名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2008年10月

何すかと 使の来つる 君をこそ かにもかくにも 待ちかてにすれ
                大伴四綱(おおとものよつな)

(なにすかと つかいのきつる きみをこそ かにもかくにも
 まちかてにすれ)

意味・・どんなつもりで使いなんかよこすのだろう。
    何をおいてもあなたをこそ、今や遅しと待ち
    かねているのです。

    皆が来るのを期待して待っている人なのに、
    宴席に出席出来ないという連絡を受けて詠ん
    だ歌です。

 注・・かにもかくにも=ともかくも。
    かてに=・・・出来ないで。

知りぬらむ 行き来にならす 塩津山 世にふる道は
からきものとは       紫式部(むらさきしきぶ)

(しりぬらん ゆききにならす しおつやま よにふるみちは
 からきものとは)

意味・・塩津山を行く人足よ、そなた達も人生の道はこの峠の
    ように険しいと知っているだろうに。
    
    紫式部の一行の旅の荷物を人足に持たせ、難所の塩津
    峠を越える時、人足たちが愚痴っているのを聞いて詠
    んだ歌です。

 注・・行き来にならす=よく行き来している。
    塩津山=滋賀県塩津の山、福井との県境の山。
    世にふる道=「ふる」は「古る(年月がたつの意)」、
        世を過ごす道、人生の道。
    からき=(塩が)辛い、険しい、厳しい。

さかゆけど 民のかまどや 思らし 平野の杉の もとのちかひは
              招月正徹(しょうげつせいてつ)
(さかゆけど たみのかまどや おもうらし ひらののすぎの
 もとのちかいは)

意味・・平野神社の神は、神杉の誓詞のように、御代
    が栄えていても、庶民の生活の豊ならん事を
    思っていらっしゃるようだ。

    庶民生活の安定こそ神の本来の願いでありた
    い、ということを詠んだ歌です。

 注・・さかゆく=栄行く、ますます栄える。主語は
         為政者。
    民のかまど=庶民の生活。
    平野の杉=京都にある平野神社。この社の神
         杉は治世安民のしるしとされた。
    御代(みよ)=天皇の治世。


大井川 つなぐ筏も ある物を うきてわが身の よるかたぞなき
                兼好法師(けんこうほうし)

(おおいがわ つなぐいかだも あるものを うきてわがみの
 よるかたぞなき)

意味・・大井川にはつないである筏もあるのに、わが身
    は落ち着かず頼りに思う寄る辺とてないことだ。

    たとえば、
    いつまでも非正規社員で勤めているような立場
    で、仕事に打ち込め生活も心配ない状態になり
    たいものだ、というような感じです。

 注・・うきて=浮きて、不安定な状態でいる、心が落
        ち着かない。
    よる=寄る、頼りにする。

多摩川の 砂にたんぽぽ 咲くころは われにもおもふ
ひとのあれかし       若山牧水(わかやまぼくすい)

(たまがわの すなにたんぽぽ さくころは われにおもう
 ひとのあれかし)

意味・・今はまことに暗くわびしい生活をしているが、
    この多摩川の広い河原の砂にたんぽぽの花が
    美しく咲く陽春の頃には、私にも相愛の恋人
    があって、明るく希望に満ちた日々が来て欲
    しいものだ。

    文筆で身を立てようとしている時で、生活の
    困窮時代であり恋愛苦悩時代に詠んだ歌です。
    明るい未来を告げてくれそうな多摩川の静か
    な流れに気分転換を求めて来たものです。
    
    

いかなれば 秋は光の まさるらむ 同じ三笠の 山の端の月
          権僧正永禄(ごんぞうしょうえいろく)

(いかなれば あきはひかりの まさるらん おなじみかさの
 やまのはのつき)

意味・・どういうわけで秋は月の光がまさるのだろうか。
    同じように見る三笠の山の端の月は。

    人は調子の良い時も悪い時もあるが、調子が悪
    い時でも沈まず、焼けにならず、頑張っていれ
    ば必ず報われ良くなるということを暗示してい
    ます。

 注・・三笠の山=奈良市にあり月の名所。「三」に
      「見る」を掛ける。
    山の端=山の上部の、空に接する部分。

世の中を なに嘆かまし 山桜 花見るほどの 
心なりせば
            紫式部(むらさきしきぶ)
            (後拾遺和歌集・104)

(よのなかを なになげかまし やまざくら はなみる
 ほどの こころなりせば)

意味・・世の中を嘆いてどうするのだ。人の一生など、
    山桜の盛りほど短いものなのに。

    紫式部の辞世の歌で娘(藤原賢子・かたこ)に
    遺したものです。

 注・・世の中=身の有様、身の上。

作者・・紫式部=生没年未詳。1013年頃没。「源氏物語」
     「紫式部日記」。

もろともに 苔の下にも 朽ちもせで 埋まれぬ名を 
見るぞ悲しき           和泉式部(いずみしきぶ)

(もろともに こけのしたにも くちもせで うずまれぬなを
 みるぞかなしき)

意味・・娘とともに苔の下で朽ちることもなく、埋もれ
    ないでいる娘の名を見るのは悲しくてならない
    ものだ。

    「亡くなった娘さんから頂いた服です」と見せ
    られた時に詠んだ歌です。
    不意に、そして久々に亡くなった娘の名に接し
    て感慨がこみあげてきた気持を詠んでいます。

 注・・もろともに=いっしょに、そろって。
    苔の下=墓の下。
    埋もれぬ名=骨は埋もれても名は埋もれぬの意。

いにしへは 月をのみこそ ながめしか 今は日を待つ
わが身なりけり      藤原賢子(ふじわらかたこ)
                   (紫式部の娘)
(いにしえは つきをのみこそ ながめしか いまはひを
 まつわがみなりけり)

意味・・昔は月ばかり待ち眺めていたが、今は月ならぬ
    日、臨終の日を待っている我が身であることだ。

    病気になり心細くなっている時に詠んだ歌です。
    いにしへと今、月と日の対照が趣向となってい
    ます。

 注・・月=天空の月。下句の日に至って暦日の月の意
      で対比される。
    日をまつ=命が終える日を待つ。

行く末の 月をば知らず 過ぎ来つる 秋またかかる 
影はなかりき            西行(さいぎょう)

(ゆくすえの つきおばしらず すぎきつる あきまた
 かかる かげはなかりき)

意味・・これから先、どんな明月とめぐり合うかどうかは
    分からない。過ぎ去った秋を振り返ってみても、
    このような月光はまたと見ることがなかった。

    今夜の月は一期一会と、明月の名月たらんとする
    事を、只今現在を存分に観賞しょう、という気持
    で詠んだ歌です。    

 注・・一期一会=一生一度きりの出会いのことで、人と
     の出会いは大切にすべきという戒め。もともと
     は、茶道の心得の言葉(今日という日、そして
     今いる時というものは二度と再び訪れるもので
     はない。そのことを肝に銘じて茶会を行うべき
     だ)。

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