名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2010年06月

仕へつる この身のほどを 数ふれば あはれ木末に
なりにけるかな      藤原頼宗(ふじわらのよりむね)

(つかえつる このみのほどを かぞうれば あわれ
 こずえに なりにけるかな)

詞書・・例ならぬ事ありて煩(わず)ひけるころ、上東門院
    に柑子奉(たてまつ)るとて人に書かせて奉りける。

意味・・長い間、木の実を奉りなどしてはお使えしてきた
    この身の年月を数えると、木の実が梢に成るよう
    に、なんと老いの末になってしまったことだ。

    木の実を毎年送って来たことの繰り返しが、仕え
    て来た歳月の長さと、知らぬ間の老年を気づかせ、
    作者の感慨を詠んでいます。

 注・・煩ひける=病気になり臥(ふ)せる。
    上東門院=藤原彰子。988~1074。87歳。道長の娘。
     一条天皇の中宮。
    柑子奉る=毎年定期的に柑子(ミカンの類)を送る。
    
    この身=自分自身の意に、「木の実」を掛ける。
    木末=木の実の成る梢に、老年の意の末を掛ける。

作者・・藤原頼宗=992~1074。83歳。道長の子。太政大臣
     従一位。

朝露の 消やすき我が身 他国に 過ぎかてぬかも
親の目を欲り      大伴熊擬(おおとものくまごり)

(あさつゆの けやすきわがみ ひとくにに すぎかてぬ
 かも おやのめをほり)

意味・・朝露のように消えやすい我が命ではあるが、他国
    では死ぬに死にきれない。ひと目親に会いたくて。

    熊擬は18歳の時、国司官の従者として肥後(熊本)
    から奈良の都に向かった時、病にかかり安芸(広島)
    で亡くなった。
    臨終の時に嘆きの言葉として長歌が詠まれています。
    (長歌は下記参照)

 注・・朝露=「消えやすき」の枕詞。はかなさを示す。
    他国(ひとくに)=異郷。古代人は異郷での死を
     特に辛(つら)いものとした。
    過ぎ=「死ぬ」という事を忌み嫌った語。
    かてぬ=絶えられない。
    欲(ほ)り=願う。

作者・・大伴熊擬=731年没。18歳。肥後の国の国司官。

長歌の要約です。

「地水火風の四大(しだい)が仮に集まって成った人の身は、
滅びやすく、水の泡のようなはかない人の命はいつまでも
留めることはむずかしい」ということだ。それ故、千年に
一度の聖人も世を去り、百年に一度の賢人も世に留まらない。
まして凡愚下賎(ぼんぐげせん)の者はどうしてこの無常から
逃れる事が出来ようか。ただし、私には老いた両親があり、
ともにあばらやに住んでいる。この私を待ち焦がれて日を過
ごされたならば、きっと心も破れるほどの悲しみを抱かれよ
うし、この私を待ち望んで約束の時に違ったならば、きっと
目もつぶれるほどに涙をながされよう。悲しいことよ我が父
上、痛ましいことよ我が母上。この我が身が死に出の道に旅
立つことは気にしない。ただただ、両親が生きてこの世に苦
しまれることだけが悲しくてならない。今日、長のお別れを
告げてしまったならば、いつの世にお遭いすることが出来よ
うか。

都人 来ても折らなむ かはづなく 県の井戸の
山吹の花 
           橘公平(たちばなきんひら)の娘

(みやこびと きてもおらなん かわずなく あがたの
 いどの やまぶきのはな)

意味・・都の人は遠くやって来て手折ってくださいよ、
    かわずのなく田舎の井戸(私の家)の山吹の花
    を。

注・・都人=恋人をさす。「県」を地方・田舎に通わ
    せて用いたので添えたもの。
   かはづ=蛙。井出のかわづが有名。
   県の井戸=公平娘が住んでいる邸宅の名。名の
    知れた豪邸であった。
   井戸の山吹=有名な「井出の山吹」の類音でいっ
    たもの。「井出」は京都府綴喜(つづき)郡井出
    町。かわずと山吹が有名。

