名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2010年06月

風ふけば 川辺すずしく よる波の たちかへるべき
心ちこそせね     藤原家経(ふじわらのいえつね)
               (詞花和歌集・75)
(かぜふけば かわべすずしく よるなみの たち
 かえるべき ここちこそせね)

意味・・風が吹くと川辺は涼しく波が寄せては返し、
    立って帰ろうという気が起こらない。

作者・・藤原家経=~1058。67歳。文章博士、式部
     大輔、正四位下。

何をして 身のいたづらに 老いぬらん 年の思はむ
こともやさしく            読人知らず
                  (古今集・1063)
(なにをして みのいたずらに おいぬらん としの
 おもわん こともやさしく)

意味・・いったい何をして、我が身がただもうこのように
    年老いてしまっているのだろう。長い付き合いを
    した「年」よ、お前もどう思っていることかと思
    うと、私は恥ずかしい。

 注・・いたづらに=無用の状態に、むだに。
    やさし=恥ずかしい。



旅と言へば 言にぞ易き 術もなく 苦しき旅も
言にまさめやも     中臣宅守(なかとみのやかもり)
              (万葉集・3763)
(たびといえば ことにぞやすき すべもなく くるしき
 たびも ことにまさめやも)

意味・・旅と口先で言うのはたやすい。しかし、どうしょう
    もなく辛(つら)く苦しいこの旅も、所詮は旅としか
    いい表わしょうがない。

    どんなことでも表現は容易なものだが、表現出来な
    いような苦しいこともある。こんどの旅がそれであ
    る、という気持ちを詠んでいます。

 注・・術もなく=どうしょうもない。

作者・・中臣宅守=生没年未詳。763年に従五位になる。奈良
     時代の後期の歌人。

たち変り 古き都と なりぬれば 道の芝草 
長く生ひにけり   田辺福麻呂(たなべのさきまろ)
            (万葉集・1048)
(たちかわり ふるきみやこと なりぬれば みちの
しばくさ ながくおいにけり)

意味・・すっかり様子が変わって古い都になってしまった
    ので、行き来する者もなく、道の雑草も長く延び
    てしまったことだ。

    「あおによし奈良の都は咲く花の薫ふがごとく今
    盛りなり」と詠まれた平城京も、740年の遷都で
    すっかり荒廃した嘆きを詠んでいます。また、万
    物流転の姿を観て哀愁を漂わせています。

 注・・たち変り=すっかり変る。「たち」は意味を強め
     る接頭語。

作者・・田辺福麻呂=生没年未詳。万葉集の代表的歌人。

参考歌です。

あおによし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 
今盛りなり          小野老(おののおゆ)
                (万葉集・328)

(あおによし ならのみやこは さくはなの におう
 がごとく いまさかりなり)

意味・・奈良の都は、咲いている花が色美しく映える
    ように、今や盛りをきわめている。

    華やかな都を賛美した歌です。

 注・・あおによし=奈良に掛る枕詞。
    薫ふ(にほふ)=色が美しく照り映える。

作者・・小野老=~737。太宰大弐従四位。


静けくも 岸には波は 寄せけるか これの屋通し
聞きつつ居れば       読人知らず・万葉集1237

(しずけくも きしにはなみは よせけるか これのや
 とおし ききつつおれば)

意味・・今日はなんと静かに波が岸にうち寄せている
    のだろう。この旅宿の壁越しにじっと耳を澄
    まして聞いていると。

 注・・これの屋=この家屋の意。この部屋。

思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは
涙なりけり     道因法師(どういんほうし)
          (千載和歌集・818百人一首・82)

(おもいわび さてもいのちは あるものを うきに
たえぬは なみだなりけり)

意味・・思い悩んで、それでも命は堪えて生き長らえて
    いるのに、憂きことに堪えられずにこぼれ落ち
    るのは涙なのである。

    「思ひわび」と「憂き」は言葉を変えて、恋に
    悩むつらさをいっています。意志力でどうにか
    なりそうな涙は意のままにならず、重大な命の
    ほうは堪え保っている所に、人生の哀れさを感
    じます。また、この歌は恋だけでなく、作者の
    人生そのものに対する述悔、老境にいたった人
    の心の嘆きでもあります。

