名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2009年08月

心にも あらで憂き世に ながらへば 恋しかるべき
夜 半の月かな       
          三条院(さんじょういん)
        (後拾遺和歌集・860、百人一首・68)

(こころにも あらでうきよに ながらえば こいし
 かるべき よわのつきかな)

詞書・・病気になって帝位を去ろうと思っている
    時分、明るい月を見て詠んだ歌。

意味・・心ならずも、この辛い世の中に生き長ら
    えていたならば、今、この宮中で眺める
    夜半の月も、恋しく思い出されるに違い
    ないだろうなあ。

    病気などの理由で、不本意ながらに退職
    する時の気持ちであり、退職して収入の
    ない将来の絶望的立場より今の時点を振
    り返って見ると、病気をしてでも仕事を
    している今が、不遇でも恋しくなるだろ
    うなあ、という気持ちを詠んでいます。

 注・・心にもあらで=自分の本意ではなく。早
      く死んだほうがましだという気持ち。
    憂き世=生きるのにつらい世。
    ながらへば=生きながらているならば。

作者・・三条院=976~1017。三条天皇は眼病に
      苦しみ、藤原道長に退位を画策され
      帝位を去る。

浅ぢふの 秋の夕暮れ なく虫は わがごとしたに
ものやかなしき    平兼盛(たいらのかねもり)

(あさじうの あきのゆうぐれ なくむしは わがごと
 したに ものやかなしき)
 
意味・・荒れ果てた野の秋の夕暮れ時に鳴いている
    虫は、私のように心の中で何か悲しい事が
    あるのであろうか。
    
 注・・浅ぢふ=浅茅生、たけの低い茅の生えてい
      る所、転じて荒れ果てた野をいう。
    したに=下に、下部に、内部に、心の中に。

作者・・平兼盛=~990。駿河守。36歌仙の一人。

参考・・兼盛の悲しい事とは小人の悲しみではなく、
    聖人の悲しみです。民を幸せに出来ない悲
    しみです。    

隼人の 薩摩の瀬戸を 雲居なす 遠くも我れは
今日見つるかも    長田王(ながたのおおきみ)

(はやひとの さつまのせとを くもいなす とおくも
 われは けふみつるかも)

意味・・あの隼人の住む薩摩の瀬戸を、空の彼方
    の雲のように、遠くはるかな思いのあつ
    たあの瀬戸を、今日はじめて見ることが
    出来たぞ。

    遠く異郷の果てまで来て、薩摩の瀬戸を
    見た感慨を詠んでいます。

 注・・隼人=九州の大隈・薩摩地方に住んで
      いた精悍な部族。
    薩摩の瀬戸=現在の黒瀬戸。天草諸島
      の最南の長島と鹿児島の阿久根と
      の間の狭い海峡。

作者・・長田王=737没。近江守。正四位。

村雨の 露もまだ干ぬ 槙の葉に 霧立ちのぼる
秋の夕暮れ      
        寂蓮法師(じゃくれんほうし)
        (新古今集・491、百人一首・87)

(むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きり
 たちのぼる あきのゆうぐれ)

意味・・ひとしきり降った村雨が通り過ぎ、その雨
    の露もまだ乾かない杉や檜の葉に、早くも
    霧が立ちのぼって、白く湧き上がってくる
    秋の夕暮れよ。

    深山の夕暮れの風景。通り過ぎた村雨の露
    がまだ槙の葉に光っている。それを隠すよ
    うに夕霧が湧いて来て幽寂になった景観を
    詠んでいます。

 注・・村雨=にわか雨。
    露=雨のしずく。
    まだ干ぬ=まだ乾かない。
    槙(まき)=杉、檜、槙などの常緑樹の総称。

作者・・寂蓮法師=1139~1202。俗名は藤原定長。
      新古今集の撰者の一人。従五位上。

 

朝露に 咲きすさびたる 月草の 日くたつなへに
消ぬべく思ほゆ         読人知らず

(あさつゆに さきすさびたる つきくさの ひくたつ
 なへに けぬべくおもほゆ)

