名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2009年05月

雨降れば 小田のますらを いとまあれや 苗代水を
空にまかせて       勝命法師(しょうみょうほうし)

(あめふれば おだのますらお いとまあれや
 なわしろみずを そらにまかせて)

意味・・雨が降るので、田の農夫は暇があることだ。
    苗代水を注ぐのを空に任せて、自分では何
    もしないので。
    
    苗代水の心配のいらない農夫の安らぎの姿
    を機知で詠んでいます。
   
 注・・雨降れば=「ぱ」は順接の確定条件を表す。
      ・・ので。雨が降るので。
    小田=「小」は美称。田。
    ますらを=男、ここでは農夫。
    や=感動・詠歎の助詞。・・・だなあ。
    まかせて=「任せて」と「撒かせて」を掛ける。

作者・・勝命法師=俗名は藤原。1187年頃の人。
      従五位佐渡守。

ちる花に またもやあはむ おぼつかな その春までと
知らぬ身なれば    藤原実方(ふじわらのさねかた)

(ちるはなに またもやあわん おぼつかな そのはる
 までと しらぬみなれば)

意味・・散る花を再び見る機会にあうだろうか。
    あてにできないなあ。いついつの年の春
    まで生きているとはわからないこの身だ
    から。

    「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じ
    からず」(毎年毎年、花は同じように咲
    くけれども、人の身は変わって同じでは
    ない、の意。人の世の移り変わり、人の
    命のはかなさをいったもの)という事を
    詠んだ歌です。

 注・・おぼつかな=覚束な。心細い、頼りない。
    その春=「その」は何年という数字をぼか
      した形。いついつの年の春。

作者・・藤原実方=998年没。左中将から陸奥守に
      なる。中古三十六歌仙。

三月は つくれど質の ふるあはせ うけぬかぎりは
春にぞありける    酒上不埒(さかのうえふらち)

(さんがつは つくれどしちの ふるあわせ うけぬ
 かぎりは はるにぞありける)

詞書・・三月尽(さんがつじん)

意味・・三月も今日で尽きて、明日からは夏だが、
    質屋に置いてある古袷(ふるあわせ)を請け
    出してこない限りは、自分にとってはいつ
    までも春だ。

    鶯が鳴かぬ限りは春が来たとは思わない、
    という古今集の歌「春きぬと人はいへども
    うぐいすの鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ」
    をふまえています。(意味は下記)

 注・・三月尽=陰暦の三月末日。春の末日。
    つくれど=尽きる。
    ふるあわせ=古袷。四月一日を衣替えとして、
      端午(たんご・五月五日)まで袷を着る事
      になっている。
    うけぬ=質屋から請け出す。

作者・・酒上不埒・・1744~1789。本名は倉橋格(かく)。
      松平豊後守の要人。黄表紙「金々先生栄花
      夢」などの戯作者。

参考歌

春きぬと 人はいへども うぐひすの 鳴かぬかぎりは
あらじとぞ思ふ     壬生忠岑(みぶのただみね)

意味・・春がやってきたと人々は言うけれど、鶯の
    鳴き声を聞かないうちは、私はまだ春が来
    たのではあるまいと思っているのだ。

ますらをの さつ矢手鋏み 立ち向ひ 射る円方は 
見るにさやけし      舎人娘子(とねりのむすめ)

(ますらおの さつやたばさみ たちむかい いる
 まとかたは みるにさやけし)

意味・・ますらおが矢を挟み持ち、立ち向かって射る
    的、その名の円方(まとかた)浜は見るからに
    清々しいことだ。

    礼儀正しく緊張感を持って的を射ている姿は、
    見る目からすると清々しい。円方浜はその様な
    的をイメージをさせてくれる風土として詠んで
    います。

 注・・ますらを=立派な男子。
    さつ矢=猟矢。「さつ」は「幸」獲物のこと。
      狩猟に用いる矢、矢をほめていう。
    円方(まとかた)=三重県松阪市の東部。「的」
      を掛ける。
    さやけし=清く澄んでいるさま、さわやかだ。

作者・・舎人娘子=伝未詳。

ほとどぎす 聞かで明けぬる 夏の夜の 浦島の子は
まことなりけり         西行(さいぎょう)

(ほとどぎす きかであけぬる なつのよの うらしまの
 こは まことなりけり)

意味・・郭公(ほとどぎす)の鳴く声も聞くこともなく、
    夏の短夜ははかなく明けてしまったが、まこ
    とに浦島の子の玉手箱のように、あけてくや
    しいことであった。

作者・・西行=1118~1190。俗名佐藤義清(
      のりきよ)。鳥羽上皇の北面武士であった
      が23歳で出家。「新古今集」では最も
      入選歌が多い。
      

