名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2009年06月

月や出る ほしの光の かはるかな すずしき風の
ゆふやみのそら       伏見院(ふしみいん)

(つきやいずる ほしのひかりの かわるかな
 すずしきかぜの ゆうやみのそら)

意味・・月が出ようとしているのだろうか。キラ
    キラまたたいていた星の光が、少し薄ら
    いで変わってきたようだ。涼しい夏の夜
    風が吹きすぎてゆく夕闇の空であるよ。

 注・・や=疑いの気持ちを表す、・・ではなか
      ろうか。

作者・・伏見院=1265~1317。92代天皇。

露の身の 消えもはてなば 夏草の 母いかにして
あらんとすらん          読人知らず

(つゆのみの きえもはてなば なつくさの はは
 いかにして あらんとすらん)

意味・・露のようにはかないわが身が命耐えて
    しまったならば、母はどのようにして
    生きて行くことだろうか。

    母に先立ち死ぬ娘の心を詠んだ歌です。
 
 注・・露の身=露のようにはかない身。
    夏草の=葉を導く枕詞。ここでは同音の
        「はは」を導いている。
    あらん=生きている、健在である。

澄めば見ゆ 濁れば隠る 定めなき この身や水に
やどる月かげ     藤原永範(ふじわらのながのり)

(すめばみゆ にごればかくる さだめなき このみや
 みずに やどるつきかげ)

意味・・心が澄めばよく見えるし、濁れば隠れて
    しまう。無常なこの身は水に映る月のよ
    うなものであろうか。

    静かな水面には月は映り、波たって濁れ
    ば月は映らない。人の気持ちもこのよう
    なもので、心が穏やかな時は水面に月が
    映って美しい状態だが悩みなどがあって
    心が穏やかでなくなると月は映らなって
    しまう。

 注・・定めなき=はかない、無常だ。

作者・・藤原永範=1180没。81歳。正三位宮内郷。

橘の にほふあたりの うたた寝は 夢も昔の
袖の香ぞする 
      藤原俊成の女(ふじわらのとしなりのむすめ)

(たちばなの におうあたりの うたたねは ゆめも
 むかしの そでのかぞする)

意味・・橘の花の香が薫るあたりでのうたた寝は、
    夢の中でも昔親しかった人の袖の香りが
    することだ。

    橘の香りと夢により、昔の恋が一瞬よみ
    がえった情感を詠んでいます。本歌は「
    五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の
    香ぞする」です。(意味は下記参照)

 注・・昔の袖の香=昔の人の袖の香。

本歌です。

五月まつ 花橘の 香をかげば 昔の人の 
袖の香ぞする         読人知らず 

(さつきまつ はなたちばなの かをかけば むかしの
 ひとの そでのかぞする)
 
意味・・五月を待って咲く橘が早くも咲いて、その香り
    が匂ってくる。それは昔親しかったあの人の袖
    の香りが思いだされる。

    香りを通じて思い出されてくる懐かしさを詠じた
    ものです。

 注・・五月まつ=五月になって咲く。
    花橘=橘の花。
    袖の香=今様で言えば香水の香り。

風をいたみ 岩うつ波の をのれのみ くだけてものを
おもふころかな     源重之(みなもとのしげゆき)

(かぜをいたみ いわうつなみの おのれのみ くだけて
 ものを おもうころかな)

意味・・風が激しいので、岩を打つ波が砕けるように、
    自分だけが心を千々にくだいて物思いをする
    この頃だ。

    岩をつれなき女に、波をわが身にたとえてい
    ます。

 注・・いたみ=痛み。痛みを感じる、(風が)激しい
         ので。

      

作者・・源重之=1000没、60余歳、陸奥守、36歌仙。


たのしみは 珍しき書 人にかり 始め一ひら
広げたる時        橘曙覧(たちばなあけみ)

(たのしみは めずらしきふみ ひとにかり はじめ
 ひとひら ひろげたるとき)

