名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2009年10月

移りゆく 雲に嵐の 声すなり 散るか正木の 
葛城の山      藤原雅経(ふじわらのまさつね)

(うつりゆく くもにあらしの こえすなり ちるか
 まさきの かつらぎのやま)

意味・・空を移って行く雲の中に、嵐の音が
    聞える。この嵐で、今頃葛城山では
    正木の葛(かずら)が散っているのだ
    ろうか。
注・・正木の葛=つるまさき。蔓性常緑潅木。
    葛城の山=大阪府と奈良県の境にある
     山。「かづら」を掛ける。

作者・・藤原雅経=1221年没、52歳。新古今
     の撰者の一人。

 

ありし世の 旅は旅とも あらざりき ひとり露けき
草枕かな        赤染衛門(あかぞめえもん)

(ありしよの たびはたびとも あらざりき ひとり
 つゆけき くさまくらかな)

意味・・夫の生きていたころの旅は、旅という
    ほどのものでもありませんでした。
    今は私一人、辛くて涙ぽい草枕の旅寝
    をしていることですよ。

    頼りにする人に先立たれてのち、初瀬
    の寺に参詣して、夜泊まっていた所に
    草で結んだ枕をいただいたので詠んだ
    歌です。
    夫の死後の旅寝の述懐によって答えた
    作です。

 注・・ありし世=夫が生きていたころ。
    露けき=涙がちな。
    草枕=旅寝の枕。

作者・・赤染衛門=生没未詳。1041年頃80歳余。
     平兼盛の娘とも伝えられている。

たらちねの 母が手離れ かくばかり すべなきことは
いまだせなくに           読人知らず

(たらちねの ははがてばなれ かくばかり すべなき
 ことは いまだせなくに)

意味・・母の手から離れて、こんなにせつない思いを
    したことは、いまだかってありません。

    恋はすべなしということを詠んだ歌です。
    こんなにどうしょうもない想いは生まれて
    初めて、という気持ちです。

 注・・たらちね=「母」の枕詞。
    母の手=母の養育。
    すべなき=どうしょうもない。
    せなくに=したこともないのに。

人恋ふる ことを重荷と 担ひもて あふごなきこそ
わびしかりけれ            読人知らず

(ひとこうる ことをおもにと にないても あふご
 なきこそ わびしかりけれ)

意味・・あの人を恋慕うのは重荷を背負っているよう
    だが、逢う期(おうご)がなく苦しいことは
    おうご(天秤棒)がなくてその重荷が持てない
    ようなものだ。

 注・・あふご=朸。天秤棒のこと、「逢う期(逢う
     機会)」を掛ける。

葦鶴の ひとりおくれて 鳴く声は 雲の上まで 
聞こえ継がなむ     大江千里(おおえのちさと)

(あしたづの ひとりおくれて なくこえは くもの
 うえまで きこえつがなむ)

意味・・葦の間にただ一羽とり残されて鳴く鶴の声は、
    低い沼地から雲の上にまで、何とかして聞え
    ないものでございましょうか。

    一人だけ官位昇進に遅れた作者自身を仲間に
    遅れた鶴にたとえたものです。

注・・葦鶴(あしたづ)=鶴のこと。葦のある水辺にいる
    ことが多いのでこういう。
   雲の上=宮中のこと。
   聞え継ぐ=「仲間の者が取り継ぐ」の意と「かろ
    うじて聞えるように」の意を掛ける。

作者・・大江千里=900年前後の人。在原業平の甥。
     文章博士。    
    

心には 秋の夕べを 分かねども ながむる袖に
露ぞ乱るる           
                源氏物語・浮舟

(こころには あきのゆうべを わかねども ながむる
 そでに つゆぞみだるる)

意味・・心では秋の夕暮れが悲しいと思っているわけ
    ではないが、物思いに沈む私の袖には涙の露
    が乱れ落ちます。

    物思いに沈む涙とは・・・。好きな人につれ
    なくされて出る涙か、それとも、平忠度の歌
    「行き暮れて木の下陰を宿とせば花はこよい
    の主ならまし」というように、敗者の無念の
    思いの涙か。(意味は下記参照)      

注・・分かねども=分からないけれど。「ね」は
    打ち消しの助動詞の已然形。
   ながむる=眺むる。物思いに沈むこと。
 
作者・・浮舟=源氏物語の浮舟の巻の主人公。
 
出典・・源氏物語。

参考歌です。

行き暮れて 木の下陰を 宿とせば 花やこよひの 
主ならまし       
                 平忠度

(ゆきくれて このしたかげを やどとせば はなや
 こよいの あるじならまし)

