名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2009年11月

いかばかり しづのわが身を 思はねど 人よりも知る
秋の悲しさ              散逸物語

(いかばかり しずのわがみを おもわねど ひとより
 もしる 秋のかなしさ)

詞書・・秋の悲哀は、華やかに時めいている貴人の
    心には届かない、という心を。

意味・・わが身の卑しさをどれほども思わないけれ
    ども、人よりも秋の悲哀をいっそう感じて
    いる。

 注・・しづ=賤。卑しい者。身分の低い者。
    

身に近く 来にけるものを 色変る 秋をばよそに
思ひしかども 
      六条大臣室(ろくじょううだいじんのしつ)
(みにちかく きにけるものを いろかわる あきをば
 よそに おもいしかども)

意味・・身に近く来てしまったことだ。草木の色
    変る秋を、かかわりのないものと思って
    いたけれど。

    男の飽き心に気づいた嘆きの心を詠んだ
    歌です。
    本歌は「身に近く秋や来ぬらむ見るまま
    に青葉の山もうつろひにけり」(源氏物語)。
    (意味は下記参照)

 注・・色変る=草木の色の変る秋。男の心変わ
     りを暗示。
    よそに=関係の無いもの。

作者・・六条大臣室=生没年未詳。

本歌です。

身に近く 秋や来ぬらむ 見るままに 青葉の山も
うつろひにけり         源氏物語・若菜

意味・・身に近く秋が来たのでしょうか(私も飽かれ
    る時になったのかしら)。見ているうちに、
    青葉の山も紅葉に色変わりしてしまった。

    紫の上が光源氏の飽き心を嘆いた歌です。

よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは
何にかはせん          西行(さいぎょう)

(よしやきみ むかしのたまの ゆかとても かからん
 のちは いかにかはせん)

刹利も須陀も かはらぬものを 秋成(しゅうせい)

(せつりもしゅだも かわらぬものを)

詞書・・白峰と申す所に御墓の侍りけるに参りて。

意味・・以前立派な御座におられたとしても、君よ、
    無差別の死にあった今は、それが何となろう
    か、ただ成仏(じょうぶつ)を祈るだけだ。

    王族も農民も、死に対しては階級の差別は
    無い。

 注・・白峰=讃岐国(香川県)綾歌郡松山村白峰。
    御墓=崇徳院の墓。保元の乱(1156・地位を
     めぐり後白河天皇と崇徳上皇の争い)に敗
     れて讃岐に流され、その地で崩御する。
    よしや=たとえ・・(でも)。
    玉の床=金枝玉葉(皇族の意味)の座。
    かからん後=このように崩御された後。
    刹利(せつり)=古代インドの王族の階級。
    須陀(すだ)=古代インドの農民階級。

作者・・西行=1118~1190.家集に「山家(さんか)集」。
    上田秋成=1737~1809。「雨月物語」。
     

若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 芦辺をさして
鶴鳴き渡る       山部赤人(やまべのあかひと)
 
(わかのうらに しおみちくれば かたをなみ あしべを
 さして たずなきわたる)

意味・・和歌の浦に潮が満ちて来ると干潟が無くなる
    ので、芦の生えている岸の方へ向かって鶴が
    鳴きながら飛んで行くよ。

 注・・若の浦=和歌山市和歌浦の玉津島神社付近。
    潟を無み=干潟が無いので。

作者・・山部赤人=生没年未詳。724頃活躍した宮廷
     歌人。

信濃なる すがの荒野を 飛ぶ鷲の つばさもたわに
吹くあらしかな      賀茂真淵(かものまぶち)

(しなのなる すがのあらのを とぶわしの つばさも
 たわに ふくあらしかな)

意味・・信濃の国にある須賀の荒野を飛ぶ鷲の翼も
    たわむほどに激しく吹く嵐であるよ。

 注・・すがの荒野=長野県松本市のあたり。

作者・・賀茂真淵=1697~1769。万葉集などの古学
     の国文学者。本居宣長など門人を多数育成。

荒栲の 布衣をだに 着せかてに かくや嘆かむ
為むすべをなみ   山上憶良(やまのうえのおくら)

(あらたえの ぬのきぬをだに きせかてに かくや
 なげかん せんすべをなみ)

