名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2009年07月

七夕は 今や別るる 天の川 川霧立ちて
千鳥鳴くなり        紀貫之(きのつらゆき)

(たなばたは いまやわかるる あまのがわ かわぎり
 たちて ちどりなくなり)

意味・・七夕は、今、いよいよ別れるのであろうか。
    天の川には川霧が立って、千鳥の鳴いている
    のが聞こえる。

    川霧の中から聞こえる千鳥の声が、おのずか
    ら、織女星(しょくじょせい)の忍び泣きを思
    わせる・・。

 注・・今や別るる=今いよいよ別れるのであろうか。
    千鳥鳴くなり=千鳥が鳴いているのが聞こえる。

七夕伝説=こと座の1等星ベガは、中国・日本の七夕伝説
では織姫星(織女星)として知られている。織姫は天帝の
娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦星(彦星、
牽牛星)は、わし座のアルタイルである。夏彦もまた働き
者であり、天帝は二人の結婚を認めた。めでたく夫婦とな
ったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦
は牛を追わなくなった。このため天帝は怒り、二人を天の
川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ天帝は会う
ことをゆるし、天の川にどこからかやってきたカササギが
橋を架けてくれ会うことができた。しかし7月7日に雨が降
ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず夏彦
も彼女に会うことができない。星の逢引であることから、
七夕には星あい(星合い、星合)という別名がある。また、
この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。催涙雨は織姫と夏彦
が流す涙といわれている。

作者・・紀貫之=866~945。古今集の中心的撰者で仮名
      序を執筆。「土佐日記」の作者。

世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも
鹿ぞ鳴くなる    
          藤原俊成(ふじわらのとしなり)
         (千載和歌集・1151、百人一首・83)

(よのなかよ みちこそなけれ おもいいる やまの
 おくにも しかぞなくなる)

意味・・世の中は逃れるべき道がないのだなあ。
    隠れ住む所と思い込んで入った山の奥
    にも悲しげに鳴く鹿の声が聞こえる。

    俗世の憂愁から逃れようと入った奥山
    にも安住の地を見出せなかった絶望感
    を、哀切な鹿の鳴き声に託して詠んで
    います。

 注・・道こそなけれ=逃れる道はないのだ、
     の意。「道」には、てだて、位の気持
     がこめられている。

作者・・藤原俊成=1114~1204年没。正三位。
      皇太后大夫。「千載和歌集」の選者。

思ふかた 山はふじのね 年をへて わが身の雪ぞ
ふりまさりゆく     藤原家隆(ふじわらのいえたか)

(おもうかた やまはふじのね としをへて わがみの
 ゆきぞ ふりまさりゆく)

意味・・思い悩むことは富士山のように高く積もり、
    年と共にわが身の雪(白髪)はいよいよよく
    降ることだ。

 注・・おもふかた=思い悩むこと。心配すること。
    わが身の雪=白髪を指す。

作者・・藤原家隆=1158~1237。新古今時代の中心的な
      歌人。後鳥羽院の信任が厚かった。

天離る 鄙の長道ゆ 恋来れば 明石の門より 
大和島見ゆ     柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)

(あまざかる ひなのながちゆ こいくれば あかしの
 とより やまとしまみゆ)

意味・・遠い田舎の長い道のりをひたすら都恋し
    さに上って来ると、明石海峡から大和の
    山々が見える。

    九州から都に上る時の歌で、家を恋しな
    がらの旅の終わりが近ずき、畿内に入れ
    た喜びを詠んでいます。

 注・・天離(あまざか)る=鄙の枕詞。
    鄙=都から離れた所、いなか。
    門(と)=瀬戸、海峡。
    大和島=明石より島のように見える生駒
      葛城連山を指す。

作者・・柿本人麻呂=七世紀後半から八世紀初頭
      の人。万葉時代の最大の歌人。

更行ば まきのお山に 霧はれて 月影清し 
宇治の川浪      永福門院(えいふくもんいん)

(ふけゆけば まきのおやまに きりはれて つきかげ
 きよし うじのかわなみ)

意味・・夜が更けてゆくと、やがて槙尾山にかかって
    いた霧も晴れ、澄み切った月の光が、宇治の
    川浪にきらめいている。

 注・・まきのお山=宇治川沿いにある槙尾山。

作者・・永福門院=1271~1342.藤原実兼(西園寺太政
      大臣)の娘、伏見天皇の中宮。

うき世には よしなき梅の にほひ哉 色にこころを
とめじとおもふに       伏見院(ふしみいん)

