名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2010年05月

願はくは われ春風に 身をなして 憂ある人の
門をとはばや    佐々木信綱(ささきのぶつな)

(ねがわくは われはるかぜに みをなして うれい
 あるひとの かどをとわばや)

意味・・願うことには、どうか我が身をかろやかな春
    風と化して、憂いを抱いている人の門べに訪
    れて、その悲しみの気持ちをまぎらわしてあ
    げたいものだ。

    作者の自注に「人の心の深く秘められた憂悶
    を春けることは、歌道の徳の一つであるとい
    う当時の信念から歌ったものである」とあり
    28歳の時の作です。

作者・・佐々木信綱=1872~1963。東京帝大古典科卒。
     「校本万葉集」他。

柳こそ 伐れば生えすれ 世の人の 恋に死なむを
いかにせよとぞ          読人知らず

(やなぎこそ きればはえすれ よのひとの こいに
 しななんを いかにせよとぞ)

意味・・柳なら伐ればまた生えてもこよう。生身の
    この世の人が焦がれ死のうとしょうとして
    いるのに、どうせよというのですか。

    失恋の苦しみを詠んでいます。

 注・・世の人=相手にされない自分を客観的に言
     ったもの。

赤駒を 山野に放し 捕りかにて 多摩の横山
徒歩ゆか遺らむ    宇遅部黒女(うじべのくろめ)

(あかごまを やまのにはがし とりかにて たまの
 よこやま かしゆからん)

意味・・赤駒を放し飼いにしているので、夫が防人に
    なって出かける今、捕える事が出来ないので、
    馬にも乗せられず、多摩の延々と続いている
    この横山を徒歩で行かせることか。気の毒だ
    なあ。

    突如、赤紙が来たので、放牧してある赤駒が
    見つからず、やむを得ず延々と続いた横山を
    夫に徒歩で行かせることになった妻が途方に
    くれ、夫に気の毒だと悲しんでいる歌です。

 注・・赤駒=毛色が赤みを帯びた茶色の馬。
    放(はが)し=はなす。
    かにて=かねての訛り。・・出来ないで。
    多摩の横山=東京都豊島・文京・荒川のあたり。
    徒歩(かし)=徒歩(かち)の訛り。

作者=宇遅部黒女=豊島群の防人の妻。万葉の時代(750
    年頃)の人。

いかならむ 巌のなかに 住まばかは 世の憂きことの
聞え来ざらむ            読人知らず

(いかならん いわおのなかに すまばかは よのうき
 ことの きこえこざらん)

意味・・どのような岩窟の中に住んだならば、世の中の
    憂いことが聞えてこなくなるだろうか。

 注・・かは=疑問の意を表す。・・だろうか。
    憂き=つらいこと。病気などによる生活の困窮、
     恋のままならぬこと、など等。

思ひきや 鄙の別れに 衰へて 海人の縄たき 
漁りせむとは     小野篁(おののたかむら)

(おもいきや ひなのわかれに おとろえて あまの
 なわたき いさりせんとは)

詞書・・隠岐(おき)の国に流されていた時に詠んだ歌。

意味・・考えてもみなかったことだ。親しい人たちと
    別れて遠い田舎で心身ともに弱り果てたあげ
    く、漁師の使う網を引っ張って、魚を取ろう
    とは。

 注・・海人の縄たき=漁師が用いる網の縄や釣り縄
     をたぐって。「たき」は長く延びたものを
     あやつること。
    隠岐国=島根県隠岐島。
    流される=流罪になること。遣唐使として唐
     に行かなかったため。

作者・・小野篁=802~852。834年遣唐福使として任ぜ
     られたが進発しなかったので隠岐国に流罪、
     7年後に召還。参議・従三位。

出典・・古今和歌集・961。

今さらに なに生ひいづらむ 竹の子の 憂き節しげき
世とはしらずや   
         凡河内久躬恒(おおしこうちのみつね)

(いまさらに なにおいいずらん たけのこの うきふし
 しげき よとはしらずや)

意味・・今さらに、何だってこの世に育っていくので
    あろうか、竹の子のようにすくすく育つ我が
    子は。つらい事の多いこの世だとは、知らな
    いのであろうか。

