名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2010年01月

ますらをは 友の騒ぎに 慰もる 心もあらむ
我ぞ苦しき           読人知らず

(ますらおは とものさわぎに なくさもる こころも
 あらん われぞくるしき)

意味・・殿方は、友達とのつきあいに興じて憂さを
    晴らすこともありましょう。けれど、女の
    私はそれも出来なくて苦しくてなりません。
 
    男性には仕事があり、またそれに伴っての
    付き合いもあって、妻とだけの生活の度合
    が少ない。女性は家事が主体なので生きる
    対象は夫である。夫のいない時の寂しさを
    詠んだ歌です。

 注・・ますらを=勇ましい男子。立派な人。
    騒ぎ=騒ぐこと、遊興。
    慰もる=慰める。

難波人 芦火焚く屋の 煤してあれど 己が妻こそ
常めづらしき            読人知らず

(なにわびと あしびたくやの すしてあれど おのが
 つまこそ とこめずらしき)

意味・・難波の人が芦を燃やすので家の中が煤けて
    いるように、私の家内(うちのばあさん)も
    汚(きたな)く年老いたが、永年つれそった
    私にとっては、いつまでも見飽きないかけ
    がえのない人だよ。

 注・・芦火=燃料として芦を焚くので家の中は
     煤ける。
    常(とこ)=不変、永遠。
    めづらしき=賞美するにふさわしい。

移りゆく 時見るごとに 心痛く 昔の人し
思ほゆるかも     大伴家持(おおとものやかもち)

(うつりゆく ときみるごとに こころいたく むかしの
 ひとし おもおゆるかも)

意味・・次々と移り変わってゆく季節のありさまを
    見るたびに、心も痛くなるばかりに昔の人
    が思われてなりません。

    前年は聖武天皇が没し(733年)この年には
    知友が捕らえらて死んだり配流された。
    この貴族暗闘の醜い時局を読み取りつつ、
    これらの人々を心にしながら詠んだ歌です。

 注・・移り行く時=季節と時世の流れを掛ける。
    し=上接語を強調する。

作者・・大伴家持=718~785。大伴旅人の子。万葉集
     を編纂(へんさん)。

易水にねぶか流るる寒さかな 
                 蕪村(ぶそん)

(えきすいに ねぶかながるる さむさかな)

意味・・昔、「易水寒し」と壮士荊軻(けいか)が吟じた
    易水は、今も流れている。ふと水面に目をやる
    と、だれか洗いこぼしたらしい葱(ねぎ)が浮き
    沈みしながら流れてゆく。「壮士一たび去って
    復(ま)た還らず」という詩意も思いあわされ、
    この流れ去る葱の行方を見つめていると、ひと
    しお川風の寒さが身にしみるようだ。

 注・・易水=中国河北省易県付近に発し大清流に合流
     する川。秦の始皇帝を刺すために雇われた剣客
     荊軻(けいか)が旅立つにあたり、易水のほとり
     で壮行の宴が張らた。そのおりに吟じた詩に
    「風蕭蕭(しょうしょう)として易水寒し。壮士
     一たび去って復た還(かえ)らず」があります。
     (意味は下記参照)
    ねぶか=根深。葱(ねぎ)の別称。
    壮士=人に頼まれて暴力で事件の始末をする人。

参考の詩です。

風蕭蕭(かぜしょうしょう)として易水寒し。壮士一たび
去って復た還(かえ)らず。

意味・・風はものさびしげな音をたてて吹き、易水の
    流れは寒々として身にしみるようだ。壮士で
    ある私は、一たびこの地を去って秦に行った
    なら、二度と生きて帰ることはないだろう。

濁りなき 亀井の水を むすびあげて 心の塵を
すすぎつるかな    藤原彰子(ふじわらのあきこ)

(にごりなき かめいのみずを むすびあげて こころの
 ちりを すすぎつるかな)

詞書・・天王寺の亀井の水をご覧になって。

意味・・濁りの無い亀井の水を手にすくいあげて飲んで、
    心の穢(けが)れを洗い清めたことだ。

    霊水に触れて、心の煩悩の穢れを洗い清められた
    思いのさわやかさを詠んでいます。

 注・・天王寺=四天王寺。大阪市天王寺区元町にある。
    亀井の水=四天王寺の境内にあった石造りの亀
     から湧き出た霊水。
    むすび=手ですくう。
    心の塵=心の穢れ。
    すすぎ=濯ぎ。水で洗い清める。罪や恥を清める。

作者・・藤原彰子=1074年没。87歳。一条天皇の中宮。
     紫式部・和泉式部などの才媛女房を輩出した。

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