作者・・橘公平の娘=生没年未詳。940年頃の人。
    

珠洲の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に
月照りにけり      大伴家持(おおとものやかもち)

(すずのうみに あさびらきして こぎくれば ながはまの
 うらに つきてりにけり)

意味・・珠洲の海に朝早く舟を出して漕いで来ると、
    長浜の浦にはもう月が照り輝いていた。

    春の出挙(すいこ)のため諸郡を回って歩き
    任務を終えて帰る時に詠んだ歌です。

    舟旅の強行軍を詠んでいます。

 注・・出挙(すいこ)=利息付の消費貸借。春に官
     稲を貸し、秋に利息を付けて返済させる。
     利率は貸付の半倍。
    珠洲=石川県能登半島の北部の市。
    朝開き=夜停泊していた舟が夜が明けて港を
     出ること。
    長浜=能登半島の氷見市のあたり。
    月照りにけり=長浜の浦に着いた時はすでに
     夜に入っており、月光を仰ぎ見るほどにな 
     っていた。
     珠洲から長浜まで海上70キロ、当時の舟の
     漕ぐ時速は2.5キロ、潮流もほぼ等しく、朝
     4時に珠洲を出発すれば20時に長浜に到着。

作者・・大伴家持=718~785。大伴旅人の子。万葉集
     の編纂(へんさん)もする。
     

わびぬれば 身を浮き草の 根をたえて 誘ふ水あらば
いなむとぞ思ふ       小野小町(おののこまち)

(わびぬれば みをうきぐさの ねをたえて さそう
 みずあらば いなんとぞおもう)

意味・・私はこの世に暮らして行く上でつらい思いを
    し切っていますので、我が身がいやになった
    のですから、根なしの浮き草の根が切れて、
    誘う水があればその方へ行くように、ここを
    離れて、頼りになる方がいれば、そちらへ行
    こうと思っています。
    でも、今ではなくそのうちに。

    文屋康秀が三河(愛知県)の国司の役人になっ
    たので、今度私の任国を視察においでになり
    ませんか、といってきたので、その返事の歌
    です。
    「いなむ」には「行きましょう」の意味の裏
    側に「否む・拒否する」という真意が隠され
    ていて、やんわり断っている。

 注・・わびぬれば=心細く暮らしているのだから。
    身をうき草の=身を憂く(つらく)思い浮き草
     のように。
    誘う水=浮き草を誘う水。頼りになる人があ
     らばの意を暗示。
    いなむ=去なむ。行ってしまう。「否む・断
     る」を掛けている。
    文屋康秀=生没年未詳。860年三河の国司官。
     六歌仙の一人。

作者・・小野小町=生没年未詳。絶世の美人といわれ
     各地に小町伝説を残す。六歌仙の一人。

出典・・古今和歌集・938。

古里を いづれの春か 行きて見む うらやましきは
帰るかりがね           源氏物語・須磨

(ふるざとを いずれのはるか ゆきてみん うらやま
 しきは かえるかりがね)

意味・・懐かしい都を私はいつの年の春になったら、行
    って見ることだろうか。うらやましいのは北の
    故郷へ帰って行く雁だ。

    太政大臣が須磨の浦に詣でた後、都に帰るとき
    雁が連れ立って帰るのを見て詠んだ歌です。
    雁は太政大臣にたとえています。
    

白川の 関屋を月の もる影は 人の心を
留むるなりけり        西行(さいぎょう)

(しらかわの せきやをつきの もるかげは ひとの
 こころを とむるなりけり)

