名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2010年04月

都人 いかにととはば 山高み 晴れぬ雲井に 
わぶとこたへよ    小野貞樹(おののさだき)

(みやこびと いかにととわば やまたかみ はれぬ
 くもいに わぶとこたえよ)

意味・・都の人が貞樹はどうしているかと尋ねたら、
    山が高いので雲が晴れないように、遠国で
    つらく思って過ごしていると答えて下さい。

    住み慣れた所から慣れない地方に転勤した
    時のように、つらい気持ちを詠んでいます。

 注・・雲井=遠く離れた所。
    わぶ=心細い、心細く暮すこと。

作者・・小野貞樹=860年頃の人。従五位下・甲斐守。

筑紫にも 紫生ふる 野辺はあれど なき名悲しぶ
人ぞ聞えぬ      菅原道真(すがわらのみちざね)

(つくしにも むらさきおうる のべはあれど なきな
 かなしぶ ひとぞきこえぬ)

意味・・筑紫にも紫草の生えている野辺はあるけれど、
    その紫草の縁から、私の無実の罪をきせられて
    いる名を悲しんでくれる人が耳に入らないこと
    だ。
    
    一本の紫草から、武蔵野の草の全てに心が引か
    れると詠んだ本歌を背景にしています。

    本歌は、
    「紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながら
    あはれとぞ見る」(意味は下記参照)

 注・・筑紫=筑前・筑後(いづれも福岡県)の総称。
    紫=紫草。根から紫の染料を採った。本歌では
     「紫」が注目されたが、紫に縁がある作者の
     いる「筑紫」は注目されない、の意。
    なき名=身に覚えの無い評判、無実の罪をきせ
     られている名。

作者・・菅原道真=903没。59歳。正一位太政大臣。謀略
     により太宰権師に左遷される。漢学者。

本歌です。

紫の ひともとゆえに 武蔵野の 草はみながら 
あはれとぞ見る         読人知らず

(むらさきの ひともとゆえに むさしのの くさは
みながら あわれとぞみる)

意味・・ただ一本の紫草があるために、広い武蔵野じゅうに
    生えているすべての草が懐かしいものに見えてくる。

    愛する一人の人がいるのでその関係者すべてに親しみ
    を感じると解釈されています。

 注・・紫=紫草。むらさき科の多年草で高さ30センチほど。
      根が紫色で染料や皮膚薬にしていた。
    みながら=全部。
    あはれ=懐かしい、いとしい。


春の海終日のたりのたりかな      蕪村(ぶそん)

(はるのうみ ひねもすのたり のたりかな)

意味・・沖には春霞がたなびき、穏やかな空と海とが
    広がっている。碧(あお)い春の海は、一日中
    のたりたのりとのどかにうねっている。

 注・・終日(ひねもす)=一日中。

作者・・蕪村=1716~1783。南宗画の大家。「蕪村句
     集」他。

春みじかし 何に不滅の 命ぞと ちからある乳を
手にさぐらせぬ     
             与謝野晶子(みだれ髪)

(はるみじかし なににふめつの いのちぞと ちから
 あるちちを てにさぐらせぬ)

意味・・春は短く、若い命も短く過ぎる。この世に
    滅びない永遠の命があろうかと、若い力の
    みなぎる乳房を手にさぐらせた。

    春は短いものです。人も同じ。生の盛りも
    あっという間に過ぎ去ってゆくものですよ、
    「不滅のいのち」を探るなどと何をそんな
    空(くう)をつかむような事ばかり論じてい
    らっしゃるのですか。この確かな熱い血の
    通う肉体こそがすべてではありませんか。
    そう言ってあなたの手をとり、力に充ちた
    乳房を探らせたのだった。

作者・・与謝野晶子=1878~1942。歌集「みだれ髪」。

打ちしめり あやめぞかをる 時鳥 鳴くや五月の
雨の夕暮れ     藤原良経(ふじわらのよしつね)

(うちしめり あやめぞかおる ほとどぎす なくや
 あめのゆうぐれ)

意味・・しっとりと湿って、あやめが薫っている。
    ほとどぎすの鳴く五月の夕暮れに。

 打ち=雨などが強く降る、しっとりと。

作者・・藤原良経=1206年没。38歳。従一位・
     摂政太政大臣。「新古今集仮名序」
     を執筆。

暮れてゆく 春のみなとは 知らねども 霞に落つる
宇治の柴舟       寂連法師(じゃくれんほうし)

(くれてゆく はるのみなとは しらねども かすみに
 おつる うじのしばふね)

意味・・終わりになって去っていく春の行き着く所は
    知らないが、今、霞の中に落ちるように下っ
    ていく宇治川の柴舟とともに、春が去って行
    く感じがする。

    霞がかかり長閑な宇治川の柴舟に、去り行く
    春の寂しさを詠んでいます。

 注・・暮れてゆく=春がだんだん終わりに近づいて
     いく。
    春のみなと=春の行き着く所。
    宇治の柴舟=宇治川を下る、柴を積んだ舟。    

作者・・寂連法師=1139~1202。従五位上・中務小輔。
     33歳頃に出家する。「新古今集」の撰者。

わが宿の 池の藤波 咲きにけり 山ほとどぎす
いつか来鳴かむ         読人知らず

(わがやどの いけのふじなみ さきにけり やま
 ほとどぎす いつかきなかん)

意味・・我が家の庭先の池のほとりの藤の花が
    みごとに咲いた。山ほとどぎすはいつ
    ここに来て鳴いてくれるだろうか。

作者・・柿本人麻呂とも言われている。

花の色は 昔ながらに みし人の 心のみこそ
うつろひにけれ    元良親王(もとよししんのう)

(はなのいろは むかしながらに みしひとの こころ
 のみこそ うつろいにけれ)

意味・・花の色の美しさは昔のままなのに、かって愛し
    あった人の心だけは変わってしまったことだ。

作者・・元良親王=890~973。色好み・風流人として
     「大和物語」や「徒然草」に登場する。

山吹は 撫でつつ生ほさむ ありつつも 君来ましつつ
かざしたりけり
         置始連長谷(おきそめのむらはつせ)

(やまぶきは なでつつおおさん ありつつも きみ
 きましつつ かざしたりけり)

意味・・この山吹は、これからもいつくしんで育てま
    しょう。このように咲いたからこそ、あなた
    がここにおいでになって、髪飾りにして下さ
    ったのですから。

    またの来訪を促がした歌です。    

 注・・撫でつつ=撫でるように可愛がる。
    生ほさむ=「生ほす」は育てる、草木を育てる。
    ありつつ=生き続けてる。咲き続ける。
    かざし=挿頭。草木の花や枝を頭に挿して飾る
     こと。

作者・・置始連長谷=伝未詳。大伴家持の庄(しょう・
     田畑)の番人。750年頃の人。

桜花 今ぞ盛りと 人は言へど 我は寂しも
君としあらねば  大伴池主(おおとものいけぬし)

(さくらばな いまぞさかりと ひとはいえど われは
 さびしも きみとしあらねば)

意味・・桜の花は今が真っ盛りだと人は言いますが、
    私の心は少しも楽しくありません。あなたと
    ご一緒ではないので。

 注・・君とし=他ならぬ君と。「し」は強調の助詞。
     この歌の君は歌人の大伴家持。

作者・・大伴池主=生没年未詳。757年の変に連座して
     投獄される。

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