名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2010年01月

袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの
風やとくらむ        紀貫之(きのつらゆき)
 
(そでひちて むすびしみずの こおれるを はるたつ
 けふの かぜやとくらん)

意味・・暑かった夏の日、袖の濡れるのもいとわず、
    手にすくって楽しんだ山の清水、それが寒さ
    で凍っていたのを、立春の今日の暖かい風が、
    今頃は解かしているだろうか。

 注・・ひちて=漬ちて。侵って、水につかって。

作者・・紀貫之=872年生。土佐守。古今和歌集の撰
     者。「土佐日記」。

塩之入の 坂は名のみに なりにけり 行く人しぬべ
よろづ世までに         良寛(りょうかん)

(しおのりの さかはなのみに なりにけり ゆくひと
 しぬべ よろづよまで)

意味・・塩之入峠が険しいというのは、うわさだけに
    なったものだ。その坂道を行く人は、通りや
    すく作り直してくれた方のことを、いつまで
    も有難く思い顧みなさい。

 注・・塩之入(しおのり)の坂=新潟県与板町と和島
     村の境にある峠。「親知らず」を思わせる
     険しい坂であった。
    しぬべ=偲べ。「しのべ」と同じ。思いしたう。

作者・・良寛=1758~1831。

里の名を 我が身に知れば 山城の 宇治のわたりぞ
いとど住み憂き          源氏物語・浮舟

(さとのなを わがみにしれば やましろの うじの
 わたりぞ いとどすみうき)

意味・・私の住む里の名の「憂し(つらい)」を私は
    身にしみて知っていますので、山城の国の
    宇治のあたりはほんとうに住みにくく感じ
    られます。    

    「宇治」を「憂し」と詠んだ喜撰法師の歌
    「我が庵は都の辰巳しかぞすむ世をうぢ山
    と人は言ふなり」を念頭に詠んだ歌です。
    (意味は下記参照)

参考歌です。

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 
人はいふなり      喜撰法師(きせんほうし)

(わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よを
 うじやまと ひとはいうなり)

意味・・私の庵(いおり)は都の東南にあって、この
    ように心のどかに暮らしている。だのに、
    私がこの世をつらいと思って逃れ住んでい
    る宇治山だと、世間の人は言っているよう
    だ。    

 注・・庵=草木で作った粗末な小屋。自分の家を
     へりくだっていう語。
    たつみ=辰巳。東南。
    しかぞすむ=「しか」はこのように。後の
     「憂し」に対して、のどかな気持という
     ていどの意。
    うぢやま=「う」は「宇(治)」と「憂(し)」
     を掛ける。

いかばかり うれしからまし 面影に 見ゆるばかりの
あふ夜なりせば    藤原忠家(ふじわらのただいえ)

(いかばかり うれしからまし おもかげに みゆる
 ばかりの あうよなりせば)

意味・・恋しい人の面影をいつも思い浮かべているが、
    面影に見るほど度々現実に逢う夜であったら
    どんなにうれしいことであろうか。

作者・・藤原忠家=1033~1091。大納言正二位。

一えだの梅はそへずや柊うり
               横井也有(よこいやゆう)

(ひとえだの うめはそえずや ひいらぎうり)

意味・・節分の頃となると、柊売りが来るが、柊売りよ、
    そのとげとげしい葉のほかに、梅の一枝でも添
    えたらどうかね。

    今夜は鬼が集まる夜だからといって、どこの家
    でも、鰯の頭を柊に刺し戸口に立てて身を慎ん
    だものだ。そして、声をふるわせて「福は内鬼
    は外」と鬼を追い出していたことが懐かしい。
    今ではただ形ばかりの豆まきをするようになった。
    過ぎ行く年がますます積み重なって姿は老け込み
    心は頑固になり、今では世の嫌われ者の老人が
    鬼と一緒に放り出されないのがせめてもの幸せ
    だ。

 注・・柊(ひいらぎ)うり=節分の時、焼いた鰯の頭を
     柊に刺して厄除けのまじないとして戸口に刺
     す風習があった、この柊を売る人。

作者・・横井也有=1702~1783。尾張藩御用人。俳文集
     に「鶉(うずら)衣」など。
    

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