名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2010年08月

竹敷の 浦みの黄葉 我れ行きて 帰り来るまで
散りこすなゆめ 
            壬生宇太麻呂(みぶのうだまろ)
              (万葉集・3702)

(たけしきの うらみのもみじ われゆきて かえりく
 るまで ちりこすなゆめ)

詞書・・遣新羅の途中で竹敷の浦に船泊りした時に
    各々の思いを詠んだ歌。

意味・・竹敷の浦のあたりの紅葉よ、私が新羅へ行
    って再びここに帰ってくるまで、散らない
    でいてくれ、けっして。
 
    紅葉を惜しむ心に、新羅の往復が短期間で
    すむように願った歌です。

 注・・竹敷の浦=対馬の浅茅(あそう)の南部の湾。
    新羅(しらぎ)=朝鮮半島の古代王国。
    ゆめ=禁止表現を伴って、決して。

作者・・壬生宇太麻呂=746年頃の人。大判官(副使
     の次の官)として遣新羅に行く。従五位下。

枝に漏る 朝日の影の 少なさに 涼しさ深き
竹の奥かな 
           京極為兼(きょうごくためかね)
             (玉葉集・419)

(えだにもる あさひのかげの すくなさに すずしさ
 ふかき たけのおくかな)

意味・・枝の間から漏れて来る朝日の光が少ないために、
    夏の朝も涼しさが底深く感じられる、竹林の奥
    であるなあ。
    
    竹林の朝のひんやりとした涼しさを詠んでいま
    す。

作者・・京極為兼=1254~1332。正二位権大納言。1316
     年から死去まで土佐に配流される。

夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は
苦しきものぞ      
            坂上郎女(さかのうえいらつめ)
              (万葉集・1500)

(なつののの しげみにさける ひめゆりの しらえぬ
 こいは くるしきものぞ)

意味・・夏の野の草むらにひっそり咲いている姫百合の
    ように、あの人に知ってもらえない恋は何とも
    苦しいものだ。

    片思いの切なさを詠んでいます。

 注・・姫百合の・・=姫百合が夏草の深い茂みにおお
     われ人に気づかれない。「姫百合」は百合の
     一種。朱色の小さな花を咲かす。

作者・・坂上郎女=~750頃。大伴旅人の異母妹。

鯛は花は 見ぬ里もあり けふの月

            井原西鶴(いはらさいかく)

(たいははなは みぬさともあり けふのつき)

意味・・鯛を賞味出来ない里もあろう。桜の美しさを
    満喫出来ない里もあろう。だが、今夜の名月
    だけはどこの里に住んでいようとも皆楽しむ
    ことが出来ることだ。

    句の眼目は名月の美しさを言っています。

作者・・井原西鶴=1642~1693。大阪の商家に生れる。
     一昼夜に2万5千句の連吟の記録を持つ。
     「好色一代男」を書く。

忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの
命ともがな 
           儀同三司母(ぎどうさんしのはは)
            (新古今集・1149、百人一首・54)

(わすれじの ゆくすえまでは かたければ きょうを
 かぎりの いのちもがな)

意味・・いつまでも忘れまいとあなたはおっしゃって
    下さいますが、そのように遠い将来のことは
    頼みがたいことですから、そうおっしゃって
    くださる今日を限りの命であってほしいもの
    です。

    当時の上流貴族たちは一夫多妻であり、結婚
    当初は男が女の家に通っていた。男が通って
    来なくなれば自然に離婚となっていた。いつ
    しか忘れ去られるという不安のなかで、今日
    という日を最良の幸福と思う気持を詠んでい
    ます。

 注・・忘れじの=いつまでも忘れまいと。
    行く末=将来。
    かたければ=難ければ。難しいので。
    命ともがな=命であってほしい。「もがな」
     は願望の助詞。

作者・・儀同三司母=~998。高階成忠の娘。藤原道隆
     の妻。「儀同三司」は「太政大臣・左大臣・
     右大臣」に同じの意味。

われのみや あはれと思はむ きりぎりす 鳴く夕かげの
大和なでしこ        
               素性法師(そせいほうし)
                (古今和歌集・244)
(われのみや あわれとおもわん きりぎりす なく
 ゆうかげの やまとなでしこ)

意味・・これを私だけが「きれいだなあ」と思って見る
    だけで、むなしく散るにまかせるのだろうか。
    こおろぎが寂しく鳴くなかで、夕日を浴びた
    大和なでしこの花を。

