすると失敗す
      るという戒め。

人も見ぬ よしなき山の 末までも すむらん月の 
かげをこそ思へ          西行(さいぎょう)

(ひともみぬ よしなきやまの すえまでも すむらん
 つきの かげをこそおもえ)

意味・・人の見ようとせぬ、由緒のない山の奥にまで
    照り澄んだ光を落としている月は格別に思われ
    ることだ。

    人の善し悪しの念に関係なく平等に照らす月は
    尊い、という心を詠んだ歌です。

 注・・よしなき山=由緒のない山。
    すむ=「澄む」と「住む」の掛詞。

直き木に 曲がれる枝も あるものを 毛を吹き疵を 
いふがわりなき     高津内親王(たかつないしんのう)

(なおききに まがれるえだも あるものを けをふききずを
 いふがわりなき)

意味・・真っ直ぐな木にだって曲がった枝がある
    ものなのに毛を拭いて疵を探しだすよう
    に非難する世間の人のわけが分からない
    ことだ。

    作者の振る舞いを咎める人々に対して
    反発して詠んだ歌です。

 注・・毛を吹き疵をいふ=強いて他人の欠点を
         暴くこと。
    わりなき=道理が通用しない、どうしょう
         もない。

ささなみの 志賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の 船待ちかねつ 
              柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)

(ささなみの しがのからさき さきくあれど おおみやびとの
 ふねまちかねつ)

意味・・志賀の辛崎は変わらずそのままにあるが、
    かってここで遊んだ大宮人の船は、いくら
    待ってもやって来ない。

    壬申(じんしん)の乱以後、都は大和に移っ
    たので大津の旧都は荒廃した。この嘆きを
    詠んだ歌です。

 注・・ささなみ=琵琶湖南部の古名。志賀の枕詞。
    幸(さき)く=幸福に、無事に、昔通り変わ
     らず。
    大宮人=宮中に仕える人。

わが袖は 名に立つ末の 松山か そらより浪の 
越えぬ日はなし         土佐(とさ)

(わがそでは なにたつすえの まつやまか そらよりなみの
 こえぬひはなし)

意味・・私の袖は、あの有名な末の松山なのでしょうか。
    空から浪の越えない日はない状態で、あなたの
    嘘にあざむかれて、涙を袖に落とさない日とて
    ありません。

    約束の固さにもかかわらず男が裏切ったことを
    恨んで詠んだ歌です。
    男女の約束を破ったなら、次の歌のように、
    浪が越える事の無い末の松山も越えると言われ
    ている。

 「君をおきて あだし心を わがもてば 末の松山
  浪も越えなむ」(08年2月27日名歌観賞・306)

 注・・末の松山=宮城県多賀城市にあるという山。
       末の松山を浪が越えないとされている。
    そら=「空」と「虚」を掛ける。

死にそこなって 虫を 聴いている    山頭火(さんとうか)

(しにそこなって むしを きいている)

意味・・死のうと思っても死ねない。死を意識して、死に
    対して用意するときほど、冷静に自己を観照する
    ことはない。
    しみじみ自分の命を知ってみて、虫の声を聴いて
    いる。虫の声が、静かにひびく。あんな小さな虫
    でも、一生懸命に生きている。とにかく、恥ずか
    しめられても、生きてゆこう。生きて、歩いて、
    自分にはそれしかない。
    妥協することは難しい事ではあるが、過酷な事で
    はあるが、それを選ばなければならない。

    山頭火は日記を書き、それを句にしています。
    それで、日記は句の解説となっています。
    また、山頭火は薬を飲んで数度自殺を図っていま
    す。

 注・・観照(かんしょう)=主観をまじえないで現実を
             冷静に見つめること。

わたのはら たつ白波の いかなれば なごりひさしく 
見ゆるなるらん           源朝任(みなもとともとう) 

(わたのはら たつしらなみの いかなれば なごりひさしく
 みゆるなるらん)

意味・・海原に立っている白波が、なんで余波がいつまでも
    静まらないのだろうか。
    あなたは私に対して恨んでいるようだが、どうして
    いつまでも腹を立てているのだろうか。もういい加
    減にしてほしいものだ。

    人にした仕打ちが憎まれていた時分、その相手に
    詠んで贈った歌です。

 注・・わたのはらたつ白波=「わたのはら(海原)」と
      「腹(立つ)」、「(腹)立つ」と「立つ(白波)」
       の掛詞。
    なごり=「余波」、海辺に打ち寄せた波が引いたあと。
        「名残」、事のあったこと、余情。この二つ
        を掛ける。
     

あしきだに なきはわりなき 世の中に よきを取られて
われいかにせむ 
            宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)

意味・・世の中には、悪い者でさえ、無いとどうしょうも
    なく都合の悪いことがあるものなのに、よき(斧)を
    取り上げられてしまって、私はどうしたらよいもの
    でしょうか、途方にくれています。

    説話物語に出て来る歌です。
    ある男が他人の山林で盗伐していて、山番に斧を
    取り上げられてしょんぼりしている折、山番に今
    の状況を歌に詠めば許す、と言われて詠んだ歌です。
    芸(和歌を詠む事)は身を助ける、という説話です。
    また、「悪い物も無いと都合の悪い」となぞなぞ
    のように取れますので、「必要悪」も説いています。
    たとえば、
    物が腐食することは人間にとっては悪いことだが、
    物を分解して土に戻すことは自然界にとっては大切
    な働きです。ストライキは生産を止める事なので悪
    い事ですが、働く人の労働条件を良くするので必要
    悪です。また「心を鬼にする」ことも時には必要です。
   
 注・・わりなき=どうしょうもない、するすべがない。
    よき=「斧」と「良き」を掛ける。
    心を鬼にする=可愛そうだとか、気の毒だという
      気持になった時、人間の情を持たない鬼のよう
      なつもりになって、相手のため非情な態度に出
      ること。

人の親の 心は闇に あらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな 
                 藤原兼輔(ふじわらかねすけ)

(ひとのおやの こころはやみに あらねども こをおもうみちに
 まどいぬるかな)

意味・・親の心は夜の闇ではないのに、子供の事を思う
    道には、何もかも分からなくなってしまい、迷
    ってしまうことだ。

    子供のことについては闇も同然で、盲目になる
    親心を詠んだ歌です。

 注・・まどひぬる=どうしたらよいか分からなくなる。
 

植えおいて いまはとならむ 世の末に 誰とどまりて 
君をしのばむ        明恵上人(みょうえしょうにん)

(うえおいて いまはとならん よのすえに たれとどまりて
 きみをしのばん)

意味・・あなたが花を植えておいて亡くなったはるか
    後の世に、誰がこの世に残ってあなたを懐か
    しく偲ぶであろうか。ただ花だけがあなたを
    偲ぶがごとく咲きつづけるでしょう。

 注・・いまは=今は、臨終。
    世の末=はるか後の世。

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