名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2010年06月

思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは
涙なりけり     道因法師(どういんほうし)
          (千載和歌集・818百人一首・82)

(おもいわび さてもいのちは あるものを うきに
たえぬは なみだなりけり)

意味・・思い悩んで、それでも命は堪えて生き長らえて
    いるのに、憂きことに堪えられずにこぼれ落ち
    るのは涙なのである。

    「思ひわび」と「憂き」は言葉を変えて、恋に
    悩むつらさをいっています。意志力でどうにか
    なりそうな涙は意のままにならず、重大な命の
    ほうは堪え保っている所に、人生の哀れさを感
    じます。また、この歌は恋だけでなく、作者の
    人生そのものに対する述悔、老境にいたった人
    の心の嘆きでもあります。

 注・・思ひわび=思い悩む。恋の歌に多く用いられ、
     自分につれない相手ゆえに思い悩む気持ちを
     表す。
    さても=そうであっても。
    憂きに=つらいことに。思うことがかなわない
     憂鬱さに。

作者・・道因=1090~。90歳ぐらい。従五位上・左馬助
     (さまのすけ)。1172年に出家。

世の中に あらましかばと 思ふ人 なきが多くも
なりにけるかな      藤原為頼 拾遺集・1299
               (ふじわらのためより)
(よのなかに あらましかばと おもうひと なきが
 おおくもなりにけるかな)

意味・・この世に生存していたならばどんなであろう、
    あのようにもこのようにもするだろうと思う
    人の、亡くなった人が、まことに多くなって
    しまったことだ。

    何か難しい事のあった時、いまは亡き人の価
    値が認識され、どのように行為し、思考する
    だろうと思うと、懐かしく感じられる気持ち
    を詠んでいます。

 注・・あらましかば=生きていたならば。「ましか
     ば」は推量の助動詞と接続助詞、もし・・
     であったら。
    なき=亡き。

作者・・藤原為頼=生没年未詳。堤中納言兼輔の孫。
     従四位下。


                   

いとけなし 老いては よわりぬ 盛りには まぎらはしくて
ついにくらしつ       明恵上人(みょうえしょうにん)
              (明恵上人歌集・14)

詞書・・人寿百歳七十稀ナリ、一分衰老一分痴、中心二十年事、
    幾多嘆キ幾多悲シム。この詩心を詠める。

意味・・年老いては心は幼稚になり、身も弱ってしまった。
    盛りの時には心が他に紛れて最後までうかうか過ご
    してしまったことだ。

 注・・人寿百歳七十稀=出展未詳。「人生百歳七十稀」は
     白楽天の詩。
    一分衰老一分痴=一部分は老衰し、一部分は痴呆し
     てしまった。「痴」は知恵後れの病気。
    幾多嘆キ幾多悲シム=多く嘆いたり悲しんだりして
     きた。
    いとけなし=幼けなし。幼い。

明恵上人=1173~1232。8歳で母を失い、続いて父が戦死し
     て孤児となる。伯父に頼って神護寺に入り16歳で
     出家。鎌倉時代の僧。「明恵上人歌集」他。

               
                  

たのしみは 世に解きがたく する書の 心をひとり
さとり得し時        
              橘曙覧 (橘曙覧全歌集・573)

(たのしみは よにときがたく するふみの こころを
 ひとり さとりしとき)

意味・・私の楽しみといえば、世間で難解だとされている
    本の真意を自分の一人の力で解き明かす事が出来
    た時。学の道を歩んできた身には何とも喜ばしい
    ことだ。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。紙商の家
     業を継いでいたが21歳の時に隠棲して学問・和
     歌に専念。越前藩主の松平春獄と交流。

山城の 石田の森の いはずとも こころのうちを
照らせ月かげ    藤原輔尹(ふじわらのすけただ)

(やましろの いわたのもりの いわずとも こころの
 うちを てらせつきかげ)

意味・・山城の石田の神社の森を照らす月は、何も言わ
    ないでも、私の心の中を照らし出して欲しい。
    その月明かりよ。

    誰か私の悩み事を聞いて欲しい、という気持ち
    です。
    
    山城の守(かみ)になって嘆いている時、月が輝
    いている頃、いかがですかと問われて詠んだ歌
    です。

    中世の山城国は戦乱が繰り返される中、「宮座」
    という自治組織が生まれ集団で農事や神事また
    一揆にあたっていた。
    そのため、山城は治めにくい国といわれた。
    輔尹はその後1006年に山城国を辞任した。

 注・・山城=京都府の南部一帯。
    石田の森=山城国の歌枕。神社があった。
     「いはたの森」の同音で「いはず」を導く。

作者・・藤原輔尹・・生没年未詳。山城守・大和守。
     従四位下。





このページのトップヘ