意味・・お粗末な布製の着物でさえも子供に着せる
    ことが出来ないで、他にどうしょうもない
    ので、ただこのように嘆いてばかりいる事
    だろうか。(金持ちはどっさり不要の着物を
    しまっているのになあ。)

    この歌は貧乏人の立場に立って詠んだ歌で
    次の歌は金持ちの側に立って詠んだ歌です。
   「富人の家の子どもの着る身なみ腐し捨つらむ
    絹綿らはも」(意味は下記参照)

 注・・荒栲(あらたえ)=楮(こうぞ)の繊維による
     目の粗い布。
    着せかてに=着せかねて。可能の意の「かつ」
     に打ち消しの助動詞「ぬ」が接した形。
    すべをなみ=術を無み。頼るべき手段が無い。

作者・・山上憶良=660~733。遣唐使として唐に渡り、
     帰朝後、筑前守となる。

参考歌です。

富人の 家の子どもの 着る身なみ 腐し捨つらむ 
絹綿らはも           山上憶良(やまのうえおくら)

(とみひとの いえのこどもの きるみなみ くさしすつらん
 きぬわたらはも)

意味・・物持ちの家の子供が着あまして、持ち腐れに
    しては捨てている、その絹や綿の着物は、ああ。
    (もったいない。粗末な布の着物すら着せら
    れなくて嘆いている人もいるというのに。)

 注・・なみ=無み、無いために。
    着る身なみ=着物の数に対して、着る人が
       少ない状態。
    はも=深い感動の意を表す、・・よ、ああ。



太秦の 深き林を 響きくる 風の音すごき
秋の夕暮れ        小沢蘆庵(おざわろあん)

(うずまさの ふかきはやしを ひびきくる かぜのと
 すごき あきのゆうぐれ)

意味・・太秦の深い林を響かせながら吹いてくる
    風の音がすさまじい秋の夕暮れよ。

 注・・太秦(うずまさ)=京都市右京区にある地。

作者・・小沢蘆庵=1723~1801。漢学にすぐれ、
     官山茶(かんさざん)や頼山陽と交流。

草も木も 秋の末葉は 見え行くに 月こそ色も
かはらざりけれ  式子内親王(しょくしないしんのう)

(くさもきも あきのすえはは みえゆくに つきこそ
 いろも かわらざりけれ)

意味・・秋の末には草も木も先端の葉が色あせて
    ゆくのに、月だけは澄んだ光で色も変ら
    ないことだ。

作者・・式子内親王=~1201。後白河天皇の第三
     皇女。新古今時代の代表的女流歌人。

ますらをと 思へる我や 水茎の 水城の上に
涙拭はむ       大伴旅人(おおとものたびと)

(ますらおと おもえるわれや みずぐきの みずきの
 うえに なみだのごわむ)

意味・・知識もあり、武勇も備わった立派な男子
    だと自認していたこの私が、多年住み馴
    れた筑紫(つくし)を後に、親しんだ方々
    とも別れて帰郷する悲しさに、水城の上
    に立って不覚にも涙を流すのである。

    大伴旅人が筑紫から京に帰るとき、娘子
    らと別れる時に、「別れの易(やす)き事
    を傷みその会ひの難きことを嘆き」涙を
    拭きながら詠んだ歌です。

 注・・水茎(みずくき)の=山城の枕詞。
    水城(みずき)=外敵の進入を防ぐため、
     堤を築いて水をたたえた城郭。
    拭(のご)はむ=手でふき取る。

作者・・大伴旅人=665~731。大納言・従二位。

桜田へ 鶴なきわたる 年魚市潟 潮干にけらし
鶴なきわたる     高市黒人(たかいちのくろひと)

(さくらだへ たず なきわたる あゆちがた しおひに
 けらし たずなきわたる)

意味・・桜田の方へ、あれあのように鶴が群れ鳴き渡って
    いく。これで見ると、年魚市潟は潮干したものと
    見える。だから餌を求めて鶴が、あんなに鳴いて
    羽ばたいて行くよ。

    鶴は干潟に降りて餌を漁(あさ)る習性があるので
    年魚市潟の方に飛んで行く鶴を見て潮干になった
    と想像して詠んだ歌です。

 注・・桜田=名古屋市南区元桜田町のあたり。
    年魚市潟(あゆちがた)=名古屋市南部の入海だが
     今は埋め立てられている。

作者・・高市黒人=生没年未詳。702年頃活躍した人。

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