なでしこが その花にもが 朝な朝な 手に取り持ちて
恋ひぬ日なけむ    大伴家持(おおとものやかもち)

(なでしこが そのはなにもが あさなあさな てにとり
 もちて こいぬひなけん)

意味・・あなたがなでしこの、その花であったらなあ。
    毎朝毎朝、手に取り持って恋い慕わない日は
    ないだろうなあ。

 注・・なでしこ=なでしこ科の多年草。「撫でし子
      (愛する子)」を掛ける。
    もが=他への希望を表す、・・であったらなあ。     

作者・・大伴家持=718~785。大伴旅人の長男。
      万葉集後期の代表的歌人。中納言従三位。

小萩さく 秋まであらば 思ひいでん 嵯峨野を焼きし
春はその日と      賀茂成助(かものなりすけ)

(こはぎさく あきまであらば おもいいでん さがのを
 やきし はるはそのひと)

詞書・・花見に行きました際に、嵯峨野を焼いているの
    を見て詠みました歌。

意味・・小萩が咲く秋まで命があったらきっと思い出す
    であろう。春、嵯峨野を焼いていたのは、花見
    に行った同じ日だったということを。

 注・・小萩さく=萩が咲く。「小」は美称の接頭語。
    秋まであらば=詞書の補注として、「今日の
      花見が忘れがだいので、もし在命(いのち)
      が萩咲く秋まであれば、必ず今日のことを
      思い出すだろう」とある。
    嵯峨野=京都市右京区嵯峨一帯の野。
    焼きし=野焼き、草をよく生えさせるため焼く。

作者・・賀茂成助=生没年未詳。1056年に従五位下
      になる。

はかなしや 命も人の 言の葉も たのまれぬ世を
たのむわかれは       兼好法師(けんこうほうし) 

(はかなしや いのちもひとの ことのはも たのまれぬ
 よを たのむわかれは)

意味・・はかないものだ。人の命も人の言葉も当て
    にならないこの世なのに、別れに際しての、
    再開を期する言葉を頼みにすることとは。

    退職するような時で、もう人との交際も期
    待出来ず、一人ぽっちの寂しい思いになっ
    ている時に、再会の別れの言葉に期待した
    気持ちを詠んでいます。

 注・・たのむ=頼む。たよりにする、期待する。

作者・・兼好法師=1283~1350。出家前の
      名は吉田兼好。当代和歌の四天王。
      「徒然草」を書く。

    
    

あしびきの こなたかなたに 道はあれど 都へいざと
いふ人ぞなき       菅原道真(すがわらみちざね)

(あしびきの こなたかなたに みちはあれど みやこへ
いざと いうひとぞなき)

意味・・山のこちらにもあちらにも道はあるけれど、
    「都へ、さあ行こう」と言ってくれる人は
    いないことだ。

    無罪の罪が晴れて都に帰る道への切実な願
    いに、力を貸してくれる人は一人もいない。
    そのくやしさを詠んだ歌です。

    道真は901年に右大臣の時、藤原時平の
    謀略により大宰府に配流されて3年後に、
    配所で亡くなった。  

 注・・あしびき=山の枕詞。山の意に用いる。
    こなたかなた=こちらにもあちらにも。
    都へいざ=「都へいざ行かん」の略。

作者・・菅原道真=903年没、59歳。従二位
      右大臣。当代随一の漢学者。

時すぎて 小野のあさぢに たつ煙 しりぬや今も
おもひありとは      藤原家隆(ふじわらのいえたか)

(ときすぎて おののあさじに たつけむり しりぬや
 いまも おもいありとは)

意味・・盛りの季節も過ぎて小野の浅茅に煙が経って
    いる。そのように恋の時が過ぎた今でも私は
    思いに燃えていると、あの人は知っているだ
    ろうか。

    本歌は「時過ぎてかれゆく小野の浅茅には今
    は思ひぞ絶えずもえける」 (小野小町の妹)
    (意味は下記) 
    
 注・・小野=「小」は美称の接頭辞。野原。
    あさじ=浅茅。短い茅萱(ちがや)。
    けむり=煙。春、野を焼く時の煙。

作者・・藤原家隆=1162~1241。新古今集の
         撰者。

本歌です。

時過ぎて かれゆく小野の浅茅には いまは思ひぞ
絶えずもえける        (小野小町の妹)

(ときすぎて かれゆくおののあさじには いまは
 おもいぞ たえずもえける)

意味・・季節外れで枯れ行く野原の茅萱(ちがや)に
    今は野焼きの火がいつも燃えています。
    盛りを過ぎた私はあなたに離れられました
    が心には悲しみの火が燃えています。

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