名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2008年09月

ちはやぶる 香椎の宮の 杉の葉を ふたたびかざす
わが君ぞきみ       大膳武忠(だいぜんたけただ)

(ちはやぶる かしいのみやの すぎのはを ふたたび
 かざす わがきみぞきみ)

意味・・威光のある香椎の宮の杉の葉を、再び冠に
    挿す我が君よ、君。

    藤原隆家が太宰府の師(最高の地位)に再び
    なった時、杉の葉を取り師の冠に挿した時
    に詠んだ歌です。
    マラソンで優勝して月桂樹を冠にした選手
    を讃えるような気持です。
  
 注・・香椎=福岡市東区香椎。
    ちはやぶる=神の枕詞、ここでは「香椎の宮」に掛る。
    神威(神の威力)の意を含む。

かはりゆく 鏡の影を 見るたびに 老鮮の森の 
嘆きをぞする     源師賢(みなもともろかた)

(かわりゆく かがみのかげを みるたびに おいその
 もりの なげきをぞする)

意味・・年とともに変わってゆく鏡に映った我が姿を
    見るごとに、老鮮(おいそ)の森ではないが、
    老いが嘆かれるばかりだ。

    鏡に映る自分の姿に老いを実感する歌です。

 注・・老鮮の森=滋賀県蒲生郡安土町老鮮の森。
        「老い」を掛ける。

春もくれ 夏も過ぎぬる いつはりの うきは身にしむ
秋の初風          兼好法師(けんこうほうし)

(はるもくれ なつもすぎぬる いつわりの うきはみに
 しむ あきのはつかぜ)

意味・・春のころ訪ねてくると言っておきながら、その
    春も暮れ、夏も過ぎてしまった。そして秋の初
    風がもの寂しく感じられるようになると、未だ
    に訪ねて来ない人の嘘言が身にしみてつらく思
    われてくることだ。

    春に訪ねて来ると言った人が秋になってもやっ
    て来ないので詠んだ歌です。
    「梨のつぶて」の子供はどうしているだろうか
    と心配しているのに、来ると言いながら訪れて
    来ない、というような気持です。
    
 注・・うき=憂き、つらいこと。

思ふとも 離れなむ人を いかがせむ 飽かず散りぬる
花とこそ見め        素性法師(そせいほうし)

(おもうとも かれなんひとを いかがせん あかず
 ちりぬる はなとこそみめ)

意味・・こっちがいくら思っていても離れてしまう
    人をどうしたらいいのだろう。ああそうだ、
    不本意ながら散ってしまった花だと思って
    いよう。

    きれいな花が散るのはやむをえないという
    割り切った気持を詠んだ歌です。

 注・・飽かず散りぬる花=十分に眺めないうちに
      散ってしまう花。
    こそ=「こそ」により、そういう花だと思
      うほかあるまい、という気持を表して
      いる。

いなと言えど 強ふる志斐のが 強ひ語り このころ聞か
ずて 我恋ひにけり      
              持統天皇(じとうてんのう)
              (万葉集・236)

(いなといえど しうるしいのが しいかたり このころ
 きかずて われこいにけり)

意味・・「もうたくさん」というのに聞かそうとする、
    志斐婆さんの無理強い語りも、ここしばらく
    聞かないでいると、私は恋しく思われる。

    側近の老婆をからかった歌です。

 注・・志斐の=側近の老婆の名前。「の」は親愛を
        表わす。
    強ひ=志斐を掛ける。

白波の 千重に来寄する 住吉の 岸の埴生に 
にほひて行かな       車持千年(くるまもちちとせ)

(しらなみの ちえにきよする すみよしの きしのはにうに
 においてゆかな)

意味・・白波の幾重にも来寄せる住吉の浜の岸の埴土(は
    につち)で、さあみんな、衣を染めて行こう。

    白波の花が岸辺を咲きめぐる住吉の浜辺の風光
    を讃え、遊覧に来た記念に衣を染めて行こうと
    詠んだ歌です。

 注・・住吉=大阪市住吉区の海岸。
    岸の埴生=「岸」は崖、「埴(はに)」は赤や黄の
      粘土、顔料になる。「生」はそれのある場所。
    にほひて=染めて。

鳥の子の まだかひながら あらませば をばといふ物は
をひいでざらまし             読人知らず

(とりのこの まだかいながら あらませば おばという
 ものは おいいでざらまし)

意味・・鳥の雛がまだ卵のままであったなら、
    尾羽など生え出ないだろうに、私も
    まだ甲斐の国にいたなら、姨(おば)
    が追い出すこともなかったろうに。

    甲斐の国より出て来て、姨の所で世話
    になっていたが、取るに足りない事で
    喧嘩になり、追い出される羽目になっ
    て詠んだ歌です。三種の掛詞に趣向を
    こらしている。

 注・・かひ=卵。「甲斐」を掛ける。
    をば=尾羽。「姨(おば・母の姉妹)」を掛ける。
    おひ=「生ひ」に「追ひ」を掛ける。

去年見てし 秋の月夜は 照らせども 相見し妹は 
いや年離る     柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)

(こぞみてし あきのつくよは てらせども あいみし
 いもは いやとしさかる)

意味・・去年見た秋の月は今も変わらずに照って
    いるが、この月を一緒に見た妻は、年月
    とともにいよいよ遠ざかって行く。

    妻を亡くして幾月が過ぎた後、秋の月を
    見て悲しみがつのり、月日とともに妻と
    遠ざかって行く事を嘆いた歌です。

 注・・妹=男性から女性を親しんでいう語。妻、
      恋人。
    いや=弥、いよいよ、ますます。

心には 下ゆく水の わきかへり 言はで思ふぞ 
言ふにまされる               読人知らず

(こころには したゆくみずの わきかえり いわでおもうぞ
 いうにまされる)

意味・・胸の中では、ちょうど地の中を流れて行く
    水がわきかえる、そのように激しくあなた
    を思う心が起こっていて、口にだしてはそ
    れを言わないが、そのほうが、かえって言
    うのにもまして思っていることなのですよ。

    恋の歌です。

木の間より もりくる月の 影見れば 心づくしの 
秋は来にけり            読人知らず

(このまより もりくるつきの かげみれば こころづくしの
 あきはきにけり)

意味・・木の間を通して洩れてくる月の光を見ると、
    心を痛める秋という季節は来ていたのだなあ。

    秋といえば気候が良く気持の良い時季であり、
    実りの季節、収穫の季節であるので、働く村
    人にとっては最も喜ばしい季節である。
    その一方、夏の間は月の光も通さなかった木
    立の繁みが、秋になって細く青い光を通すよ
    うになった。この推移を感じた作者は、万物の
    盛りが過ぎて衰えてゆくわびしい季節として、
    感傷悲哀の季節として、秋をとらえ詠んだ歌
    です。

 注・・心づくし=気をもむ、心を痛める。

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