意味・・白川の関守の住む家に漏れ入る月の光は
    能因法師の昔を思い出させ、旅人の心を
    ひきとめて立ち去り難くさせることだ。

    白河の関に旅をした時、月が美しく照っ
    ていたので、能因法師を思い出され、関
    守の住む家の柱に書き付けた歌です。

    能因法師が詠んだ歌は、

    「都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹
    く白川の関」

 注・・白川の関=福島県白河市にあった関。
    関屋のもる=関守の住む家に月光が射す。
    もる影=「漏る」と「守る」を掛ける。

作者・・西行=1118~1190。23歳で出家する前は
     鳥羽院の北面武士であった。む

出典・・ 「山家集」。  
  

しつたまき 数にもあらぬ 身にはあれど 千年にもがと
思ほゆるかも       
             山上憶良(やまのうえおくら)

(しつたまき かずにもあらぬ みにはあれど ちとせに
 もがと おもおゆるかも)

詞書・・老身に病を重ね経年辛苦し、さらに児らを思う歌。

意味・・物の数でもない俗世の身ではあるけれど、千年も
    生きていたいと思われてならない。

    この歌の気持ちは長歌として詠まれています。
    (下記参照)    

 注・・しつたまき=倭文手纏き。倭文(しず)で作った腕
     輪は粗末なものであることから、「数にもあら
     ぬ」にかかる枕詞。
    数にもあらぬ=数える価値がない。取るに足りな
     い。

作者・・山上憶良=660~733。筑前守。遣唐使として唐に
     3年滞在。

出典・・万葉集・903。

長歌のあらまし。

この世に生きている限りは、無事平穏でありたいのに、
障害も不幸もなく過ごしたいのに、世の中の憂鬱で辛い
ことは、ひどく痛い傷に辛塩をふりかけるという諺、ひ
どく重い馬荷に上荷をどさりと重ね乗せるという諺のよ
うに、老いさらばえた我が身の上に病魔まで背負わされ
ている有様なので、昼は昼で嘆き暮らし、夜は夜で溜息
ついて明かし、年久しく病み続けたので、幾月も愚痴っ
たりうめいたりして、いっそうのこと死んでしまいたい
と思うけれども、真夏の蝿のように騒ぎ回る子供たちを
放ったらかして死ぬことはとても出来ず、じっと子供を
見つめていると、逆に生への熱い思いが燃え立ってくる。
こうして、あれやこれやと思い悩んで、泣けて泣けて仕
方がない。

さみだれの 空なつかしく 匂ふかな 花橘に
風や吹くらん         相模(さがみ)

(さみだれの そらなつかしく におうかな はな
 たちばなに かぜやふくらん)


意味・・さみだれどきの空になつかしい匂いがする
    ものだ。花橘に風が吹いているらしい。

    橘の花は芳香を放つので、

    「さつきまつ花橘の香をかげば昔の人の袖
    の香ぞする」(古今集・読人しらず)の歌以
    来、昔親しかった人のこと、またその昔を
    思い出させるのとされている。

    五月雨の空に懐かしく匂ってくるものがあ
    ると詠んだ歌です。

 注・・花橘=橘の花。橘はみかんの一種。5~6月
     に白い花が咲く。ひな祭りの右近の橘が
     名高い。芳しい匂いを放ちなつかしさを
     思いださせる。

作者・・相模=生没年未詳、995年頃の出生。相模守
     大江公資(きんより)の妻となり、相模と
     号した。

音もせで おもひにもゆる 蛍こそ なく虫よりも
あはれなりけれ      源重之(みなもとのしげゆき)

(おともせで おもいにもゆる ほたるこそ なくむし
 よりも あわれなりけれ)

意味・・音にも立てないで、ひそかに激しい「思ひ」
    という火に燃える蛍こそ、声に出して鳴く虫
    よりも、あわれが深いというものだ。

 注・・おもひにもゆる=思ひという火に燃える。
     思「ひ」に「火」を掛ける。
    あはれなりけれ=人の心を打つものだ。じっと
     胸に秘めて思い苦しむ方が、いっそう人の心
     を打つものだ。

作者・・源重之=生没年未詳。相模権守・従五位下。
     三十六歌仙の一人。

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