意味・・朝露を浴びて我が物顔に咲き誇る露草が、
    日が傾くにつれてしぼむように、日暮れ
    が近づくにつれて、私の心もしぼんで消
    え入るばかりだ。

    恋の歌です。男の訪れを待つ日暮れ時の
    女心です。

 注・・すさび=気の向くままに物事をする。
    月草=露草。朝露を受けて咲き始め午後
      になるとしぼむ。
    くたつ=日が傾く。
    なへ=・・とともに、・・につれて。

身をつめば 入るもをしまじ 秋の月 山のあなたの
人も待つらん      永源法師(えいげんほうし)

(みをつめば いるもおしまじ あきのつき やまの
 あなたの ひともまつらん)

意味・・「我が身をつねって人の痛さを知る」という
    わけで、月の入るのも惜しいとは思うまい。
    この美しい秋の月を山の向こう側の人も、私
    同様に待っているだろうから。

 注・・身をつめば=身を抓めば、我が身を抓(つ)ま
      んで人の痛さを知るの意。
    入るもおしまじ=月が山の陰に隠れても惜し
      まない。

作者・・永源法師=生没年未詳。観世音寺の僧。

おほかたの 秋来るからに わが身こそ かなしきものと
思ひ知りぬれ             
                 読人知らず
                 (古今和歌集・185)

(おおかたの あきくるからに わがみこそ かなしき
 ものと おもいしりぬれ)

意味・・誰の上にも来る秋が来ただけなのに、私の
    身の上こそ誰にもまして悲しい事だと思わ
    れて来る。

    実りの秋、収穫の秋、清々しく気持ちの良
    い秋のはずなのだが。主役を終え一線を退
    いた者にしては、草木が枯れ始め寂しく、
    また厳しい冬が近づく事が、自分の身体に
    あわさって悲しくなって来るのだろうか。    

 注・・おほかた=世間一般。普通であること。
    わが身こそ=私の身の上こそ。「こそ」は
      「おほかた」の人の中でも自分一人が
      特に。

我かくて 憂き世の中に めぐるとも たれかは知らむ
月の都に              源氏物語・浮舟

(われかくて うきよのなかに めぐるとも たれかは
 しらん つきのみやこに)

詞書・・不本意ながら生き長らえて(三角関係に苦悩
    して自殺をはかるが助けられて)、小野の地
    で月を見て詠む。

意味・・私がこうして情けない世の中に巡り巡って、
    生き長らえて月を見ているとは、同じ月が
    照らしているであろう都では誰が知るだろ
    うか。

    自殺を図って助けられたが、苦悩は去らず
    困惑している気持ちを誰も知ってくれる人
    はなく、寂しく月を見ている気持ちを詠ん
    でいます。    
   
 注・・小野=京都市左京区上高野から大原の地。

人の世の 憂きをあはれと 見しかども 身にかへむとは
思はざりしを             源氏物語・夕霧

(ひとのよの うきをあわれと みしかども みにかえん
とは おもわざりしを)

意味・・他人の夫婦仲の情けなさをしみじみ気の毒に
    見たことはりますが、自分の身に換えて袖を
    涙で濡らそうとは思いもかけませんでした。

 注・・人=他人。
    世=世の中、男女の仲、夫婦の仲。

せきもあへぬ 涙の川は はやけれど 身のうき草は
流れざりけり     源俊頼(みなもとのとしより)

(せきもあえぬ なみだのかわは はやけれど みの
 うきくさは ながれざりけり)

意味・・せき止められない我が涙は川となってたぎ
    り流れているが、浮草のような我が身の憂
    さは、ながれずにそのままでいることよ。

    身分の低い人に官位昇進の遅れをとって、
    嘆いた歌です。いくら泣いても憂さの晴れ
    ないくやしさの気持ちを詠んでいます。
       
 注・・あへぬ=敢へぬ、たえる、こらえる。
    身のうき草=「浮草」に「憂き」を掛ける。
    流れざり=憂さの消えないことの比喩。

作者・・源俊頼=1055年頃生。75歳。左京権太夫。
      従四位。

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