名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2008年11月

世にふるも 更に時雨の やどりかな  宗祇(そうぎ)

(よにふるも さらにしぐれの やどりかな)

意味・・時雨降る(信濃路で)一夜の雨宿りをするのは
    侘しい限りであるが、更に言えばこの人生
    そのものが時雨の過ぎるのを待つ雨宿りの
    ようではないか。
    
    冷たい雨が降ったり止んだりするように、
    人生も良かったり悪かったりするという無
    常観を詠んでいます。

    本歌は二条院讃岐の、

 「世に経るは苦しきものを槙の屋にやすくも過ぐる
  初時雨かな」(名歌観賞・583)です。

 注・・ふる=「降る」と「経る」を掛ける。
    さらに=さらに言えば。
    時雨=初冬のにわか雨。人生の無常や冬の
       始まりの侘しさを感じさせる。

世に経るは 苦しきものを 槙の屋に やすくも過ぐる
初時雨かな       二条院讃岐(にじょういんのさぬき)

(よにふるは くるしきものを まきのやに やすくもすぐる
 はつしぐれかな)

意味・・世を生きながらえていくことは辛く苦しいもの
    なのに、槙の屋に降る初時雨はいとも軽々しく
    降り過ぎていくことだ。

    辛さや苦しみ、悲しみを十分味わったので、「
    やすく過ぐる」ように、これからは容易に世を
    過ごす事が出来たら良いのに、という気持を詠
    んでいます。
    なお、二条院は平家との戦いで父と子を亡くし
    ています。

 注・・世に経る=この世に生きながらえる。
    槙の屋=槙の板で葺(ふ)いた家。
    やすく過ぐる=なんの苦しみもなくさらさらと
       降り過ぎる。
 

濡れてほす 山路の菊の つゆのまに いつか千年を
我は経にけむ          素性法師(そせいほうし)

(ぬれてほす やまじのきくの つゆのまに いつかちとせを
 われはへにけん)

意味・・山路の菊の露に濡れて仙宮に到ったが、着物を
    乾かすほんのわずかの間に、私はいつ千年も過
    ごしてしまったのだろうか。

    詞書は、
    仙人の家(仙宮)に菊の咲いた細道を分けて入っ
    て行く人がある、その模型を見て詠んだ歌です。

    蝉の一ヶ月は人の100年に当たり、仙人の
    一日は人間界の千年に当たるほど、時は永遠
    不変という事を詠んだ歌です。

    短い時間を長い時間掛けてゆったりと過ごし
    したいという気持を詠んでいます。
    老いた人の一日はすごく短いが、幼児の時の
    一日はすごく長く感じる。この幼児のような
    時間の使い方が出来たらなあ、という気持です。

 注・・つゆ=菊の「露」とつゆのまにの「つゆ」の掛詞。

植えしとき 花まちどほに ありし菊 移ろふ秋に
あはむとや見し         大江千里(おおえのちさと) 

(うえしとき はなまちどおに ありしきく うつろうあきに
 あわんとやみし)

意味・・かって植えた時には、花の咲くのが待ち遠しくて
    しかたがなかった菊であるが、それがしだいに成
    長し花が咲き色が変わりかける事が、こんなに早
    く実現しょうとは誰が思った事であろうか。    

    植えた菊が花を咲かせ、枯れて行く月日の経過が
    早いのに驚いて詠んだ歌です。

 注・・花まちどほに=花が咲くのが待ち遠しい。
    移ろふ秋=青葉が黄葉となり枯れて落葉となって
         ゆく秋。
    あはむとや見し=会うと思ったであろうか、いや
         そうとは思えない。「や」は反語。

秋風の 吹きにし日より 音羽山 峰のこずえも 
色つきにけり          紀貫之(きのつらゆき)

(あきかぜの ふきにしひより おとばやま みねの
 こずえも いろつきにけり)