意味・・私の楽しみは、読みたいと思いながら
    なかなか手に入らない珍しい本を、や
    っと人から借りることが出来、いそい
    そした気持ちで最初の一頁を開いた時
    です。

 注・・ひとひら=一枚。「ひら」は薄くて平
      らなもの。

作者・・橘曙覧=1812~1868。国文学者。家業を
     異母弟に譲り25歳頃隠棲。「独楽吟」
     等の歌集がある。



 

まれにあふ 昔の友を鏡にも 老いのすがたぞ
いとどしらるる   招月正徹(しょうげつせいてつ)

(まれにあう むかしのともをかがみにも おいの
 すがたぞ いとどしらるる)

意味・・久しぶりに逢った昔の友の姿を、鏡に
    映った我が姿と見なし、いよいよ老い
    が思い知らされることだ。

    同じ年齢の友の姿からわが身の老いを
    知ったという歌です。

 注・・鏡にも=昔の友の老いた姿を見て、自
      分の老いを知る意。


作者・・招月正徹=1381~1459。招月は雅号。室町
      中期の歌僧。

(6月23日分です)

海ならず 湛へる水の 底までに 清き心は
月ぞ照らさん     菅原道真(すがわらのみちざね)

(うみならず たたえるみずの そこまでに きよき
 こころは つきぞてらさん)

意味・・海どころでなく、さらに深く満ちている
    水の底までも清いというほどに清い私の
    心は、天の月が照らして、明らかに見て
    くれるだろう。

    菅原道真は右大臣の時に讒言(ざんげん)
    により大宰府に配流されて詠んだ歌です。
    心の奥底までの潔白さが誰にも見て貰え
    ない嘆きを、天に恥じない自負の高揚に
    転じて、自らを慰めたものです。

 注・・讒言=事実をまげ人を悪く言うこと。
    海ならず=海どころでなく。
    湛(たた)へる=満ちる、充満する。

作者・・菅原道真=903年没、59歳。従二位
      右大臣。当代随一の漢学者。

(6月22日分です)


世の中は 七たび変へん ぬば玉の 墨絵に描ける
小野の白鷺          良寛(りょうかん)

(よのなかは ななたびかえん ぬばたまの すみえに
 かける おののしらさぎ)

意味・・世の中に対する態度を七度変えてみよう。
    墨で雪野の白鷺を描く事が出来るように、
    不可能に見えたものも可能になるものだ。

    類似歌として「世の中は何に譬へむぬば
    玉の墨絵に描ける小野の白雪」がありま
    す。(意味は下記参照)

 注・・ぬば玉の=「墨」の枕詞。
    小野=野原。
    墨絵に描ける白鷺=技術の上達によって
      不可能も可能になることを言う。

作者・・良寛=1758~1831。新潟県出雲町
      に左門泰雄の長子として生まれる。幼
      名は栄蔵。

類似歌です

世の中は 何に譬へむ ぬばたまの 墨絵に描ける 
小野の白雪          良寛(りょうかん)

(よのなかは なににたとえん ぬばたまの すみえに
 かける おののしらゆき)

意味・・この世のあり方を何に譬えたら良いだろうか。
    それは、墨だけで野原の白い雪を表現する絵
    のようなものである。黒い色も白い色も、見
    方にによって変わるものだ。  

 

今ぞ知る 民も願ひや 久方の 空にみづほの
国さかふなり     招月正徹(しょうげつしょうてつ)

(いまぞしる たみもねがいや ひさかたの そらに
 みずほの くにさかふなり)

意味・・今こそ分かった、国民たちの願望も永久に
    満たされるように、日本の国の、いよいよ
    栄えていることが。

    国民の願望が叶えられるところに日本国の
    繁栄があることを詠んでいます。

 注・・久かた=「空」の枕詞。永久の願いの意を
      こめる。
    みづほの国=日本国の美称。「みつ」は空
      に「満つ」を掛ける。

作者・・招月正徹=1381~1459。招月は雅号。室町
      中期の歌僧。

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