意味・・行くうちに日が暮れて、桜の木の下を今夜の宿と
    するならば、花が今夜の主となってこの悔しさを
    慰めてくれるだろう。

    一の谷の戦いで敗れて落ち行く途中、仮屋を探し
    ている時、敵方に討たれた。この時箙(えびら)に
    この歌が結ばれていた。

    敗者の悲しみとして、明治の唱歌「青葉の笛」に
    なっています。

    一の谷の 戦(いくさ)敗れ
    討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ
    暁寒き 須磨の嵐に
    聞こえしはこれか 青葉の笛

    更くる夜半に 門を敲(たた)き
    わが師に託せし
    言の葉あわれ
    今はの際(きわ)まで
    持ちし箙(えびら)に
    残れるは「花や今宵」の歌

 注・・行き暮れて=歩いて行くうちに暮れて。
 
作者・・平忠度=たいらのただのり。1147~
    1184。40歳。一の谷で戦死。
 
出典・・平家物語。 


心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の
秋の夕暮れ           
            西行(さいぎょう)
            (新古今和歌集・362)
(こころなき みにもあわれは しられけり しぎたつ
 さわの あきのゆうぐれ)

意味・・ものの情趣を解さない私のような者にも、
    この情景の趣き深さがしみじみと知られ
    ることだ。鴫の飛び立って行く秋の沢の
    夕暮れよ。

    下の句の絵画的美しさに感動して詠んだ
    歌です。三夕の歌のひとつ。

注・・心なき=情趣を解さない、教養がない。
   あはれ=しみじみとした趣。深い感慨。
   鴫(しぎ)=シギ科の鳥。長いくちばし・
    足を持ち飛ぶ力が強い。水辺に住み
    小魚を食べる。

作者・・西行=1118~1190。

寂しさは その色としも なかりけり 槙立つ山の
秋の夕暮れ     
            寂連法師(じゃくれんほうし)
            (古今和歌集・361)
(さびしさは そのいろとしも なかりけり まきたつ
 やまの あきのゆうぐれ)

意味・・この寂しさはとりたてて特にどの色から
    ということはないのだなあ。山全体から
    寂しさが漂うよ。杉や檜の茂る秋の夕暮
    れは。

    一見、秋らしくない常緑樹の山のいい難
    い寂しさを巧みに詠んだ歌です。
    三夕(さんせき)の歌の一つです。

    三夕の歌は、
   「心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)
    立つ沢の秋の夕暮れ・西行」
   「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の
    秋の夕暮れ」(意味は下記参照)  

注・・しも=上接する語を強調する。よりによって。
   槙(まき)=杉や檜など常緑樹の総称。

作者・・寂連法師=1202没。60余歳。新古今集の
     撰者の一人。

三夕の歌です。

見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の
秋の夕暮れ             藤原定家

(みわたせば はなももみじも なかりけり うらの
 とまやの あきのゆうぐれ)
 
意味・・見渡すと、色美しい春の花や秋の紅葉もない
    ことだなあ。この海辺の苫葺き小屋のあたりの
    秋の夕暮れは。(この夕暮れには寂しさがしみ
    じみと心にしみわたって来るものだ)。

注・・浦=海辺の入江。
    苫屋(とまや)=菅(すげ)や茅(かや)で編んだ
    むしろで葺(ふ)いた小屋。漁師の仮小屋。

忘らるる 身はことはりと しりながら 思ひあへぬは
なみだなりけり     清少納言(せいしょうなごん)

(わすらるる みはことわりと しりながら おもい
 あえぬは なみだなりけり)

意味・・この身が忘れ捨てられるのは当然だと
    心では分かっていながら、涙が出るの
    は、涙というものはそれを理解出来な
    いものなのですね。

    男の心の戻るのを願う気持ちを詠んだ
    歌です。

 注・・ことはり=筋道、道理。
    思ひあへぬ=思い切れない、思いに耐
      えられない。

作者・・清少納言=966~1027。枕草子の作者。
    清原元輔(契りきなかたみに袖をしぼり
    つつ末の松山波越さじとはの作者)の娘。

あらたまの 年の緒長く 我が思へる 子らに恋ふべき
月近づきぬ     藤原清河(ふじわらのきよかわ)

(あらたまの としのおながく わがおもえる こらに
 こうべき つきちかづきぬ)

意味・・長の年月、変ることなく私がずっと愛
    (いと)しんできた人、その人と離れて
    恋しく思わずにいられなくなる月が、
    今や近づいて来た。

    遣唐使として出航する前の余裕のある
    時期に、出航後の心情を詠んだ歌です。

 注・・あらたま=「年」の枕詞。
    年の緒=年が長く続くのを緒にたとえ
      ていう語。
    子=親しみを込めて相手を呼ぶ語。
      男女ともにいう。

作者・・藤原清河=705~778。従四位・参議。
      天平18年(746)遣唐使を拝命。
      入唐するが帰朝出来なかった。

    
      

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