    子供のすくすく成長していく姿が竹の子に例
    えられ、無心に育つ姿と生い先の労苦を対照
    にしています。生活の苦労が身に沁みていた
    作者は生れて来た子供も同じくつらい生き方
    をして行くだろう、という気持ちを詠んでい
    ます。

 注・・竹の子=節(ふし・よ)の枕詞。
    世(よ)=竹の節と節の間の「節(よ)」を掛ける。

作者・・凡河内躬恒=生没年未詳。907年頃活躍した人。
     「古今和歌集」の撰者の一人。

    

浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 
人の恋しき         
          源等(みなもとのひとし)
          (後撰和歌集・577百人一首・39)

(あさじうの おののしのはら しのぶれど あまりて
 などか ひとのこいしき)

意味・・浅茅に生えている小野の篠原のしの、そのしの
    ではないが、忍びに忍んできたけれど、どうし
    てあの人のことがこうも恋しいのでしょう。

    人目を忍ぶ恋ではあるが、その思いが抑えきれ
    ず恋の思いの激しさを詠んでいます。

 注・・浅茅生=「浅茅」は丈の短い茅(ちがや)、「生」
     は草や木が生える所。
    小野の篠原=「小」は調子を整えるための接頭語。
     「篠原」は細い竹の生えている原で荒涼とした
     状態を表している。初句からここまで「忍ぶ」
     にかかる序詞。
    あまりてなどか=自分ながらどうしようもない。
     「あまり」は度を越すこと。「などか」は疑問
     の意を表す、なぜか。

作者・・源等=880~951。正四位下・参議。

春をだに 知らで過ぎぬる 我が宿に 匂ひまされる
花を見るかな            風葉和歌集

(はるをだに しらですぎぬる わがやどに におい
 まされる はなをみるかな)

意味・・春の訪れさえ知らないで過ぎて来た私の家に
    まことに美しく咲く花を見ることです。

    息子が有名大学に合格した時の嬉しさのよう
    な気持ちを詠んでいます。

 注・・風葉和歌集・・1271年に、源氏物語・うつほ
     物語・狭衣物語・・など200余りの物語に出
     てくる和歌を集めた歌集。

知る人の 知るべき色に あらねども 見せばや宿の
梅の梢を        散逸物語(さんいつものがたり)

(しるひとの しるべきいろに あらねども みせばや
やどの うめのこずえを)

意味・・素晴らしさの分かる人が分かってくれそうな
    花の色というわけでもありませんが、あなた
    にお見せしたいものです。私の家の梅の梢を。

    梅の梢は我が娘を指します。

    本歌は
   「君ならでたれにか見せむ梅の花色をも香をも
    知る人ぞ知る」 (意味は下記参照)

 注・・散逸物語=散らばって今はもう無い物語。

本歌です。

君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香をも
知る人ぞ知る        紀友則(きのとものり)

(きみならで たれにかみせん うめのはな いろをも
 かをも しるひとぞしる)

意味・・あなたではなくて、誰に見せようか。この梅の
    花を。この素晴しい色も香も、物の美しさをよ
    く理解できるあなただけが、そのすばらしさを
    本当に分かってくれるのです。

    一枝の梅の花を折って人に贈った時の歌です。
    あなただけが本当の物の情趣を理解してくれる
    人だ、の意です。

    また、友則の知人は高い地位に就いていたが、
    自分はまだ低い地位で不遇の時を過ごしていた
    ので、そのような不遇感の背景に我が真価は知
    る人ぞ知るの思いを梅の花に託してもいます。

 注・・誰にか=「か」は反語で、誰にも見せたくない
        の意になる。



秋風に なびく草葉の 露よりも 消えにし人を
何にたとへん     天暦御製(てんれきぎょせい)

(あきかぜに なびくくさばの つゆよりも きえにし
 ひとをなににたとえん)

意味・・秋風になびく 草葉の露よりも、はかなく消えて
    しまった人を何にたとえたらよいだろうか。

    38歳の若さで亡くなった村上天皇の中宮(皇后)の
    悲しみを詠んだ歌です。

作者・・天暦制御=天暦時代の天皇。951・村上天皇。

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