意味・・秋風が吹き始めた初秋の時から風の音が絶え間
    なくするが、その音羽山を今日眺めると、峰の
    こずえまですっかり紅葉している。

 注・・音羽山=京都と滋賀県の境にある山。音羽山の
       「音」と、風の「音」を掛ける。

霧たちて 雁ぞ鳴くなる 片岡の 朝の原は 
もみじしぬらむ             読人知らず

(きりたちて かりぞなくなる かたおかの あしたの
 はらは もみじしぬらん)

意味・・空には霧がたちこめ、雁の鳴き声が聞こえてくる。
    秋も深くなったから、片岡の朝の原の木々はきれい
    に紅葉したことだろう。

 注・・片岡=奈良県葛城郡王寺町。

みよし野の 花は雲に まがひしを ひとり色付く
峰のもみじば           慈円(じえん)

(みよしのの はなはくもに まがいしを ひとりいろずく
 みねのもみじば)

意味・・吉野の桜は雲に間違えられるようであったが、
    峰の紅葉ばは何事にもまがうことなく、ひとり
    鮮やかにに色ずいていることだ。

    吉野の紅葉を遠方から見て詠んだ歌です。
    
 花は雲に=遠方から見た満開の桜が、雲のように
    見えること。

あかあかや あかあかあかや あかあかや 
あかあかあかや あかあかや月        
             明恵上人(みょうえしょうにん)

意味・・明るいなあ。ほんとうに明るく明るいよ。
    いやが上にも明るく広くいっぱいに満ちて
    いる月だ。

    「あか」を12個重ねて読んだ歌だか、
    この歌は「陀羅尼(だらに)」と言われ、
    真言密教の経文(きょうもん)を翻訳せず
    に読みあげたものとされています。

世の中の うきをも知らで すむ月の かげはわが身の
心地こそすれ            西行(さいぎょう)

(よのなかの うきをもしらで すむつきの かげは
 わがみの ここちこそすれ)

意味・・世間の憂き姿も知らずに澄みたる月の光は、
    出離して草庵に住み、心澄むわが身そのも
    ののような気がする。    

    西行の気持を考えて見ました。

    森鴎外の小説「高瀬舟」の一節です。

 「人は病があると、この病が無かったらと思う。
  その日その日が食えないと、食って行けたらと思う。
  万一の時に備える蓄えがないと少しでも蓄えがあった
  らと思う。
  蓄えがあっても、その蓄えがもっと多かったらと思う。
  斯くの如くに先から先に考えて見れば、人はどこまで
  行っても踏み留まる事が出来るものやら分からない」

   また、鎌田茂雄「仏陀の観たもの」の一節です。

 「我々はあらゆるものから雁字搦(がんじがらめ)めに
  縛られて身動きが出来ない。
  縛るものは何か、地位であり、名誉であり、金であり
  女であり、酒である。
  ありとあらゆる欲望の対象はすべて我々を縛るものだ」

   西行は、求めても求めても得られない苦しみ、この苦
   しみから逃れる事が出来たと、詠んだ歌です。

うき=憂き、つらいこと。

長き夜や 心の鬼が 身を責める   
                   一茶(いっさ)
                   (七番日記)
(ながきよや こころのおにが みをせめる)

意味・・いたらない自分の醜態(しゅうたい・恥ずべく事)が
    自己嫌悪となって、一人になった夜、心の中から小
    さな鬼が立ち上がって「お前バカだなあ、なぜあん
    なアホウな事をするのだ」と攻め立てる。
 
    一茶は「心ない自分の行いによって人が傷ついた」
    と感じ、その傷ついた相手の身になって「なぜ傷を
    つけたのだ」と加害者になった自分を責めて詠んだ
    句です。

 注・・心の鬼=良心。

作者・・小林一茶=1763~1827。三歳で生母と死別。継母と
     不和のため、15歳で江戸に出て奉公生活に辛酸を
     なめた。「七番日記」「おらが春」。
    

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