    美しさを自分一人で見て終らせる残念さ、寂し
    さの思いを詠んでいます。

 注・・われのみや=「や」は反語の意。
    あはれ=しみじみと心を打つさま。すてきだ。
    きりぎりす=今のこおろぎ。
    夕かげ=夕日。
    大和なでしこ=河原撫子。

作者・・素性法師=~909頃。遍照僧正の子。

月影の 宿れる袖は せばくとも とめて見せばや
飽かぬ光を           (源氏物語・須磨)

(つきかげの やどれるそでは せばくとも とめて
 みせばや あかぬひかりを)

意味・・月の光の宿っている私の袖は狭くとも、留めて
    見たいものです。飽きることの無い美しい光を。
    ものの数でもない私ですが、見飽きない源氏様
    を引き留めておきたいものです。

    須磨で源氏との別れが近くなり、再び会う事が
    出来るだろうかと、悲しみの涙を流しながら心
    細くなり詠んだ歌です。

    悲しみの涙顔の表情はこの歌です。

    「合ひに合ひて物思ふころのわが袖に宿る月へ
    濡るる顔なる」 (意味は下記参照)  

 注・・月影の宿れる袖=涙で袖が濡れているので、月
     の影が映るという誇張した表現。
    光=光源氏を掛ける。

参考歌です。

合ひに合ひて 物思ふころの わが袖に 宿る月さへ
濡るる顔なる        伊勢(いせ)
                (古今和歌集・756)

(あいにあいて ものおもうころの わがそでに やどる
 つきさえ ぬるるかおなる)

意味・・私の心にぴったりだ。物思いに沈んでいる袖の
    涙に映った月影までが私に負けずに涙に濡れた
    ような顔つきをしているよ。

 注・・合ひに合ひて=私の心によく合って。同じ動詞
     を重ねてその間に「に」を用いると意味を強調
     することになる。
    物思ふ=何となく憂鬱に。「物」は漠然とした
     ものをさす。

作者・・伊勢=生没年未詳。大和守藤原継影の娘。父が
     890年頃、伊勢守であったので伊勢といった。

みなれ棹 とらでぞくだす 高瀬舟 月の光の
さすにまかせて      源師賢(みなもとのもろかた)
               (後拾遺・836)

(みなれざお とらでぞくだす たかせぶね つきの
 ひかりの さすにまかせて)

詞書・・「船中の月」という題で詠みました歌。

意味・・月の光のさすのに任せて、みなれ棹を取ら
    ないで高瀬舟を川下に下している。

    明るく美しい月なので、舟を漕ぐより、月
    を思う存分観て楽しもう。

 注・・みなれ棹=水馴れ棹。水にひたし使い慣れ
     た棹。棹は舟を漕ぐ時に用いる棒。
    くだす=下す。舟を川下にくだすこと。
    高瀬舟=底は平たくて浅い舟。
    さすに=「光が差す」と「棹をさす」の掛詞。

作者・・源師賢=1035~1081。蔵人頭、正四位下。
   

長者の子しかも美人の明き盲    求笑(きゅうしょう)
                   (二葉の松)

(ちょうじゃのこ しかもびじんの あきめくら)

前句・・かわゆがれて暮らすなりけり

意味・・可愛いがられる子供の第一条件は、金持ちの
    家に生れることだが、その娘が美しいことも
    二番目の条件。さらに、その子が、不幸にし
    て、明き盲である不憫(ふびん)さが重なる時、
    親の愛情が集中することになる。

    美しい盲女の飾られた生活、それ故に哀れは
    いっそう深い気持を詠んでいます。

 注・・長者=銀五百貫(2億5千万円)以上の金持ち
     を分限とし、千貫以上を長者といった。
    明き盲=文盲(文字の読めない人)でなく、目
     の明いて見えない盲人。

作者・・求笑=伝未詳。江戸時代の初期、1690年頃
     活躍した俳人。
    

あらそはぬ 風の柳の 糸にこそ 堪忍袋
ぬふべかりけれ    鹿都部真顔(しかのつべのまがお)
             (狂歌才蔵集)

(あらそわぬ かぜのやなぎの いとにこそ かんにん
 ぶくろ ぬうべかりけれ)

意味・・風に争うこともなく、吹くままになびいている
    柳の枝。あの柳の糸でこそ、めったに破っては
    ならない人間の堪忍袋を縫うべきだ。

    糸と袋の見立ての面白さをふまえた処世訓です。

 注・・柳の糸=細長い柳の枝を糸に見立てた語。
    堪忍袋=堪忍する心の広さを袋に例えた語。

作者・・鹿都部真顔=1753~1829。北川嘉兵衛。狂歌
     四天王の一人。

このページのトップヘ