名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2008年07月

まがねふく 吉備の中山 帯にせる 細谷川の 
音のさやけさ                
            読人知らず
            (古今和歌集・1072)
(まがねふく きびのなかやま おびにせる ほそ
 たにがわの おとのさやかさ)

意味・・吉備の中山の麓を帯のように流れている細い
    谷川の音のなんとすがすがしいことよ。

 注・・まがねふく=鉄を溶かして分けること。吉備国は
      鉄を産したので、ここでは吉備の枕詞。
    吉備=備前、備中、備後、美作の四国。岡山県と
      広島県の一部。
    中山=備前と備中の境の山。

昼顔や どちらの露の 情けやら  良寛(りょうかん)

(ひるがおや どちらのつゆの なさけやら)

意味・・昼顔が夏の暑さにもめけず、愛らしく
    咲いている。その可愛らしさは、朝露
    の趣を受けたのか、それとも夕露の趣
    によるのか、思い迷うことだ。

    昼顔は、昼に花が咲いて夕方にしぼむ。
    そこで、露の趣を加えてみたいが、朝
    露にしても夕露にしても、時間的に間
    に合わないという。

たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の
咲ける見る時         橘曙覧(たちばなあけみ)

(たのしみは あさおきいでて きのうまで なかりし
 はなの さけるみるとき)

意味・・私の楽しみは、朝起きて何気なく庭に目を
    やると、昨日まで無かった花があざやかに
    咲いた時です。その感動は大きいものです。

    アメリカの元クリントン大統領はこの歌を
    演説に取り入れています。
    日々新しい難題が生まれて来る世の中であ
    るが、日一日新たな日と共に確実に新しい
    花が咲き物事が進歩して、人々の友情を育
     (はぐく)む関係改善の兆しを見つけた時が
    私の喜びです。

年ごとに せくとはすれど 大井川 むかしの名こそ
なほながれけれ      源道済(みなもとみちなり)

(としごとに せくとはすれど おおいがわ むかしのなこそ
 なおながれけれ)

意味・・大井川は(田の用水として)毎年水を堰止めてい
    るけれども、昔の名高い評判だけは、せき止め
    られることもなく、今でもやはり流れ伝わって
    いることだ。

    川を堰止めるので大堰川(おおいがわ)とも
    呼ばれ、紅葉の葉がおびただしく流れるの
    で有名。
    藤原資宗(すけむね)は大井川で遊んだ折り
    「紅葉水に浮かぶ」の題で次の歌を詠んで
    います。

  筏士よ 待て言問はむ 水上は いかばかり吹く
  山の嵐ぞ  (07年5月28日 名歌観賞・31)  
    
 注・・せくとはすれど=(大井川は田の用水として
      井堰をつくって)堰き止めているけれど。
    大井川=大堰川とも言う、京都嵐山の近くを
      流れる川。上流を保津川、下流を桂川と
      呼ばれる。
            

武隈の 松は二木を みやこ人 いかがととはば
みきとこたへん        橘季通(たちばなすえみち)

(たけくまの まつはふたきを みやこびと いかかと
 とわば みきとこたえん)

意味・・武隈の松は二本あるのだが都の人がどうで
    したかと問うたなら「来て見ましたところ
    三本でしたよと」答えよう。

    有名な武隈の二本松を見て詠んだ歌です。
    「二木(ふたき)」だけれど、都人がどうで
    したと尋ねたら「三木(見き・見て来ました)」
    と答えようという、洒落の歌です。

 注・・武隈=宮城県名取郡岩沼町武隈。
    松は二木=現在は八代目の松だが、歴代の
      松は根際から二股に分かれている巨木
      なので二本の松のように見える。
    みきとこたへん=来て見てたら三本あった、と
      答えよう。「みき」は「三木」と「見き」
      の掛詞。
    

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに
月やどるらむ      清原深養父(きよはらふかやぶ)

(なつのよは まだよいながら あけぬるを くもの
 いずこに つきやどるらん)

意味・・今夜はまだ宵の口だと思っていたら
    そのまま空が明るくなってしまったが
    これでは月が西に沈む暇があるまい。
    進退窮まった月は、どの雲に宿を借り
    ているのだろうか。

    暮れたと思うとすぐに明るくなる夏
    の夜の短い事を誇張したものです。

 注・・宵=夜に入って間もないころ。

家ありや 芒の中の 夕けむり  
              童門冬二(どうもんふゆじ)

(いえありや すすきのなかの ゆうけむり)

意味・・家の周りは通常、田や畑であって作物が
    育っているはずなのだが、ここは薄に被
    われて生活をしていることだ。

    作句の動機、状況。
    貧困の部落のため、堤の修理もままなら
    ず、そのために毎年水害が発生するよう
    になった。その結果投げやりになって本
    業をやめて、遊びや博打も含めて他の余
    業に精を出すようになった。その結果、
    田や畑は薄や茅(かや)が茂るようになっ
    だ。村人の心に薄が生い茂っているのだ。
    心の中の薄や茅を刈り取らねばと言った
    ものです。       

 注・・夕けむり=夕煙、夕食の炊飯の煙。

うたた寝に 恋しき人を 見てしより 夢てふものは
頼みそめてき           小野小町(おののこまち)

(うたたねに こいしきひとを みてしより ゆめてふものは
 たのみそめてき)

意味・・うたた寝の夢で、恋しいあの人を見てから
    といものは、はかない夢というものでさえ
    頼りに思い始めるようになってしまった。

 注・・見てしおり=見てし時より、「時」を補う。


 

生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は
楽しくをあらな      大伴旅人(おおとものたびびと)

(いけるもの ついにもしぬる ものにあれば このよに
 あるまは たのしくをあらな)

意味・・生きる者はいずれ死ぬのだから、この世
    に生きている間は酒を飲んで楽しく過ご
    したいものだ。

    題意は「酒を讃(ほ)める歌」です。
    作歌動機は大宰府に伴った妻と死別して
    悲嘆と失望にあり、酒でまぎらわせよう
    としたものです。 

石見のや 高角山の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか 
              柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)

(いわみのや たかつのやまの このまより わがふるそでを
 いもみつらんか)

意味・・石見の、高角山の木の間から名残を惜しんで
    私が振る袖を、妻は見てくれたであろうか。

    国司として石見にいた人麻呂が、結婚して間も
    ない現地の妻を残して上京する時の歌です。

 注・・石見=島根県西部地方。
    高角山=島根県都野津町付近の高い山。

このページのトップヘ