名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2009年03月

常盤なす 岩室は今も ありけれど すみける人ぞ
常なかりける         博通法師(はくつうほうし)

(ときわなす いわやはいまも ありけれど すみける
 ひとぞ つねなかりける)

意味・・常に変わらず岩室は今もあるけれど、ここに住ん
    でいた人は変わってしまってもう居ない。

    芭蕉の俳句「草の戸も住み替はる代ぞひなの家」
    を参照してください。(意味は下記)

 注・・常盤なす=「常盤」は常に変わらない岩、「なす」
      は、・・のように。
    岩室=和歌山県日高郡美浜町にある岩窟。
    常なかり=変わっている。

参考です。

草の戸も 住み替はる代ぞ ひなの家     芭蕉(ばしょう)

(くさのとも すみかわるよぞ ひなのいえ)

意味・・このみすぼらしい草庵も、人の住み替わる時が
    やって来た。新しく住む人は、世捨て人みたいな
    自分と違って弥生(三月)の節句には雛も飾ること
    であろう。こんな草庵でも移り替わりはあるものだ。
    
    旅立ちに際して芭蕉庵を人に譲った時に詠んだ句。
    
    方丈記の次の文を思わせます。

    「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水に
    あらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ
    結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の
    中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし」

意味・・流れゆく河の水は、絶えることもなく、いつも変わ
    らず流れているように見えるものだが、それでは同
    じ水が流れているかというと、その流れる水はもと
    の水が今流れているのではない。流れの停滞してい
    る所に浮かぶ泡は、一方で消えたかと思うと、一方
    に浮かび出て、長いこと同じ状態のままでいるとい
    うことは、今までに例がない。世の中に存在する人
    間も、その住まいも、またちょうどこのようなもの
    である。

杉の庵 すぎて思へば 世の外の 山の月日も
短かかりけり          橘曙覧(たちばなあけみ)

(すぎのいお すぎておもえば よのそとの やまの
 つきひも みじかかりけり)

意味・・過ぎて思えば俗世間から離れて、山家の
    粗末な杉の庵で過ごした歳月も短く思え
    ることだ。

    つらかった事も過ぎて思えば短く、あっ
    と言う間に終わったという気持ちを詠ん
    でいます。

 注・・杉の庵=杉の皮で葺(ふ)いた粗末な家。
    すきて=「杉」と「過ぎ」の掛詞。
    世の外=俗世間から離れた世界。

み吉野の 大川のべの 古柳 陰こそ見えね 
春めきにけり        輔仁親王(すけひとしんのう)

(みよしのの おおかわのべの ふるやなぎ かげこそ
 みえね はるめきにけり)

意味・・吉野の大川のほとりの古柳は、木陰が見える程
    に茂ってはいないが、春らしい様子になった事
    だ。

 注・・陰こそ見えね=陰は見えないが、木陰が見える
      ほど茂らないが、古柳であるから葉が茂ら
      ないのである。

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城山の 山のかくめる 引田港 われ少年にして
ここに船出しき        南原繁(みなみはらしげる)

(しろやまの やまのかくめる ひきたこう われ
 しょうねんにして ここにふなでしき)

意味・・ここ城山から引田港を望むと、山で囲まれた
    小さな町並みの港町である。私がまだ少年で
    あった時、希望を持ってこの港から公海へと
    船出したものだ。

    作者は、戦後初代の東大総長になった人です。
    故郷に帰り昔を懐かしんで詠んだ歌です。

 注・・城山=香川県東香川市にある山。
    引田港=香川県東香川市引田町の港。
    

はじめに
インターネットの接続不良のために更新できませんでした。
お詫びいたします。

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昨日こそ 年はくれしか 春霞 かすがの山に
はやたちにけり        読人知らず

(きのうこそ としはくれしか はるがすみ かすがの
 やまに はやたちにけり)

意味・・年が暮れたのはほんの昨日だったのに、
    今日ははや春日の山に春霞がたって、い
    かにも春めいたことだ。

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夜泣きすと ただもり立てよ 末の代に 清く盛ふる
事もこそあれ        白河院(しらかわいん)

(よなきすと ただもりたてよ すえのよに きよく
 さかうる こともこそあれ)

意味・・いくら夜泣きしても、忠盛よ、ただ守り立て
    て、大事に育てよ。成長したら、清く盛んに
    栄えるだろうから。

    平清盛が生まれた時に白河院が忠盛に贈った
    歌です。この歌によって清盛の名前がつけら
    れた。

 注・・ただもり=忠盛(平清盛の父)と「ただ守り」を
      掛ける。

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あおやぎの 枝にかかれる 春雨は 糸もてぬける
たまかとぞみる          伊勢(いせ)

(あおやぎの えだにかかれる はるさめは いともて
 ぬける たまかとぞみる)

意味・・芽を出した青柳の枝に春雨が降りかかって、
    露のかたちとなっているのは、まったく糸で
    真珠のつぶつぶでも貫いたように見えるもの
    だ。
    

色香をば 思ひもいれず 梅の花 つねならぬ世に
よそへてぞ見る         花山院(かざんいん)

(いろかをば おもいもいれず うめのはな つねならぬ
 よに よそへてぞみる)

意味・・梅の花の色香のすばらしさよ、しかし私は
    そのすばらしさにひかれて執着するのでは
    ない、花の咲き散る姿に無常な人間の世を
    なぞらえて見ることだ。

    花山天皇は在位2年で王位を捨てて出家し
    て詠んだ歌です。美しい梅の花にも、やが
    て散るその姿に無常の思いを浮かべていま
    す。

 注・・よそへて=なぞらえる、たとえる。
    つねならぬ=はかない、無常だ、世の中に
      あるすべての物は絶え間なく生滅変化
      し、永久不変でないこと。
      

