名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2009年01月

眺むれば 月やはありし 月ならぬ 我身ぞもとの 
春に変れる        後鳥羽院(ごとばいん)

(ながむれば つきやはありし つきならぬ わがみぞもとの
 はるにかわれる)

意味・・眺めると月は以前の月ではないであろうか、
    いやいや昔のままの月である。ところが我
    身だけが以前の春とかわってしまっている
    ことだ。

    自分の境遇の変貌を詠嘆して詠んだ歌です。
    承久の乱(1221年)によって隠岐に配流
    されている。

 注・・やは=反語の意味を表す。・・であろうか、
       いや・・ではない。

    次の歌が本歌です。

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは 
もとの身にして      在原業平(ありはらなりひら)

(つきやあらぬ はるやむかしの はるならぬ わがみひとつは
 もとのみにして)

意味・・この月は以前と同じ月ではないのか。春は去年の春と
    同じではないのか。私一人だけが昔のままであって、
    月や春やすべてのことが以前と違うように感じられる
    ことだ。

    しばらく振りに恋人の家に行ってみたところ、すっかり
    変わった周囲の光景(すでに結婚している様子)に接して
    落胆して詠んだ歌です。

山寺の 入相の鐘の 声ごとに 今日も暮れぬと 
聞くぞ悲しき           読人知らず

(やまでらの いりあいのかねの こえごとに けふも
 くれぬと きくぞかなしき)

意味・・山寺の晩鐘の音を聞くごとに、これで一日が
    終わってしまうと思うが、今日もまた一日が
    暮れたと思って鐘の音を聞くと、まことに悲
    しい気持がすることだ。

    充実したことをせずに、今日も終わってしま
    うことは悲しい、という気持を詠んだ歌です。

 注・・入相の鐘=日没時につく鐘。

あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに
なりぬべきかな      藤原伊尹(ふじわらのこれまさ)

(あわれとも いうべきひとは おもおえで みの
 いたづらに なりぬべきかな)

意味・・私が死んだ後で、かわいそうだと言ってくれそう
    な人は誰も思い浮かんでこない。そんな孤独な私
    はこのまま死んでしまうに違いありません。

    失恋の痛手に身も心も弱り果て、自分が死んだと
    しても、かわいそうだと悲しんでくれる人は誰も
    いない、死にたいなあという気持を詠んだ歌です。

 注・・おもほえで=「思ほえ」は思われる、思い浮かぶ、
      「で」は打ち消しの助詞、思い浮かばないで。
    身のいたづらに=「いたづら」はむだだの意、身
      をむだにすること、すなわち死ぬことをいう。
      

忘れ草 しげれる宿を 来て見れば 思ひのきより
生ふるなりけり      源俊頼(みなもとのとしより)

(わすれぐさ しげれるやどを きてみれば おもい
 のきより おうるなりけり)

意味・・あなたが私を忘れるという名の忘れ草が茂って
    いるあなたの宿を尋ねて来て見ると、あなたの
    「思い退き」という軒から生えているのだった。

    かっての恋人から忘れられるようになったが、
    気持が遠のいている事が確認できたので自分も
    諦めがついた、という事を詠んだ歌です。

 注・・忘れ草=萱草、忍草、恋人を忘れる比喩。
    思ひのき=思ひ退き(気持が遠ざかる)の意に
      軒を掛ける。

あせにける 今だにかかる 滝つ瀬の はやくぞ人は
見るべかりける      赤染衛門(あかぞめえもん)

(あせにける いまだにかかる たきつせの はやくぞ
 ひとは みるべかりける)

詞書・・大覚寺の滝を見て詠みました歌。

意味・・衰えてしまった今でさえ懸かっている滝を、
    (すっかりなくなってしまわないうちに)早く
    人は見ておいたほうがよいと思いますよ。

    大覚寺の滝が枯れたあと公任が詠んだ歌が
    があります。「滝の音は絶えて久しく・・」
    参考を参照してください。

 注・・あせにける=褪せにける、衰えてしまった。
    かかる=「懸かる」と「斯かる」の掛詞。
    滝つ瀬=急流の意。「はやく」の枕詞。

 参考です。

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて
なほ聞こえけれ    藤原公任(ふじわらきんとう)

(たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそ
 ながれて なおきこえけれ) 
    
意味・・滝の水の音は聞こえなくなってから長い年月
    がたってしまったけれども、その名声だけは
    流れ伝わって、今でもやはり聞こえてくる
    ことだ。

    詞書によれば京都嵯峨に大勢の人と遊覧した折、
    大覚寺で古い滝を見て詠んだ歌です。

 注・・名こそ流れて=「名」は名声、評判のこと。
       「こそ」は強調する言葉。
       名声は今日まで流れ伝わって、の意。
       後世この滝を「名古曾(なこそ)の滝」と
       呼ぶようになりました。

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