(うきよには よしなきうめの においかな いろに
 こころを とめじとおもうに)

意味・・はかない無常のこの世には不都合な梅の花
    の匂いだなあ。この世にありとあらゆる形
    ある存在には心を留めまいと思うのに、つ
    い梅の匂いに心が乱されてしまう。

 注・・うき世=浮き世、憂き世。中世では「憂き
      世」の意が多い。つらい世の中。
    よしなき=由無き、理由がない、根拠がな
      い。
    いろ=仏教語の色(しき)の事。形を有し、
      感覚の対象となる生成変化する全ての
      存在。有形の万物。欲望の対象。

作者・・伏見院=1265~1317。92代天皇。「玉葉
        集」を完成。

すぎふかき かた山陰の 下すずみ よそにぞすぐる
ゆふだちの空    藤原良経(ふじわらのよしつね)

(すぎふかき かたやまかげの したすずみ よそにぞ
 すぐる ゆうだちのそら)

意味・・杉の木立の深い片山陰の下で涼んでいると、
    よその場所に夕立を降らせた雲が空に広が
    って涼気が感じられる。    

 注・・かた山陰=片山陰、「片山」は一方が険し
      く他方がなだらかな山、その山かげ。
    よそにぞすぐる=他の場所に降り過ぎた。

作者・・藤原良経=1169~1206。摂政太政大臣、新古今
         仮名序の作者。

待つ我は あはれやそぢに なりぬるを あぶくま川の
とをざかりぬる    藤原隆資(ふじわらのたかすけ)

(まつわれは あわれやそじに なりぬるを あぶくま
 がわの とおざかりぬる)

詞書・・橘為仲朝臣が陸奥守の時、任期を延長された
    と聞いて詠んだ歌。

意味・・あなたの帰京を待っている私は、ああもう八
    十歳を迎えたというのに、あなたのいる阿武
    隈川が遠いように、会う時はまた遠くなって
    しまったことだ。

 注・・やそぢ=八十。
    あぶくま川=宮城県・阿武隈川。「逢ふ」を
      掛ける。
    橘為仲=1085没。正四位下。陸奥守。家集に 
      「橘朝臣集」がある。

作者・・藤原隆資=1050年頃の人。越前・武蔵守。従
      五位下。

蛤や 塩干に見へぬ 沖の石   西鶴(さいかく)

(はまぐりや しおひにみえぬ おきのいし)

意味・・潮干狩りで蛤を拾おうと思うが、アサリと違
    って少々浜辺から遠く、水の多く残っている
    所にいるので、なかなか見つからない。
    そこで思うのだが、百人一首にもある、
    「わが袖は潮ひに見えぬ沖の石の人こそしら
    ねかはくまもなし」
    という和歌の、袖の涙が人に見えぬというの
    と同じで、潮干の時でもなかなか見つからな
    いのは、蛤が沖の海中にあって姿を見せない
    石と同様に、見えないからだ。

 注・・塩干=潮干狩り、引き潮の時と解してもよい。
    沖の石=沖の海中にあって姿を見せない石。
      「百人一首」の歌「我が袖は潮ひに見え
      ぬ沖の石の人こそしらねかはくまもなし」
      を暗示している。

作者・・西鶴=1642~1693。井原西鶴。西山宗因に師事。
      談林派の代表作者。「好色一代女」等。

わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね
かわく間ぞなき  二条院讃岐(にじょういんのさぬき)

(わがそでは しおひにみえぬ おきのいし ひとこそ
 しらね かわくまぞなき)

意味・・私の袖は、引き潮の時にも海中に隠れて見え
    ない沖の石のように、人は知らないだろうが
    涙に濡れて乾く間もありません。

    恋ゆえの悲しみの涙を、人に見せない切ない
    思いを詠んだ歌です。

    「百人一首」では結句は「かわく間もなし」
    となっています。

 注・・潮干=引き潮の状態をさす。
    沖の石=沖の海中深く沈んでいる石で、潮が引
      いてもその姿を現さない。
    人こそ知らね=人は知らないが。

作者・・二条院讃岐=1141~1217。後鳥羽天皇の中宮・
      宜秋門院任子(ぎしゅうもんいんにんし)に
      仕える。

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