道のべの 朽木の柳 春来れば あはれ昔と
しのばれぞする    菅原道真(すがわらみちざね)

(みちのべの くちきのやなぎ はるくれば あはれ
 むかしと しのばれぞする)

意味・・道のほとりの朽ち木の柳は、春が来ると、
    ああ、昔はさぞ美しく茂ったことであろう
    と思われることだ。

    作者自身の境遇を顧みて詠んだ歌です。

 注・・朽木=左遷されて世に埋もれている自分の
      姿を見ている。
    あはれ昔としのばれぞする=ああ、昔はさ
      ぞ美しく茂った事であろう。世に時め
      いた頃の自分の追懐をこめている。

百薬の 長どうけたる 薬酒 のんでゆらゆら 
ゆらぐ玉の緒     唐衣橘洲(からころもきっしゅ)

(ひゃくやくの ちょうどうけたる くすりざけ のんで
ゆらゆらゆらぐ たまのお)

意味・・百薬の長といわれる薬の酒を、たっぷり杯に
受けて飲むと、わが玉の緒の命も、ゆらゆら
と揺れ動くような、浮き立つ快さを覚える。

参考歌「初春の初子の今日の玉箒手に取るから
にゆらぐ玉の緒」(意味は下記)の歌と、
「酒は憂いの玉箒」(意味は下記)の諺を念頭に
詠んだ歌です。

 注・・百薬の長=酒は百薬の長。「長」は「ちょうど」を
掛ける。
    ちょうど=たっぷり、十分。
玉の緒=玉をつらぬいた緒、命。

参考歌です。

初春の 初子の今日の 玉箒 手に取るからに
揺らぐ玉の緒     
              大伴家持

(はつはるの はつねのけふの たまははぎ てにとる
からに ゆらぐたまのお)

意味・・新春のめでたい今日、蚕室を掃くために
玉箒を手に取るだけで、揺れ鳴る玉の緒
の音を聞くとうきうきした快さが感じら
れる。

注・・初子(はつね)=その月最初の子の日の称。
玉箒(たまははぎ)=古代、正月の初子の
日に、蚕室を掃いた玉飾りのついた
ほうき。酒の異称、憂いを掃くので。
取るからに=「からに」はわずかな事が
原因で重大な結果が起こる場合をい
う。
揺らぐ=目に揺れ動くさまが映ると共に
耳にもその触れあって鳴る音が伝わ
って来ることを意味する動詞。
玉の緒=玉箒の玉を緒に通して吊るした
ものをさすが、同時に生命を表す語
として、それを見る作者の心の躍動
緊張をも意味する。

諺です。

酒は憂いの玉箒(さけはうれいのたまぼうき)

意味・・酒を飲めば心にかかっている悩み事や
心配事も、箒で掃き清めたように無く
なってしまう、ということ。

聞く人ぞ 涙は落つる 帰る雁 鳴きてゆくなる 
あけぼのの空     藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)

(きくひとぞ なみだはおつる かえるかり なきてゆく
 なる あけぼののそら)

意味・・雁の涙を詠んだ歌があるが、声を聞く私のほうが
    涙が落ちてくることだ。帰る雁の鳴いていくのが
    聞こえる曙の空よ。

    雁が寂しそうに泣いて帰るように鳴くのを聞いた
    作者ももらい泣きしたくなる気持を詠んでいます。
    本歌のように、悲しみや悩みなどの物思いを心に
    秘めて詠まれたものです。
    本歌は「鳴きたる雁の涙や落ちつらむものを思ふ
    宿の萩の上の露」(意味は下記)    

 注・・聞く人ぞ涙は落ちる=鳴き渡る雁の涙が落ちたの
      だろうか、と詠んだ人がいると聞くが、私も
      涙が出て来る。本歌を念頭に詠んだもの。
    帰る雁=春になって北へ帰る雁。
    鳴く=「泣く」を掛ける。

本歌です。

鳴きわたる 雁のなみだや 落ちつらむ 物思ふ宿の
萩の上の露        藤原頼輔(ふじわらのよりすけ)

(なきわたる かりのなみだや おちつらん ものおもう
 やどの はぎのうえのつゆ)

意味・・空を鳴きながら飛ぶ雁が昨夜落としていった
    悲しみの涙なのだろう。それがちょうど我が
    家の庭の萩におかれた露になったのだが、そ
    の家の主人である私もまた物思いによって泣
    いているのだ。

    萩の露を雁の涙かと思い、その露によって作
    者の悲しみを表しています。

 鳴きわたる=鳴いて空を飛ぶ。「泣く」を掛ける。
 落ちつ=「つ」は瞬間的動作を表す、ポトリと落ちた。
 物思う=心配事などに思い悩む、物思いにふける。
 宿=庭先。

残菊や 杣の四戸に 墓二十   大阪府 浅川正

(ざんぎくや そまのよつどに はかにじゅう)

意味・・樵で生活しているこの村には四戸の家がある。
    しかし墓は二十もある。四戸なら普通は四つの
    墓でいい。村を出た人の墓なんだろう。
    勢いをなくした菊がしおれて咲き寂しさを誘っ
    ている。

 注・・杣(そま)=木を植えつけて材木を取る山。

中々に 花さかずとも 有りぬべし よし野の山の
春の明ぼの            慈円(じえん)

(なかなかに はなさかずとも ありぬべし よしのの
 山のはるのあけぼの)

意味・・なまじっか桜の花が咲いていなくても、それは
    それでよいと思う。えも言われない吉野山の春
    の曙の空の美しさよ。

 注・・中々に=いっそう、むしろ。

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