名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2009年02月

待つ人の 今も来たらば いかがせむ 踏ままく惜しき
庭の雪かな         和泉式部(いすみしきぶ)

(まつひとの いまもきたらば いかがせん ふままくおしき
 にわのゆきかな)

意味・・私が待つあの人がもし今来たらどうしょう。
    踏むのがもったいない庭の雪だこと。

    白一面の庭はあまりにも美しい、その美しさ
    に思わず心を奪われる感慨を詠んでいるが、
    それでも、恋人が来て足跡を付けられた方が
    良いという気持です。
    

われ男の子 意気の子名の子 つるぎの子 詩の子恋の子
ああもだえの子      与謝野鉄幹(よさのてっかん)

(われおのこ いきのこなのこ つるぎのこ しのこ
 こいのこ ああもだえのこ)

意味・・私は男児の誇りに生きるものであり、意気に
    感じて生きるものであり、名誉を重んじるも
    のであり、剣を重んじるものである。しかし
    また一面で詩を愛し、恋愛の情を大切にする
    人間でもある。ああなんと悩み多い人間であ
    ることだ。

鶯の 声なかりせば 雪きえぬ 山ざといかで
春をしらまし         中務(なかつかさ)

(うぐいすの こえなかりせば ゆききえぬ やまざと
 いかで はるをしらまし)

意味・・春が来ても雪の消えない山里では、もし春を
    告げる鶯の声が無かったとしたら、どうして
    春が来たことを知ることが出来ようか。

百伝ふ 盤余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 
雲隠りなむ          大津皇子(おおつのみこ)

(ももづとう いわれのいけに なくかもを けふのみ
 みてや くもかくりなん)

意味・・この盤余の池に鳴く鴨を今日限りに見て、
    私は死んでしまうのであろうか。

    自己の死を凝視(ぎょうし)して詠んだ辞世の
    歌です。謀反の罪で殺された。

 注・・百伝ふ=盤余の枕詞。無限に続く意を表し
       第四、五句のはかなさに対比させる。
    盤余(いわれ)=奈良県磯城郡盤余。
    雲隠り=昇天して雲の中に隠れる、貴人が
       死ぬこと。

思ふまじ 思ふまじとは 思へども 思ひ出だして
袖しぼるなり           良寛(りょうかん)

(おもうまじ おもうまじとは おもえども おもい
 いだして そでしぼるなり)

意味・・亡くなった子を思い出すまい、思い出すまい
    とは思うけれども、思い出しては悲しみの涙
    で濡れた着物の袖を、しぼるのである。

    文政2年(1819年)に天然痘が流行して子供が
    死亡した時の歌です。
    

物皆は 新たしきよし ただしくも 人は古りにし 
よしかるべし      柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)

(ものみなは あらたしきよし ただしくも ひとは
 ふりにし よろしかるべし)

意味・・もちろん物はみんな新しい方が良いに決まって
    いる。とは言うものの、人には古びれば古びた
    なりのよさがあるように思われる。

    空威張りをして老いを嘆いた歌です。

 注・・ただしくも=但し。

飛騨人の 真木流すといふ 丹生の川 言は通へど
舟ぞ通はぬ             読人知らず

(ひだひとの まきながすという にうのかわ 
ことはかよえど ふねぞかよわぬ)

意味・・飛騨の国の人が真木を伐って流すという丹生の
    川は、噂だけは聞こえて来るが舟は通わない。

    美人が居るというけれどその人に逢えない、と
    いうたとえの歌です。

 注・・飛騨人=岐阜県飛騨の地方人、匠が多い。
    真木=建築用になる檜や杉の木。
    丹生川=岐阜県大野郡丹生川村を流れる川。
    舟ぞ通はぬ=直接には逢えない、の意を含める。

山里は 雪降り積りて 道もなし 今日来む人を
あはれとは見む        
             平兼盛(たいらのかねもり)
             (拾遺和歌集・251)
(やまざとは ゆきふりつもりて みちもなし きょう
 こんひとを あわれとはみん)

意味・・山里は雪が降り積もって道も絶えてしまった。
    もし今日、私の所に訪ねてくれる人があったら、
    その人の事をいとおしいと思うだろう。

    雪が激しく降ったので道も全くない。こんな時
    にでも、相談なりにやって来る人は我が心に通
    う人だ、という気持です。    

 注・・あはれ=いとしいさま、愛着を感じるさま。

作者・・平兼盛=生年未詳~990。従五位下・駿河守。
     三十六歌仙の一人。「兼盛集」。

年のはに かくも見てしか み吉野の 清き河内の
たぎつ白波        笠金村(かさのかねむら)

(としのはに かくもみてしか みよしのの きよき
 かわちの たぎつしらなみ)

意味・・毎年毎年こうして見たいものだ。ここ吉野の
    清らかな河内の渦巻き流れる白波を。

    吉野川の爽快な白波を詠み離宮を讃えた歌です。

 注・・年のは=毎年。
    河内=川の周辺に開けた生活圏。

出典・・万葉集・908。

月雪は いつはあれども ぬば玉の 今日の今宵に
なをしかずけり          良寛(りょうかん)

(つきゆきは いつはあれども ぬばたまの けふの
 こよいに なおしかずけり)

意味・・月や雪はいつ見ても素晴しいが、今日という
    今日の今夜以上の素晴しい月や雪はない事だ。

    師の徳昌寺住職の慶事をたたえて詠んだ歌です。

 注・・いつはあれども=いつでもそうだが、特に。
    ぬば玉の=「今宵」の枕詞。
    

このページのトップヘ