 注・・思ひわび=思い悩む。恋の歌に多く用いられ、
     自分につれない相手ゆえに思い悩む気持ちを
     表す。
    さても=そうであっても。
    憂きに=つらいことに。思うことがかなわない
     憂鬱さに。

作者・・道因=1090~。90歳ぐらい。従五位上・左馬助
     (さまのすけ)。1172年に出家。

世の中に あらましかばと 思ふ人 なきが多くも
なりにけるかな      藤原為頼 拾遺集・1299
               (ふじわらのためより)
(よのなかに あらましかばと おもうひと なきが
 おおくもなりにけるかな)

意味・・この世に生存していたならばどんなであろう、
    あのようにもこのようにもするだろうと思う
    人の、亡くなった人が、まことに多くなって
    しまったことだ。

    何か難しい事のあった時、いまは亡き人の価
    値が認識され、どのように行為し、思考する
    だろうと思うと、懐かしく感じられる気持ち
    を詠んでいます。

 注・・あらましかば=生きていたならば。「ましか
     ば」は推量の助動詞と接続助詞、もし・・
     であったら。
    なき=亡き。

作者・・藤原為頼=生没年未詳。堤中納言兼輔の孫。
     従四位下。


                   

いとけなし 老いては よわりぬ 盛りには まぎらはしくて
ついにくらしつ       明恵上人(みょうえしょうにん)
              (明恵上人歌集・14)

詞書・・人寿百歳七十稀ナリ、一分衰老一分痴、中心二十年事、
    幾多嘆キ幾多悲シム。この詩心を詠める。

意味・・年老いては心は幼稚になり、身も弱ってしまった。
    盛りの時には心が他に紛れて最後までうかうか過ご
    してしまったことだ。

 注・・人寿百歳七十稀=出展未詳。「人生百歳七十稀」は
     白楽天の詩。
    一分衰老一分痴=一部分は老衰し、一部分は痴呆し
     てしまった。「痴」は知恵後れの病気。
    幾多嘆キ幾多悲シム=多く嘆いたり悲しんだりして
     きた。
    いとけなし=幼けなし。幼い。

明恵上人=1173~1232。8歳で母を失い、続いて父が戦死し
     て孤児となる。伯父に頼って神護寺に入り16歳で
     出家。鎌倉時代の僧。「明恵上人歌集」他。

               
                  

たのしみは 世に解きがたく する書の 心をひとり
さとり得し時        
              橘曙覧 (橘曙覧全歌集・573)

(たのしみは よにときがたく するふみの こころを
 ひとり さとりしとき)

意味・・私の楽しみといえば、世間で難解だとされている
    本の真意を自分の一人の力で解き明かす事が出来
    た時。学の道を歩んできた身には何とも喜ばしい
    ことだ。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。紙商の家
     業を継いでいたが21歳の時に隠棲して学問・和
     歌に専念。越前藩主の松平春獄と交流。

山城の 石田の森の いはずとも こころのうちを
照らせ月かげ    藤原輔尹(ふじわらのすけただ)

(やましろの いわたのもりの いわずとも こころの
 うちを てらせつきかげ)

意味・・山城の石田の神社の森を照らす月は、何も言わ
    ないでも、私の心の中を照らし出して欲しい。
    その月明かりよ。

    誰か私の悩み事を聞いて欲しい、という気持ち
    です。
    
    山城の守(かみ)になって嘆いている時、月が輝
    いている頃、いかがですかと問われて詠んだ歌
    です。

    中世の山城国は戦乱が繰り返される中、「宮座」
    という自治組織が生まれ集団で農事や神事また
    一揆にあたっていた。
    そのため、山城は治めにくい国といわれた。
    輔尹はその後1006年に山城国を辞任した。

 注・・山城=京都府の南部一帯。
    石田の森=山城国の歌枕。神社があった。
     「いはたの森」の同音で「いはず」を導く。

作者・・藤原輔尹・・生没年未詳。山城守・大和守。
     従四位下。





このページのトップヘ